食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

荷造り、冷蔵庫処理、機内持ち込み

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クリスマスの日のデザートは、冷蔵庫の残り物活用パイでした。

冷凍庫整理で出てきたクランベリーと庭で収穫したルバーブ、そしてアーモンドミルクを作った時に出たアーモンドパルプを使って残り物活用パイ。これまた残り物のピーカンを散らして焼きました。

甘そうに見えますが、実際は酸っぱいルバーブと酸っぱいクランベリーで酸っぱい系です。

味は酸っぱいけど「えぐすぎて食べられない」酸っぱさを脱するまで砂糖を加えるわけなので、実は結構砂糖が入っているんですけどね。

 

 

出発準備は、、、

 

もうすぐ帰省します。

わー、全く準備できてませんでしたよ。

仕事が忙しくって。(言い訳)

この時期、世間ではどこもかしこもホリデー期間中のお休みに入りますが、うちの職場は土日と祝日以外は営業しております。

ボクシングデーも、クリスマスイブも。

クリスマスの当日と元日だけは祝日なのでお休みいたしますが。

 

日本にいらっしゃる方に言ってもなんてことないですけれど、これをご近所さんや職場に出入りする業者の人なんかに言うたびに「ええ?クリスマス当日しか休めないの?」と憐れんでるのか呆れてるのか、と言う反応が来ます。

 

しかし忙しい時は色々重なるもので、オンタリオに住んでる義妹が一家引き連れてモントリオールに遊びにきて、「夕方会いましょう」ですって。

私は帰国準備もあるし、連日出勤してるんで、結構焦ってるんですけれどね。

前もって連絡して調整するということを考えない人たち(夫も)だからしょうがない。笑

 

出発準備 

ちょっと家を空ける時って、旅行中の持ち物や宿とかやりたい事柄の手配などにワクワクと時間とエネルギーを使いますが、出かける直前になると、

  1. あ、冷蔵庫の野菜類、使い切っとかないと、、、
  2. ああ、お土産にこれ持って行こうって思ってたもの、買ってなかったわ、、買いに行く暇あるかな、、、
  3. お、ご近所さんに予定を伝えて鍵渡してお願いしておかなきゃ、、、

 

と、焦りが入ります。

今、焦ってます。笑

 

ご近所さんはお隣なのでいつでも行けるんですが、あんまり直前だと嫌ですから、在宅してそうな週末にでも(と日曜に連絡したら月曜の夕飯に招待していただいた。笑)

 

お土産は、、、週末はクリスマスショッピングで町中は大混雑してますから、ショッピング関係は全て避け、今回はろくなものはないと言うことで。

私の家族や友人はそういう私を知っててくれてますから、これについてはプレッシャーはありません。

パンでも焼いて持って行こうかなー。日本は食品の持ち込みにうるさくないから、こう言う時楽ですね。

と言うか、北米が厳しすぎるんだとフランスにお住いの友人が言っていましたっけ。

 

 

と言うわけで、やっぱり冷蔵庫の在庫処理が一番焦りが入ってるイシューですね。

 

 

 

現在冷蔵庫に入ってるものを有効に使わねば。

在庫はこんなでした

  • ビーツが二つ (クリスマスの夕飯に消費)
  • カブが一つ (クリスマスの夕飯に消費)
  • 人参が2パウンドの袋入りの使いかけ半分以上 (クリスマスの夕飯に少々消費)
  • 夫が買い込んだズッキーニやナスなど夏野菜(彼の好物なのでいまだに買う。笑)(これは彼に夕飯に使い切ってもらいましょう)
  • マッシュルーム2パック(彼の夕飯時に1パック利用されるのは明白)(クリスマスの夕飯に1パック消費済み)
  • 私が買い込んだ生椎茸が5つほど
  • 同じく私が買い込んだ不思議なアジア系のキノコが1パック(300グラムほど)
  • 白菜の残り(巻きが甘くてあんまり上等でなかったんですが、半分くらい)
  • レンコン(剥いて水につけてありますが、出かけるまでに使いきりたい)
  • 玉ねぎ 5キロ入りの網袋の半分ほど(使い切るのは無理。地下に持っていって長持ちを狙う作戦に変更)
  • 生姜、手のひら大のものが二つほど
  • ニンニクの茎が1束
  • アボカド(熟れてるから使わなきゃ)(朝ごはんに消費しました。ほっ)

 

これを出発までに使い切りつつ夕飯準備を。

不足分をちょうどいいほど買い足せれば良いですけど、そんなハイレベルな買い物スキルがあるのでしょうか、私。

 

旅先でエアBnBなんかに滞在した場合、チェックアウト予定日までに買い込んだ食料を消費しきらなきゃ、と言う状況と似てますね。

 

どうしようもないものは冷凍してしまうと言う手もあるんですが。

 

機内持ち込みできるのかどうか

ずいぶん前、911のちょっと後に飛行機に乗った時は、編み棒の機内持ち込みは禁止になっていた記憶があります。

編み棒で人質とってハイジャック、、、できるとでも?とちょっと可笑しかったんですけどね。

 

今回の帰省に際して、航空会社のサイトで持ち込み禁止アイテムを見てみたんですが、編み棒、載ってないんですよ。

 

あれ?今はもうどうでもよくなったのかな?

でもね、持ち込もうとしたらダメー、って言われるのも困ります。

インターネットで探してみたらありました、正解。

 

 

↓CATSAのページのスクリーンキャプチャです。

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CATSAのサイトにありました、編み棒、かぎ針、素材が何であれ、持ち込みオッケーだそう。

お分かりになりますでしょうか、下の方の、Knives and other sharp objects の項目のすぐ上に、 Knitting needles and crochet hooksとあります。

 

編み針はどんな素材でサイズであっても、機内持ち込みは大丈夫だとありますね。

 

日本行きの長時間のフライト、読書、映画、寝る、ポッドキャストを色々聞く、、、だけでは飽きます。

編み物できたらきっと10%くらいは時間を有効に使えた気分になれるのでは。

 

しかし、機内に編み物を持ち込むなら、キャストオンしてある程度は何もみないでも編み進めるくらいな進行具合のプロジェクトがいいなあ、、、じゃあ今のうちに編み始めなきゃ、、、えええ?そんな時間あるのか?と、、また焦ります。 


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ヴィーガン啓蒙活動は効果的か

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料理上手のお隣さん作、ヴィーガン・ケーキです。

今日はクリスマスですが、急遽冷凍庫の整理をしました。

探していた時には見つけられなかった銀杏が底の方から出てきた(激しく反省)のが動機。笑

写真は昨夜、お隣さんのお家での食事の時のデザートです。

黄桃のスライスが並んだ、「なんて言うお菓子?」「ケーキだよ」とのこと。笑

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ココナッツアイスクリームを添えて。雑食の皆様は乳製品のアイスクリームで食べてましたね。

美味しうございました。

 

 

ツイッターで

呟いてはいませんけれど、ツイッターのアカウントもなぜか持っている私。

 

帰国前にいろんな下調べをしていて、ふとツイッターでいろんな情報を発信していらっしゃる(ありがとうありがとうありがとう!)日本のヴィーガンのかたのツイートを見つけまして。

 

おおおお、こんなところにそんな店があるんだねえ、

おおお、東京でヴィーガンフードフェスティバルがあったんだ、

えええ、ヴィーガンフレンドリーな社食があるんだ!

へえええ、そう言うヴィーガン活動家の方が存在するんだ!

 

と日本のヴィーガンの現状を改めて垣間見たような。

 

私の目的は、自分が飲食する時に便利なお店の情報などを収集することなんですけれども、フォローしてる方がフォローしてる方とか、フォローしてる方がいいと思われるツイートとかがじゃんじゃん画面に出てくるわけです。

 

で、みたくもないのに、「前の発言にこんな攻撃された」とか、または、啓蒙的なビデオやメッセージをツイートしたヴィーガン活動家さんに対して攻撃的な反応がきている様子とかも目に入るようになりまして。

 

ネット上の匿名での攻撃って結構醜いものがありますね。

 

 

英語でのツイッターやブログの世界でも、やっぱり啓蒙系のかたはかなりこう、熱く痛く醜くツバが飛び交う口論というかなんというか、、、を体験されていらっしゃる模様です。

 

 

 

 

 

そういうの苦手なんですよー。

自分と意見が違う人だからって、怒鳴りつけたり、それと同様のキッツイ語調のコメント入れたり、そういうこと、必要なんでしょうか。

 

まあでもそういう過激な反応は、要するにリアクションなので、アクションあればこそ。

 

ヴィーガンで啓蒙活動をしてらっしゃる方(=アクション)が呼び起こしたリアクションな訳です。(アクションを否定している訳ではありません)

いや、アクションしてる方はもっとポジティブなリアクションを求めていらっしゃるんでしょうけれど。

 

啓蒙活動って、有効なのか、と疑問に思う瞬間です。

 

 

ヴィーガンじゃなかった過去の自分を振り返る

ヴィーガンになる前の数年間は、「この食品買うことってどういうことなんだろう」

と考えてぐるぐるしていた、所謂ヴィーガン転向への助走時期と捉えるとして、それよりももっと前、それこそ高校生大学生くらいの頃、自分はヴェジタリアンの友人のことを「痩せたいからなのかな?」としか捉えてなかったり、ヴェジだと言いつつたまに「今日は例外」とチキンを食べてる友達を見て「でも、そんな君のためにうちのお母さんは頑張って動物性を入れない夕飯を用意してあげてたのに?その時は動物は食べませんって言っておいて、今日は特別って言ってチキン食べるの?」と納得いかなかったり。

一握りのヴェジの知り合いの行動でヴェジってこう言う人たちなんだね、と決めつけていなかったとは言い切れません。

 

そんな当時の私にヴィーガン啓蒙家諸氏がネット上で公開してるような動物虐待ビデオを見せても心に響かなかったんではないかと思います。

 

それは、当時の私に心がなかったからではなくて、そういう啓蒙活動を受け入れる場所が心の中になかったんだと思うのですよ。

 

受け入れる場所がないところに大きな荷物を持ち込んだら「え?迷惑、何それ?」って思うのは人の常。

 

動物性食品を食べない、動物性の衣服やカバン、靴などを使わない、という決断に至るまでの道のりは人それぞれですからね。

誰かに見せられたビデオのせいで、っていう人もいるかとは思いますが、百本そういうビデオを見ても「またかよ」って思う人には全然有効じゃない。

自分で選んでドキュメンタリを観に行ったとしてもやはりそこで自分の心の琴線に何も触れなかったら、どんなに問題提起してあらゆる隠れた真実を暴露されても、「あーもー、こういうの信仰してる人たちってうざいな」で終わりです。

 

ヴィーガンになってよかったー、と思う気持ちや、ヴィーガンの美味しいレシピを皆さんとシェアして、なるべく幸せにヴィーガンになってくれる人を増やそう、というアプローチの方がどちらかといえば効果的、とは思います。

でもそれだって「なんだそれ、俺は知らないよ、肉大好きだし」で届かない人には届きません。

 

所詮他人の気持ちや行動をコントロールするなんて無理ですからね。

 

他人の気持ちや行動を自分の言論やビデオや美味しい食事でコントロールしようとするのではなくて、自分の行動の意味というか意図を他人にも理解していただきたい、と、それくらいでいないと、全世界vs自分、みたいな構図は疲れてしまって逆効果な気がします。

 

ただ、人は変わる、変わり得る、と思うので、今現在ヴィーガンとかヴェジを否定している人が死ぬまでそのままかどうかはわからないとも思います。

 

でも、その人が変わるきっかけを作ってやろう、とか、そう言うことは考えません。

それより、そう言う人が「やっぱりヴェジとかヴィーガンって変、やな奴」と頑なになってしまうキッカケにならないように気をつけよう、と言う割と消極的とも言える思いの方が強いかも。 

 

と言うわけで、私はひたすら、聞く耳を持って(ブログを読む目を持って)私のブログに戻ってきてくださる方々を相手に、ヴィーガンっておかしな宗教みたいなものかと思ったけど、そうでもないみたい、と言う印象を持っていただけて、気持ちが伝わるといいなあ、と思って書いてます。

 

さてご飯の支度に戻りましょうか。シャンペン片手に。笑


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クリスマスと多民族国家の政治的違和感

 

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なんとか年内に仕上げる事が出来ました。改善点テンコ盛り。笑

べルンド・ケストラーさんのミトン、出来ました。苦笑

試着しながら好みの大きさに作れば良いという自由さが素人には逆に難しく、最初のはちょっと大きすぎ、二つめは丁度良いサイズ、、で両手でサイズが若干違います。

BOも、アイスランディックとiコード、説明がよくわかりませんでした。

編み物ブロガー様たちの素敵な作品に刺激を受けて日々精進していきたいもの。

 

 

日本では師走。

北米ではホリデーシーズンです。

昔気質の方やPC気にしない方にとってはクリスマスシーズンです。

 

 

クリスマス=多数派文化 

クリスマスという日、北米では毎年保守的&伝統的な方vs文化や宗教のためキリスト教文化に同化していないグループやathiest(無宗教)の人たちなどの間で、違和感が盛り上がる時期でもあります。

 

 

どういうことかと言えば、クリスマスを祝う(=多数派)に対してクリスマスを祝わない(=少数派)が多数派の価値観や習慣を押し付けないでくれ、と主張し、その主張が少なくとも政治的には受け入れられているわけです。

(そう言う声が多数派に届くようになったと言うのは要するに少数派の数が増えたと言うことと、「多様性」と言う価値観が時代と共に広まってきたと言うことが背景にあるのでしょう。)

私の記憶ではそう言う会話は80年代くらいから広まったと思うのですが、当時はわたしも半分子供でしたのでその辺りの認識は曖昧。

 

昨今はソーシャルメディアのおかげで「自分と意見の違う人への激しい誹謗中傷合戦」がサイバースペースで派手に繰り広げられるため、あれ、まだこういうことで揉めてるのね、と目につきます。

 

と言うことで、キリスト教文化出身でもない人(昔は主にユダヤ系)相手に「メリークリスマス」と言うのは、多数派の文化を押し付けているわけだから、やめましょう、「ハッピーホリデーズ」って言いましょう、とポリティカリー・コレクトな表現が使われるようになったわけです。

 

ついでに、クリスマスツリーは「ホリデー・ツリー」とか、まあ色々と宗教を特定しない表現が出てきたり。

でも一方で消費文化花盛りな北米、消費活動は盛り上がり続け、買い物をめぐるクリスマス文化はユダヤ系や移民も巻き込んで今年もガンガン好調な様子。

 

 

これって北米だけ? 

欧州ではどうなんでしょうね?オーソドックスかカソリックか英国国教会か、くらいの違いがあれどほぼキリスト教文化圏な欧州ではそんな論争は存在しないのでしょうか。

今でこそ欧州にも世界中から大勢の人々が移民して定住していますけれど、北米は元々がヨーロッパからの移民が原住民を抑圧して作り上げた国の集まり。

カナダは特に、「皆が移民。出身国は違っても皆カナダ人」な建前ですから、多様性を受け入れることは政治的にも大変重要です。

 

私個人はキリスト教文化の人だなと判断した相手には「メリークリスマス」と言いますし、相手に言われても痛くも痒くもありません。

むしろ、「日本ではクリスマスは祝うのか」と聞かれる方が、またか、面倒臭いな、と感じますが、まあそれは別の話。

 

多数派以外の感情も汲んでやろうじゃないかという動きが始まって久しいからでしょうけれど、現在キリスト教文化圏人(長いな)以外の知人たちで、クリスマスを苦々しく見ている人って、私個人の知り合いには案外いません。

私が気にしないでいられるのも、実は押し付けられたり私の非キリスト教文化を否定されてると感じないからこそかもしれません。

世間には今でもやっぱりクリスマスを押し付けられて心理的に傷ついたと主張する人もいますし。

 

 

 

職場では「ホリデーパーティ」を毎年やりますが、飾り付けなどはクリスマスっぽさを控え、無宗教なものを、と上司はとても気を使っています。

でも毎年「クリスマスパーティはいつだっけ?」と聞かれたり「去年のクリスマスパーティー楽しかったね〜」と言われたりするので、あまり効果はなさそう。

 

パーティーの飾りにクリスマスらしいリースとかクリスマスツリーを持ち込みたい人たちも当然居て、上司に「それはクリスマスっぽいからだめ」と言われて不満げです。

クライアントの中には天涯孤独な人も多いので、彼らが自宅でクリスマス気分に浸ることは困難ですから、まるっきりクリスマスを奪い去るのは気の毒な気もします。

クリスマスって「年に一度、心が温かくなって家族と共に幸せを感じられる日」というような、最大のご褒美のような、そんな位置付けがあるのです。

だから、そんな日にゴチャゴチャと政治的なことや綺麗事を聞かされるのは真っ平御免だ、という反応が出てくるのも納得。

 

ハッピーホリデーズ!と挨拶されて「メリークリスマスと言って何がいけないんだ!」と怒り出す人の心理はそういうことなのかも。

 

 

どっちに転んでも気に入らなくて怒る人が出没するようです。

 

 

クリスマスって何

 

クリスマスの起源は北欧のぺガン達冬至を祝う習わしがキリスト教に吸収されたのが元だと言われています。

クリスマスツリーも、ブッシュドノエルなどクリスマスの「丸太」も、ぺガンが冬至のころにしつらえた、ユール・ツリーとユール・ログを元にしていますし、他にもクリスマス=キリスト教の飾り付けだと受け入れられているものはほとんどがぺガンの冬至祭の飾り付けです。

赤い衣のサンタクロースはコカコーラの色ですけれども。笑

 

そんなわけで、純粋なキリスト教の教えのみに従う、クリスマスを祝わないキリスト教宗派は案外色々あります。

だから「クリスマスは宗教の祝日」とも言い切れない。

 

今年の冬至は12月21日でした。

北半球ではこの日を境に日照時間が再び増えていくとても嬉しい日。

自然の摂理として、どんどん暗く寒くなっていく日々が終わり、日に日に明るくなっていく、季節の折り返し地点。

 

ぺガン達(キリスト教に改宗していない野蛮な人たちという意味合い)が祝った真冬のお祭りも、それを取り込んだクリスマスも、本当のところは両方とも、辛くて暗い冬に何か楽しみに待ち望めるイベントを持ってきたいという心理や、辛いのはこれで一旦終わりで、これからは少しずつ明るくなっていくよ、という希望にあふれた思いが根底にあると私は勝手に思っています。

 

 

 

冬至を祝う人たちって別にぺガンやキリスト教徒だけじゃないですしね。

 

日本より半日遅れの北米、クリスマスのご馳走はまだです。今年も大したことはしませんが。笑


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見かけは悪いですけど、めちゃ美味しい

料理写真って美味しく撮ろうとすれば、いろんな可能性がありますが、食べることを主眼において作ってる日常だと、記録としては撮るけど見栄えはまあいいや、と思ってしまうブロガー失格な私。

でもいいんです。笑

人は見かけじゃないと言いますが、料理も味で勝負です。笑

最近美味しかったものをメモしておきます(後日自分がメニューに困った時のインスピレーション用)

 

紫玉ねぎサラダ

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紫玉ねぎのサラダ

 レタスやトマトのサラダは夏にしか食べませんが、大根や玉ねぎや海藻を使った生野菜はいい野菜が手に入ったらやります。

この紫玉ねぎのサラダは、スライスした紫玉ねぎとザワークラウト、マスタード、ヴィーガンマヨ、お酢、をなんとなく混ぜ合わせてみたもの。

酢醤油とか酢味噌とかでもいけたかも。

 

Chocolate&Zucchiniの焦がしブロッコリのサラダ

アボカドってちょうどいい具合に食べる時に程良く熟れてるっていうタイミングがなかなか難しいと感じますが、そんな折にはやっぱりこの、ブロッコリーの焦げ目なローストと合わせたサラダが食べたくなります。

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ものすごく美味しいのに見栄えは悪い。でも美味しいんです。

 

クリーミーなアボカドとタヒニ、それにレモン汁のバランスが絶妙で。焦げてるブロッコリーのスモーキーな風味とカリカリっとした舌触りとのバランスも。

ううう、もっと食べたい。

ブロッコリがローストされて傘がグンと減るので、たっぷり使ったつもりでもすぐに無くなるのですよ。笑

レシピはこちらのブログから。でもぱぱっと作るので今や自己流になってます。

cnz.to

 

永遠の時短料理・野菜炒め

野菜炒めなんてレシピをみて作る人もいなければレシピを書く人も居ますまい。笑

私の中で野菜炒めは所詮「学生の貧乏料理」ですが、職場でランチをするときのメニューに困って、クライアントの皆さんに「何か食べたいものはある?」と聞くと、必ず誰かが「野菜炒め」と言います。

そんなものでいいのか?と戸惑いつつも野菜炒めとご飯を作って出すと、「わー、野菜炒めだ!」とものすごい盛り上がったりします。

不思議です。

 

私の定番はキャベツとかガーリック・シュート(もしくはステム)(日本語ではニンニクの茎?)をシャキシャキの基本に、そこに柔らかめなマッシュルーム系や玉ねぎなどを入れ、あれば豆腐とか偽肉大豆ミートなども入れたり入れなかったり。

野菜の種類を増やしてもいいけれど、基本と柔らかめとタンパク質、という三本立てで3〜4種類くらいで作るのがいい感じな気がします。

 

そんな感じで日本食のタリ・プレートできました。

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野菜の美味しさを集めたプレートです。地味ですが旨いです。

味噌汁は大根とじゃがいもと玉ねぎ、それにワカメ。これも安定の美味しさ。

大根はおでんの大根の面取りをして出てきた細いひょろひょろも入れているので、大根たっぷり汁です。

 

疲れて帰宅して手抜き、、、が連日なんですけど、こういうのは自分も好きだし夫も喜んでるのでよしとします。 


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触れ合うレベルは私次第で良いですよね

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いわゆるチョコレートチップスは植物油と砂糖と色素にちょっぴりココアが添加されたるような感じで、全然チョコレートじゃないので、製菓用の溶かすチョコレートを半分に切って使ったヴィーガン・チョコレート・チップ・クッキー。前に作った時は時間をかけてチョコレートを四等分しましたが、今回は面倒で半分にしたのみ。故に夫いわく「ものすごい大きなチョコレート入りクッキー、こんなの初めて」

クリスマス・クッキー、遅々として進みませんが、まあいいや、と。

このチョコレートチップクッキーはOvenleyのレシピで、北米ではハズレのない確実な美味しさ。(日本では甘すぎるとか言われる可能性はあり)

ヴィーガンです。

 

 

casse-pied.hatenablog.com

 

 

人と人とのふれあいって、、

最近SNSでたまに見かける「親子で唇でキスするって、おかしい、不健全だ、子供の将来を考えると放っておけない」というご意見。

 

子供を持っていないので、あまり身近な問題としては感じていなかったんですが、ちょっと前にマモさんのブログで「イギリス人にとっては仲睦まじい親子の写真。何の違和感もない」とあって、ああそうなのか、イギリスでは普通なのか、と。笑

 

pan-panpan.net

 

考えてみれば、私の友人イギリス出身者も、唇でチュッと挨拶したりしますし、義母ともお別れの時にはチュッとやってました。(義母とはかなり仲良くなってからでしたけど。笑)

 

日本で一般的に友達や家族の間で行われる触れ合いの度合いは、あまりべたっとしていないというか、キスなんかは口であろうと頰であろうと、はたまた手の甲であろうと、そんなものは「外国の映画などの話であって、現実にはやらない」ていう感じですよね。

 

日本では、必要もないのに相手の体に触るってこと自体あんまりなかったような。

その一方で、たまーに、仲良くなったかなと思う頃に、ちょっとした冗談とか何かのおりに、笑いながら二の腕とか肩を叩く人、、、て居ましたね。

 

全員がそういう行為をするなら、それは日本文化?とも思えますが、愛情表現的に人のことを叩く人って、十人居たら一人くらい?

いや、数えたわけじゃないので本当のところは知りませんが、叩かれて「いや、なんで叩くの?痛いやん」とびっくりする程度の頻度でした。

 

そういう方に速攻で「私は叩かれるのは嫌いなので、やめてくれ」と言えたらいいんですが、会話の合間に自然に素早くバシッとやられるので、「え?」と途方に暮れてるうちに会話は進み、何も言えないうちにその場がおひらきになったりして、はっきりと「やめてくれ」と言えた記憶はありません。

 

叩く、っていう形で触れてくる人は今の所居ませんが、北米にも何かと、肩とか肘とかに触れてくる系の人は居ます。

指で突っついてくる人も。

あと、肩ハグしてくる人も。(両手ではなくて片手でこちらの肩に腕を回してきてぎゅーっという感じ)

 

会話の流れで「あ〜、も〜、またそんな冗談ばっかり言って〜ははは〜」っていう感じでくるので、触れられたりつっつかれて、ギョッとしても、なんというかはっきりそこで「それやめてくれないかしら?嫌なのよね」って言えないというか、言いたいと思うんですが、あっけにとられてしまうので、ついそのきっかけを逃すんですよね。

 

なので、触る系だな、と認識した相手とは距離を置く、そうしてます。笑

 

面白いことに、こういう系の方は友人関係の方たちの間には存在せず、職場関係の方ばかり。(クライアントとか同僚とか学生とか。)

 

友人だったらもうちょっとはっきり言いやすいし、友人だったらやっぱりそこらへんの個人的な好みは理解してくれているから、触る系の人も我慢してくれてるのか、もともとそういう感じの接し方をする人たちとは近寄らないようにするから親しくならないのか、、、卵が先か鶏が先か、、、、。

 

 

触るんじゃなく、握手の延長的なふれあい 

そういうのとはまた別に、やっぱりお辞儀や握手や会釈が基本の日本人には抵抗がありがちかなと思われるのは、欧米人の挨拶のハグとかキスですよね。 

 

前にも書いたかもしれませんが、私はこっちから積極的にハグやキスしに相手に向かうことはあまりありませんが相手がこちらにそういうジェスチャーをしつつ近寄ってきたら、拒絶はしません(友人や親戚のみ)。

 

職場ではハグやキスは一切しないという姿勢で望んでおりますので、それでもぐわっとやってきてしまう情熱的な方を除いては、基本的に一切行いません。

 

いろんな文化圏からきた人たちが共存している都市部ですので、ハグ文化で育っている人でも他人を思いやれる人はちょっと様子を見て(こちらがハグも大丈夫だと判断した上で)迫ってきますし、基本的には問題ないです。

 

ああ、でもでも、そういえばオンタリオや英語圏のカナダの方たちと挨拶するときのハグは、あんまり好きじゃないのでした。

ケベック州ではハグよりも比較的両頬にチュッチュ、とエアキスをする(本当にすることもありますが)挨拶が一般的(よその州から来た人や移民もいるから、一概にはいえないですけれど)なのですが、それに慣れてると、ぎゅーっと胸板を押し付けられるハグ、暑苦しー、と感じます。

まあ相手との関係や距離がやっぱり大きいですけどね。

親子とか家族、親友とかパートナーだったら、むぎゅーっと好きなだけハグしたりキスしたりしますよね。

 

日本の親ともハグします。

子供の頃はほっぺを合わせて「好き好きー」とかやってましたが、流石にそれはもうお互いやりませんけれど。笑

だから、親子の唇と唇でキスも、そんなに心配するようなことじゃないだろう、と言う気はしますね。いや、他人が心配する必要は全くない、と断言しましょう。

 

 

所詮北米はピューリタンの名残り濃い土地ですから、ハグは良くてもキスはダメ、と言うことなのかもしれませんけれど、多様性を受け入れなければ。

 


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