食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

卵好きだった私が卵を辞めた理由

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今年のクリスマスの朝食は、豆腐・スクランブル(ブラックソルト入り)といつものホームフライ、ベイクド・ビーンズ、トースト、そして、無礼講だということで朝からバブリー(スパークリングワイン)です。日本の正月の朝みたいな感じです(って私の実家では正月の朝は日本酒なんです。お屠蘇は誰も飲みたくないので。笑)

 

豆腐・スクランブル、あの後も何度かやりました。

私はミディアムのが結構好きだったんですが、夫は硬めのfirmの方が好みなよう。

その中間を目指して見たいので、次はミディアムを水切りしてやってみようかな。

とも思いますが、あんまり連発すると飽きるので、この週末(そういえば大晦日と元旦ですね)はやめておきましょう。

 

私の職場はホリデーシーズンも閉めないので(家族がいなくて行き場のない人たちが来る場所を提供するため)クリスマスや元旦が週末になっちゃうのって、祝日以外に休みのない私のような人にはちょっときついですね〜。

どうせ出勤しても、それほど忙しくはないのですが、やっぱり休みで家にいてやりたいことをやれるのと、朝起きて支度して出かけて、夕方帰宅して、、、というのとは違いますよね〜。

そんなわけなので、今年はますますおせち料理から遠ざかる予定のこの週末、いや、年末年始。

なーんか適当に和食っぽいのを作って食べられたらいいなあ、、、程度ですね。年越しそばくらいやろうかな、、そばの在庫、あったかな?買いに行く暇はもうありません(職場と家の往復の毎日なので)

 

さて、ヴィーガン・スクランブルついでに今日は私と卵の個人的な思いについて書いて見ますね。

 

卵好きだった私が卵を辞めた理由

鶏卵は値段の上昇が物価の上昇に比べてとても少ない食品ですよね。

私の母などよく「お母さんが結婚した当時と今とでは卵の値段はあんまり変わってないのよ〜、昔は高いものだったけど、今は安いね〜」と言っていました。

現在の日本での平均的卵価格はいかほどなのか、私は知らないのですけれど。

 

一般的にサイズ表示のみで棚に並んでいる卵は、いわゆるBattery cage、バテリーケージ、で飼育されている鶏の産んだ卵ということで、身動きの取れない狭苦しい檻の中で卵を産むマシンとして一生を過ごす鶏のストレスたるや、、。

Battery cage - Wikipedia

日本の鶏卵の92%はこのBattery cage の鶏の卵だそうです。

バタリーケージ:日本の状況を知ろう | 畜産:動物はあなたのごはんじゃない|NPO法人アニマルライツセンター

 

 

ということで、動物愛護や倫理観や財布の余裕といった現実と鑑み、人々はFree rangeの卵を買ったりしますね。

 

Free rangeの卵、カナダの法律では、実際の鶏卵農家の飼育状態が バテリーケージでないかどうかの査定は義務付けられていないのに対し、オーガニックの場合は義務付けられているので、確実にFree range であると信頼できるのは、オーガニックのマーク入りのもののみです。 

 

私が卵を食べていた当時、Free rangeの卵は1ダース大体5ドルくらい、そう言ったことが一切書かれていない「安い」卵は1ダース3ドルから3ドル50セントくらいだったかと思います。

たまに、1ダースで2ドル50セントなんていう安売りもありますが、卵一個あたり20セントって、それで小売店も鶏卵農家も輸送会社も利益がほんのちょっとでもあるって、信じられませんね。

「普通の卵」を買う人にしてみれば、一つの卵あたり15セントほど上乗せすると「Free range」の卵を買えるし、倍ちょっと支払えば、確実にFree rangeなオーガニック の卵を買うことができるという計算です。

でも、Freee rangeという定義でも巨大な建物にぎゅうぎゅうに大量に詰め込まれた鶏たちが、ストレスを感じて生きていることには変わりがなく、罪悪感を感じないで卵を食べるためにちょっと余分にお金を出しているだけ、なことには変わりがないわけです。

 

私がそれを実感したのは、田舎の農業地帯にたまにある、「卵売ります」の看板を見て、夫と一緒に本当に鶏があちこちを歩き回っている農家の庭先に車を停めたときです。

奥の建物からおばちゃんがでてきたので「卵をください」というと、「ごめんなさい、今日はもう売り切れたのよ」と。それが、午後3時くらいのことです。

 

もう売り切れたの〜?

よっぽど人気の卵農家なのかな?と一瞬思いましたけれど、後から考えると、本当にその辺を歩き回っている鶏の卵を毎日一匹につき一つづつ集めて、12個で1パックとして、何パックくらい売ることができるんだろう?と。

鶏の体は、24時間で一つの卵しか産みませんからね。しかも、産む場所は農家が操作して同じ場所に集めることにしているわけでなければ、誰がどこで産んでいるかわかりゃしない。

しかも、産んだ鶏にとっては卵は我が子ですから、人間が手を伸ばして取ろうとすれば、つついたり威嚇したりして守ろうとするでしょう。

そういう自然の摂理に従った飼育法だと、卵を効率よく収穫して消費者の需要に合わせて販売する、なーんてことは難しい。

だとしたら、本当の意味でのFree rangeの卵が、8ドルやそこらでいつでも店に並んでいるなんて、あり得ません。

農家が、労働者にきちんと賃金を払って、その労働力が、あちこちフリーに歩き回ってる鶏が、あちこちに隠れて産んでいる卵を回収して、それが末端価格で12個で8ドルという値段になるような廉価で販売できるとは思えません。

結局オーガニックだろうとFree rangeだろうと、大量生産を効率的にして利益の拡大が優先されることにはかわりないわけです。

 

実は私の夫の両親は、鶏卵を生産販売する「チキン・ファーマー」でした。

引退できるだけの蓄えができたらさっさと引退して、農場は人に売ってしまいましたし、元々好きでやっていた仕事というわけでもなく、こんな仕事を子供達が継いで続けることは望ましくないからと、夫やその兄弟姉妹には、きちんと教育を受けてもっといい仕事、自分が望む仕事につけるように、と育ててくれたのです。

 

そんな次第で夫は鶏卵の生産事情に結構詳しい。

 

まず、鶏は卵を産むことのできるメスだけに価値がありますので、オスのひよこは選別されて殺されますよね。

この選別をする人を「Sexerセクサー」と呼びます。

 

セクサーの仕事は、ぴよぴよ言ってるヒヨコをかたっぱしから取り上げて「メス(は生き残るほうの箱に落とす)、オス(は殺されるほうの箱に落とす)」と識別し続けるのこと。

鶏卵農場の規模にもよりますが、大体はベルトコンベアーでどんどん運命の分かれた別々の性別が別々の行き先へ運ばれていき、殺される方はまとめて圧縮死とかガスとか、何かしらの「低コストで効率的な」方法で殺されるわけです。

 

卵が一つ生まれてくるまでに犠牲になる命の数や、どうやって犠牲になっていくのかを考えると、動物の命を奪って初めて食肉用に加工できる肉と卵、どこが違うんだ、と感じないではいられません。

 

生き残ったメスのヒヨコは、その後で、「バテリー・ケージ」と言われる狭い仕切りの中に押し込められて、夜昼のサイクルを早めて産卵が促されるような環境で飼育されます。

フリーレンジ(自由が与えられた飼育環境)と言われている鳥たちは、一日の中で限られた時間だけ仕切りの中から出してもらえます。

出してもらえる場所は、広大な養鶏の建物内。何万羽もの他の鶏と一緒に仕切りから出た状態とはいえ、混雑した芋洗状態です。

自由に走り回れるからそれはいいんじゃない?と思いがちですが、鶏はある程度の空間内にある数以上の同類の鶏が存在すると、ストレスからか何からか、弱い鶏をいじめて殺そうとするんだそうです。

また、そう言った広大な建物には何メーター間隔かで仕切りがあるものなんだそうですが、それがないと、例えば建物の右のはしで大きな物音がしたら、びっくりした鶏は一斉にパニックに陥って左側へ大挙して避難するんだそうですが、なんせパニックなので、大挙して狭い一箇所へみんなが押し寄せることで、窒息死する鶏が出てくるそう。

それを防ぐために、一気に団子状に固まってしまえる数を制限するべく仕切りを作るんだそうです。

 

鶏が農家の広い広い庭を好きなようにヨチヨチ歩きまわっている、、というそういう図とは全く異なりますよね。

でもこれ、フリーレンジです。

バテリーケージに比べて、どこらへんがマシなんでしょう、、ちょっとはマシでしょうかね?

 

鶏がたくさん飼われているこう言った施設の近くを通ったことがある方ならご存知かと思いますが、たくさんの動物をこうやって飼育すると、やはり匂いも結構すごいんですよね。

清潔に保っているつもりでも、小さな動物がものすごい数、狭いところにひしめいています。

だから、伝染病になったりしないように、と抗生物質が使われています。

そういう薬品類を摂取した鶏が産む卵だから、多分残留薬品(というんでしょうか)が卵の中にも残ってると思うんですよね。

そうすると、ひどい生育環境で一生を過ごす鶏も悲惨ですが、本来なら摂取するつもりもないような薬品を卵経由で摂取してしまう消費者もいい迷惑ですよね。

 

卵って美味しいし、ケーキを膨らませたり生地をまとめたり、、万能選手で料理やベーキングにはとても重要な食材ですけれど、何の疑問も罪悪感も恐怖も感じないまま食べ続けることはできないな、と思うようになりました。

 

卵は大好きでしたし、ふわふわのシフォンケーキとかプルプルの茶碗蒸しとか、美味しいものを作るのも好きでしたが、卵を使うたびに 気持ちがすっきりしなかったのです。

少しでも罪悪感を感じないような卵を、、と思いましたけれど、結局、そんなものは手軽にそこらへんのスーパーには置いてないんだと。

 

食べる頻度をだんだん減らしていき、最後に食べた一つの卵の、濃厚な味は、「これが私が好きな卵の味なんだ」という思いと同時に、なんだか生臭くも感じまして、それならもうこれで食べるのはやめにしておきましょうと思った次第なのです。

  

 


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