食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

風邪を引いたらピースープ

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日本のサイズで言ったら2カップくらいでしょうか。安いし早いし美味しいし、助かります、スプリット・ピー。

 

 

北米ではレイバーデイで三連休でしたが、皆様、夏の終わりの最後の祝日を楽しくお過ごしでしたでしょうか。

 

私は先週引いた風邪が治らず、連休中ずっと寝込んでおりました。

 

せっかくの連休だったのに、、勿体ない、、、。

 

 

風邪で寝込んでいてもご飯食べなきゃいけません。

夫もちょっとは作ってくれますけれど、風邪引いてるときは、自分が食べたいものが食べたい、、(いつもそうですけど)と、夫に材料を切ってもらって、風邪にも看病する家族にも優しいスープを作りましたよ。

 

 

ヴィーガン・ピースープ

 

材料

  • 玉ねぎ
  • にんにく
  • 生姜
  • 人参
  • バーリー(大麦)
  • スプリット・ピー
  • 好みのスパイス(クミン、ターメリック、コショウ)

ピーがスープのボディ、麦はさじですくった時に5〜6粒くらい入っていてプチプチの舌触りを楽しむため、野菜類も好みで分量のバランスを決めます。

手順

  1. 玉ねぎ、人参は1〜2センチくらいの角切りに、にんにくは潰して粗みじん切り、生姜は皮をむいてすりおろす。
  2. 玉ねぎ、人参、にんにくの順に厚手の鍋で炒める。炒めるときに塩を少量パラパラとふりかけて、野菜から水が出るようにしてやる。(塩の量は全体の味に影響するのでくれぐれも注意して)
  3. 生姜、麦(生のまま)、スプリット・ピーを加えて、スパイス類も加えて全体に混ぜ、水を加え、蓋をする。
  4. ふつふつと湧いてきたら火を弱めてスプリット・ピーに火が通るまで加熱する。

 

水ではなく出汁でもいいですが、スプリット・ピーの味を楽しむには水で十分です。

そのため、うちでは出汁がないときにスープを作りたくなったらスプリット・ピー、という感じです。

 

 

スプリット・ピーは調理後温度が下がるとアンコのようなモタッとした状態になる(豆類ですから)ものなので、水分量を調整すれば、どろっとした濃いスープにもなるけれど、それは翌日の楽しみとして、私は初日はむしろ麦のプチプチした感触を楽しめる程度の濃度で作ります。

作り始めにちょっと水っぽいかなと思っていても、しばらくするとピーが吸水して膨らんできますので、様子を見ながら、必要なら水を足して。

 

スプリット・ピーは、ピーを乾燥させ製品として出荷されてから、お店で私がカゴに入れるまでどれくらいの時間が経過しているのか、毎回よくわからないのですけれど、他の乾燥豆のように前夜から浸水しておかなくてもちゃんと柔らかくはなりますが、「30分もすれば出来上がり」というレシピもありますが、それは多分かなり鮮度のいい場合ではないかと思います。

私が買ってきたスプリット・ピーはいつも大概小一時間かかります。

 

スプリット・ピーは、イエローとグリーンの二種類ありますが、どちらでも。ただ、乾燥・ピーとして、スプリットではなくてまるごとの乾燥・ピーも存在しますが、これは前日から浸水しておいてもちょっと芯が残るような感じなので私は避けています。

何かコツがあるのかもしれませんが。

 

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鍋底にちょっとだけ、に見えますが、鍋の直径26センチで、深さは半分ちょっとくらいでしょうか。パンと一緒に食べて、二人で夕食一回、昼食に一回くらいの分量になります。

 

 

小一時間コトコト調理するので、スパイスが馴染みすぎてイマイチだわと感じる場合は、インドのダールのレシピのように、出来上がりちょっと前に油を熱したフライパンでスパイス(粉末ではなく種の状態で)やニンニクを1〜2分加熱してじゃじゃっと加えてやる(tarkaと言います)と風味豊かですが、風邪でヨレヨレになってるときにはそこまでやろうと思いませんでした。

 

いや、正直な話、今回は作った初日は鼻が詰まっていたのか、匂いも味もよくわからず、夫に「これ、味ある?」と聞いたほど。

翌日の残り物はもうちょっと美味しく味わっていただけましたが。笑

 

 

Eating Animals 読後の、チキン・スープを巡る思い

 

北米の人は「風邪を引いたらチキン・スープ」とか、「風邪の時は紅茶にハニーを入れて飲むといい」とか言いますよね。

私はヴィーガンですのでピースープと緑茶、これで十分です。笑

スープを作るときに生姜を多めにすりおろして、ハーバル・ティーを入れるときに一緒に入れて体を温めたりも。

 

チキンスープといえば、ヴィーガンになる前は骨を取っておいて香味野菜と一緒にスープを取ったりもしましたし、今でも職場では鶏肉をさばいて残った骨でチキンスープを作っています。

職場ではオーガニックの鶏肉なんて予算がないので使えません。

北米で流通している鶏肉のほぼ99%は抗生物質や成長ホルモンを与えられたファクトリー・ファーム産ですからその骨から出汁をとって人に食べさせることにものすごく抵抗を感じます。

ここ数年は肉は同僚が専門でやってくれていて、私が調理を担当する日は基本的にヴェジタリアン(ヴィーガンなことも)なので、鶏の骨を前にして悩むことはないし、自分の考えを他人に押し付けることはできないのですけれど、やっぱり複雑な心境です。

 

特に、アメリカの場合は、屠殺後の処理では温水の中で肉の解体*がされているということなんですけれど、糞尿が混入しないようにすると時間もコストもうんと上がってしまうという理由で、糞尿まみれの水中で食用の肉が処理されるため、サルモネラ菌始め、ありとあらゆる危険な雑菌が肉に付着しているそうです。

30数年まえに鶏肉業界とUSDAが合意に至るまでは、糞尿は危険な汚染物として扱われていましたが、現在は糞尿はCosmetic Blemish-表面的な汚れ-という定義なんだそうです。産業の方が政府の機関よりも政治力を持っているアメリカならではですね。(Foer, p133-134参照)

 

*カナダやEU圏内ではこのプロセスは採用されていないそうです。カナダでよく交わされる会話「アメリカよりはちょっとはマシだよ」はまさにここにあり。笑

 

 

このプロセスのおかげで、店頭で出回っている鶏肉の重量の10%近くは処理段階で吸収された水分なんですって。 アメリカの鶏肉、安いですけど、、、ね。


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初めての夕食作りと、Eating Animals

 Foerの「Eating Animals」

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Eating Animals  Jonathan Safran Foer (2009 Little, Brown Company)

 

つい先日読み終わりました。

著者が、結婚、初めての子供の誕生をきっかけに、それまでなんとなく始めたりやめたりを繰り返していたヴェジタリアニズムについて向き合うため、「生き物を食べる」ことについて調べ、自身の考え方を整理しようとした試みのドキュメントです。

NY Times で出版当時、Michiko Kakutaniにひどいレビューを書かれていますが、私個人はKakutani氏のレビューはポイントを外しているというか、読んでないんじゃない?と思います。

 

ヴィーガン・プロパガンダではなくて、ファクトリー・ファーミングに知らずにお金を投資しているも同然な北米の一般消費者に、その問題点、オルターナティブの小規模畜産農家たちの活動や北米の食糧生産・消費の仕組みの限界などを提示しています。

 

北米のファクトリー・ファーミングの現状については他の書物でもネット上でも見聞きすることはできますけれど「ほら、こんなにひどいんだぞ」で終わらず、ファクトリー・ファーミング関係者、オルターナティブの畜産農家などあらゆる立場の人々の声に耳を傾けて、最後には著者は一個人としてどう向き合うことにしたのか、その考えを語っています。

 

ヴィーガンの私が読んでも、所詮はPreaching to the choirみたいなもんですけど、ヴィーガンではない人々と食事をする場面で、食に対する考え方の多様性を踏まえて、肉か、肉じゃないか、という二元論を超えてコミュニケーションするのに著者のアプローチは参考になると思いました。

肉食派にもヴィーガンにも迎合していて結論を避けている、という批判もあるようですが、何を食べるべきだ、と読者に指示を出すのが著者の意図ではないのは明らかだと感じました。

Eating Animals - Wikipedia

 

この秋、ドキュメンタリー・フィルムも公開されるようですね。ナタリー・ポートマンがナレーター兼プロデューサですって。

deadline.com

 

 

 
初めての夕食作り

 

食育っていう言葉は私が子供の頃にはありませんでしたが、フルタイムで働いていた母が帰宅後に夕飯の支度をする手伝いは「させられて」いました。

慌ただしいので、いちいち説明をしなくてもできるような、子供でもできるような作業が主でしたけどね。

 

 

私が実際に夕ご飯を一人でこしらえたのは、13歳の頃でした。

 

始めから終わりまで母の指示なしで作業したのはこの時が初めて。

 

いくら普段見ていても、いきなり一人では何もできないんだと実感しました。

 

当時、我が祖父母が両方とも癌で入院してしまい、両親が交代で、祖父の病院に泊まり込みで世話しにいっていたのです。

祖父は他人に色々世話されるのが嫌だったようで、プライベートの看護人の方をお願いしても、1日もしないうちに勝手にクビにしてしまっていたので、両親が行くしかなかったようで。笑

 

初めての夕ご飯は、そんな折、母が泊まりで父が在宅の晩でした。

献立は、ご飯、味噌汁、かぼちゃの煮付け、卵焼き、多分それに柵で買ってきて切り分けただけの刺身が数種類、父の晩酌もありますからね。

 

ご飯と味噌汁は大したアクシデントもなく仕上げ、(ご飯は炊飯器がやってくれますしね)

卵焼きも、毎朝私の担当だったので、大したこともなく。(考えてみると、当時の私にでもできるメニュー=朝食メニューだったんですね。)

 

問題は、かぼちゃの煮付け。

 

誕生日のおかずは卯の花と昆布巻きが食べたい、と言うような、煮物が好きな子供だったんですけれど、かぼちゃの煮たものは作るところを注意してみた覚えもなければ、どういう手順で作るのか聞いた覚えもなかったのに、なぜだか「できるよ」と母に言ったんですよね。

 

若い頃って、無知なのに恐れ知らずと言うか、そう言う傲慢さってありますね。

私だけ? いえいえ、これは、脳の発達段階で、思春期の子供はそういうもんなんです。

 

多分魚とか筑前煮とか、そういうのだったらはっきりと「自分には手順がわからない」と認識できたのでしょうけど、かぼちゃと玉ねぎだけですからね、他に何があるっていうのよ、とでも思ってたんでしょう。

 

なぜだか、どうやったんだか覚えはないのですけれど、割とホクホクしてていいかぼちゃを、玉ねぎの薄切りと一緒に適当に煮て、見かけは本当に美味しそうなものを大鉢に盛り付けて、卵焼きやなんかと一緒に食卓に並べまして、「お父さん、ご飯だよ」と。笑

 

父は「おお〜、立派な食卓じゃないか、お前もなかなかやるなあ」なんて褒めちぎりながら席に着き、刺身をつつきながら晩酌を始めました。(刺身は私が調理したものじゃないんですけどね。笑)

私も刺身をつつきながらご飯を食べ、さてかぼちゃ、とかぼちゃを小皿に分けて「お父さんもかぼちゃ、食べてよ、美味しいよ(まだ自分も食べてないのに)」と言いながら一口食べてみて、びっくり!

「ぎゃ~っ!味がない!」(←心の声)

 

なぜか味付けという作業をすっかりすっ飛ばし、ただかぼちゃに火を通して、ホクホクの煮物っぽいものを作って悦に入っていたのでした。

間抜けな自分にびっくりしつつ「そうか〜、味、つけなかったから当然ついてないよなあ」と納得。 

 

どうやって作ったんだか、今となっては全然覚えていません。

でも見てくれだけは本当に良かったんですよ。(=料理は見てくれじゃなくて、味が大事だという教訓ですね。)

 

実際には、味がないというよりは、ウリ科の植物にありがちな青臭さが若干あって、ホクホクの舌触りと青臭い匂いが漂う、なんともいえないものでした。(一言で言えば、まずかった。)

 

これを父に知られたら、絶対に一生笑い話にされる、と思いまして、非常に焦ったのを覚えてます。

 

ところが、地獄に仏じゃないですけれど、父が言うのですよ、

 

 

「いやあ、お父さん実は、かぼちゃとか芋とか、嫌いなんだよ。」と。

 

 

父は、子供に偏食をさせないための子育ての方針として「親はなんでも食べてる」をずっと演じてきたんだけど、そろそろもうその役は勘弁してよ、とバツが悪そうに笑いかけてきました。

「13歳なんだし、娘もそれくらいは受け入れられるだろう」と思っていたのでしょう。

 

私は「えええ〜?知らなかった!そうだったの?」と妙に驚いて見せ、、

内心は、笑い話になる憂き目は見ずに済むわ〜〜〜と。笑

親のことを理解してあげられるちょっと成長した娘を演じながら、まずいかぼちゃの秘密がばれずに安心したズルイ13歳の私でありました。

 

考えてみれば、嫌いとはいえ我が子が初めて作ったんだから、ちょっとだけ頑張って食べてみるよ、とか、そう言う親の鏡みたいな行動に出る人じゃなくて何よりでしたね。

 

翌日帰宅した母に事の顛末を説明しましたら、それ以来、手伝いのたびに「これはこうするのよ」と言う母の説明がついてくるように。笑

できることだけやってれば済んだ下働き人から、いきなり聞いてもいないのに教えを賜る生徒のような立場に変わりましたよ。(自主的に教えを請うたわけでもなかったためか、この当時教わったことはろくに身につきませんでした。)

 

 

食育のことはわかりませんが、当時父に秘密がばれなかったのがこの後の私メの料理人生がポジティブでいられた要因だろうと思うのです。

 


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秋の野菜シチュウ

シチュウ、とここで言うのは、要するに煮込みです。

ハ*スとかS&*とかの箱入りの「ルー」を溶かしたものとは関係ありません。笑

 

だんだん涼しくなると、煮込みが美味しく感じられますね。

 

簡単で、鍋一つもしくは二つで軽く作れます。

応用も自由自在。

 

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レシピというほどでは全くありませんけれど、、、

 

野菜シチュウ 

材料 (好みや在庫に応じてなんとでもしてください)

  • 玉ねぎ
  • 人参
  • セロリ
  • にんにく
  • ズッキーニ
  • マッシュルーム
  • じゃがいも
  • トマト
  • トマト水煮
  • ホットペッパー
  • チックピー(下ゆでしてあるもの)
  • 好みのスパイス(今日はチポートルとコリアンダー・シードの粉末、それにスモークト・パプリカ。)
  • 塩など

 

手順

野菜はゴロゴロっとした感じで存在感を出したいので、2センチ角くらいに切ります。

これを、玉ねぎから順に炒めていきます。

油でしっかり表面を炒めたい素材は、徐々に足していくにつれ鍋の底が隠れてきますので、別鍋で炒め煮(人参やズッキーニ)してから合わせるのもよし。

じゃがいもは下茹でしてもしなくても。

溶けてしまってもいいですが、形を残しておきたいので、あんまり早めに入れなくても良し。

トマトの水煮は、缶詰のものだったら油で軽く炒めると缶くささをある程度飛ばせます。

スパイスは私は大概トマトを加えた頃に入れます。

ホットペッパーは好みのものを好みの状態で加えます(乾燥、缶詰、酢漬け、なま、など)が、油で炒めるとからさが全体に広がるので最初の方で炒めるのがいいと思いますが、まあ好みで。

水分量が足らなければ、チックピーの煮汁やブロスを入れたり、水でも結構です。

 

これらを徐々に炒めて加えていき、全部合わせたら火を弱めて味が馴染むまで煮ます。

長時間煮詰めなくて良し。

味が整ったら、ご飯にかけたり、バゲットとともに食べたり、お好きなように召し上がれ。

 

これ、以前に職場でラタトゥイユを作った折に、トマトが食べられないと言う方のために、トマト抜きでマッシュルームを入れて作ったのですが、それにインスピレーションいただいて適当に作ったものです。

 

トマト、入れなくてもいいんですけれど、あったので、入れました。

なければ入れなくても。

 

ナスも合うでしょうけど、じゃがいもも入れたかったので、あんまりウリウリしてしまうとじゃがいもと合わないかなあと。

 

いや、ナスを入れる場合は私、ナス大好きなので、ナスをもっとフィーチャーしたくなるので、人参とかじゃがいもとかはあんまり入れたくないなあと感じる、そう言う個人的な好みの問題もありますね。

 

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久々にパンを買いましたが、「あ、スライスお願いしたらプラスティック・バッグに入れてくれちゃった。」スライスすれば当然中身が空気に触れやすくなりますからね、紙袋では乾燥してしまうと言う配慮でしょう。

 

フーガスはそのまま紙袋に入れてくれました。

このプラスティック・バッグは自分で焼いたパンを入れるときに使いまわします。パンの保存にプラスティック以外でちょうどいい湿度を保てるものって何があるかと随分前から考えてるんですが、、、思い当たるものがありません。

 

 

焼いたらさっさと食べきってしまえ、と言うことでしょうね。


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小銭をめぐる考察(貯金話ではありません)

ゼロ・ウェイストのブログを書かれているのあさんのこんな記事(リンク参照)を読んで(勝手に)触発されたので、今日は小銭問題に関して書いて見ます。(ゴミを減らすとかそういう話題じゃなくて下世話ですけれど。笑)

 

売り手のサービスの素早さゆえの過剰包装は問題にならない(素早くないので)おらが村ですが、別の問題があります、、、、それは、小銭。。。

 

 
 
小銭を溜め込まないようにする努力

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150周年記念で張り切ったデザインのものが出ているようですが、コインの種類はこんな感じです。

 

小銭の写真は、こちらのサイトからおかりしました。

canadiancoinnews.com

 

 

スーパーなどで買い物をするとき、支払金額の端数って皆さんはどうしますか?

金額が1585円だったら、、、

 

2000円を出してお釣りをもらうか、2000円と85円、もしくは5円を出して500円とか420円のお釣りをもらったりしますね。

 

我が家には、こんな時、小銭をわざわざ探して2000円と一緒に添えて出そうという発想がない人が一人おりまして、そのため毎日10セント、5セント、25セントと言った小銭がジャラジャラ家に入ってきます。

 

小銭ジャーがどんどん一杯になっていきますよ。(貯金してるんじゃないですよ)

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写真は http://magazine.promomarketing.com/post/the-email-money-jar/より拝借しました。

 

数年前に、幾つもある小銭ジャーを家中から集めて、全部仕分けしてまとめて銀行に持っていった事があります。

 

総額600ドルくらい。

600ドルものお金が家のあちこちに隠れていたのか、とちょっと笑ってしまった。

低金利の昨今、600ドルくらい銀行に入れたって利子なんかちっともつきはしませんけれど、それでも600ドルものお金が家のあちこちで小銭入りのガラス瓶のドアストッパーに成りさがっていたなんて。

 

というわけで、小銭はなるべく溜めないように、夫が持って帰ってくるなら私が買い物の時に出していきましょう、と。笑

 

それが、なかなかうまくはけないのですよ。

なぜか、それには色々な理由があります。

 

  1. 私が買い物に行く頻度があまり高くない
  2. スーパーなどのレジでのタイミング
  3. 北米における小銭構成の問題

 

私が買い物に行く頻度があまり高くない

食料品の買い出しを週に一度するのと、本当にこれは買わなきゃ困る、という生活用品が発生した場合に買い物に行くくらいですので、週に一度くらいです。

 

 

レストランなどの場合は大概カードで支払いをしますので、現金自体を触りませんし、請求書関係も、大概オンラインで支払うので財布の出番すらない。

小銭、はけません。

 

スーパーなどのレジでのタイミング

スーパーのレジでは、なるべく小銭を出そうと努力します。

日本のレジと違って、長い列ができていようが、店員は別の店員とおしゃべりしてゆっくり作業しますし、お客も他人を大勢待たせても自分のやりたいこと言いたいことを優先して、それが当然、という社会です。

でもね、レジで気を回さなければいけないことは支払いのみではないのです。

 

まず、こちらのレジはレジのスキャンの後その場ですぐに袋詰めをします。

日本のスーパーでは、「支払い後のかご」に「支払い前のかご」からスキャンされた商品が移されて、その「支払い後のかご」を持ってお客さんが袋詰めエリアに行って自分で袋詰めするじゃないですか、でも、こちらのスーパーは、レジでスキャンする人の横に袋詰め係りの人がいて、スキャンされた商品を袋詰めする、もしくはレジで会計をする店員が会計後に袋詰めする、はたまた地元の子供サッカーチームなどの資金集めとして子供たちが袋詰めして(チップを缶に入れてもらうのが目的)くれるか、そういう感じなのですよ。

 

他人が袋詰めしてくれるのは楽チン、、、ではなくて、「レタスやトマトなどの繊細なものを入れた上に缶詰や瓶入りのものなど重いものをどん、と置く」「豆腐など汁がきになるものをパスタや海苔など乾物の横にぐいぐい押し付ける」「バナナなど打ち身から痛み始めるから大事に扱いたいものをボーン、と放り投げる」などと言った行為が繰り広げられます。

 

「自分でやるから触らないで」というのは角が立ちますので、やっていただきつつ「あ、それはこちらの袋に入れて」などとお願いしたり、手伝うふりして繊細なものはさっさと自分で袋に入れてしまうとか、やはり手間がかかります。

 

そういうことに気をまわしつつ財布の中身を探って小銭のコンビネーションをささっと見つけるのも結構面倒なんです。

でもいつも思うんです、日本の小銭ならそれでもチャチャッと取り出せるだろうに、、と。

 

北米における小銭構成の問題
 1)25セントコインの存在

日本には5円と50円と500円がありますね。

1単位を半分に分けてあります。

これって親切だなと思うんです。

25セントのように1単位を4つに分けていただいちゃうと、0、25、50、75、と組み合わせの可能性が増えるので、小銭のやりくりも自由度が増えるのですが、面倒も増えるんです。

 

35セントを掻き集めようと思ったら、25セント硬貨一枚と10セント硬貨一枚でもいいんですけど、10セント硬貨がなかったら、5セント二枚を探し、25セント硬貨がなかったら、10セント硬貨や5セント硬貨を探し、組み合わせて35セントにすればいいだけなんですけれど、硬貨の種類と組み合わせの可能性が広がるから、「この組み合わせ、、は手持ちがない、あの組み合わせ、、も手持ちがない、、じゃあこの組み合わせ、、」と探すのに時間がかかります。

 

なぜそんなに探すのに時間がかかるのか、といえば、それは

2)1ドルコイン以外、横から見ると全部同じ色

という問題もあります。

1ドルコインはカナダの場合黄色っぽい色をしていますのですぐに見つけやすいですが、それ以外は銀色です。サイズの違いも幅の違いもありますけれど、財布の中でジャラジャラ混ざっていると、案外見間違えることもあります。

 

そして、

3)10セントコインが小さすぎでうっとおしい

これも案外時間を食います。

10セント硬貨、なぜそんなに小さいんでしょうか!5セントよりも小さいんですよ。

 

なんでこんな硬貨をデザインしたんでしょうか。

 

数年前にカナダでは1セント通貨の利用が廃止されましたので、それでかなり楽になりましたけど、それまでは1セントコインと同じ大きさの10セントコイン、暗かったりコインが汚れてたりすると見分けにくいからさらに面倒臭かったんです。

 

1セントコインが廃止された後アメリカに行った時、お釣りで1セントコインを渡された時には「あ、この国ではまだ使ってるんだった!」と。笑

最近はアメリカで1セントコインを渡されそうになったらお断りしてます。

 

 

小銭が溜まってしまった場合どうするか

日本にはありとあらゆるところに自動販売機がありますから、そこで小銭を処理することができますよね。

 

私が暮らしているこの土地では、自動販売機自体見かけません。

 

地下鉄の駅には最近でこそ機械が登場しましたけれど、現金で支払える機械は大概の駅に一台だけ、あとは全部銀行のカードかクレジットカードのみの機械です。

自動支払いレジで買い物をする場合に、支払いを現金にして小銭をあるだけ投入するという手もあったのですが、そういう人が私以外にもいて困ったのか、はたまたお釣銭を数ある機械にきちんと準備するのが面倒なのか、しばらく前からあちこちのお店の自動支払いマシンの支払い方法の選択肢から現金が消えてしまいました。

 

 

ならば飲食店でチップを溜まった細かい小銭で出しちゃえ、、、、と思いますけれど、それは嫌らしいからやらないでくれと夫に言われてしまいます。

 

結局 小銭がたまるのは全て夫のせいじゃないか、、、。笑

 

休日の夕方近所を回って「チャリティーに募金を」「小学校の修学旅行にカンパを」と言ってくる人たちにこの小銭を持ってってもらうのが一番いいのかもしれません、、、。

 

 

そういえば日本では2000円札、なぜか定着しませんでしたね。こちらでは20ドル札ガンガン使われてます。50ドルや100ドル札よりも、10ドル札よりもうんとガンガンと。


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今年もコーンの季節が到来しました

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今年も、コーンの季節になりました。

初夏じゃないんですよね、コーンの季節。8月です。8月。

あ、でもこれ、北米東北地方の気候で、という話ですよ。

日本の温暖な地域ではいつが旬なんでしょうね。

 

近所の店で、12本で3ドル。(安いですが、底値ではありません、、、)

 

私はチラシを見ずに買い物に行くので、コーンが安いことは知らず、レジに並んでいる人たちがそれぞれ大量のコーンをカートに入れているのを見て「お、コーンが安売りらしい」と気がついたのでした。

 

12本で3ドルは安いですけれど、12本もいりませんので、6本だけカゴに入れてレジに戻りましたよ。(注意書きがない限り半分持って行くと値段も半分です。)

 

コーンは、食べると美味しいなと思うんですけれど、買ってから食べるまでの間に出るゴミの量が半端じゃないので、買うのを躊躇してしまいます。

 

ゴミといっても、コンポストに入れるからいいんですけれど、これを台所で処理するとフサフサの毛みたいな部分が床に落ちたりして、後で掃除をすることになりますので、天気がいい時は表で処理するのが一番です。

 

食べた後も、芯の部分をコンポストに入れることになりますので、そのまま庭で食べて、庭の片隅のコンポストに直行させるのが一番ですね。

だからアウトドアの食べ物なのか、、、違いますかね。

 

 

ブログってメモがわりになるとは言いますけれど、まさにこうやって過去の記憶が鮮明に、、、笑。 

ブログのおかげでコーンについての知識が頭に残ってるといっても過言ではありません。この数年間でのコーン理解度の向上は大したものだ、と自分で思いますもん。

 

 

 

 

 

去年知り合った農家出身の方によると、朝採ったコーンをその日のうちに食べるのが一番美味しくて、時間が経つにつれどんどん味が落ちるということですので、今日は4本食べますが、残りの2本も一緒に茹でてしまうのが一番いいのかも。

 

茹でたコーンは冷凍してやるとさらに長持ちしますね。

 

コーンの季節には公園などで市民の皆さんに無料で茹でたコーンが振舞われる「コーンロースト」があちこちで見られます。

だいたい市とか、何かの団体が主催している夏のイベントの一環ですけれど、ローストされていないのに「コーンロースト」とはこれいかに、、とブツブツ言ってるのは私くらいで、皆さん喜んで行列に並んでコーンを食べています。

 

鮮度のいいコーンをさっと茹でる、茹で過ぎない、、これってやっぱり野菜の基本ってことでしょうか。


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