食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

老後について、ほんのすこし考えてみた

私は世間でいう、いわゆる中年という年代です。

日本ではいつの頃からか、アラサーとかアラフォーとか、そういう言い方が普及したようで、ナンノコッチャ、と思ってましたが。

自分がアラ*なのか、特にここで表明するつもりはありません。

 

でもまだまだ現役なワタクシ、仕事でクタクタになった時とか、クリスマスと元日が日曜日だったせいで、この時期一日も祝日がなかった今シーズンなど、「あああああ、もっと歳とってたらリタイアしてのんびり生活できるのに!」

などと思ったりもします。(歳とってても蓄えがきっちりできてないとリタイアできませんけども。)

 

 

でも、リタイアってやっぱり先のこと、先の、ちょっと不安なこと、ですね。

 

知り合いにほんの数人ですが、羽振りが良くって、50代になってすぐにリタイアしちゃった人がいらっしゃいます。

 

いいなあ、私も今のうちに転職してお金稼ぐことに気持ちを集中して、50になったらリタイアしたい、、などとも思いますが、まあお金を稼ぐ才能がある人とない人がいますしね、現実と向き合わねば。

 

健康のこと、収入のこと、色々と老後といえば気になることはありますが、私、食いしん坊ですので、一番気になるというか、これをクリアできないうちは如何にもこうにも安心してボケられないわ、と思うことがあります。

 

 

はい、老後の食事です。

 

 

私は日本出身ですので、やっぱり北米の病院食とか老人ホームで出される食事とか、ああいうのはダメなんですよね。

 

病院食ならせいぜい3泊くらいで終わるから我慢もできますが(こちらはベッド不足が深刻なので、同じ病気の人が日本で入院すると二週間くらいのことが三日だったりするのです。)老人ホームだったら、死ぬまでずっと、毎日。

 

以前、老人ホームにボランティアに行っていたことがありまして、

 

90歳なのにめちゃくちゃ元気な(でも電動車椅子で移動なさっていた)ムッシュ・T、彼は老化のせいもあり、味覚がちょっと衰えていたフシもあるのですが、ホームの厨房も栄養士の指導のもと、減塩、ローファット、などの健康食を提供していたようで、毎回お会いするたびに

「自分はね、神様に余分に時間をもらってこんなに長生きしてるんだよ、だから、もっと長生きしたいなんて全然思わない。明日死ぬかもしれないけどそれはいい。だけど、今夜が最後の夕食かもしれないと毎回思うのに、食事が味も素っ気もなくてやってられない」

とこぼしていました。

 

現に、一緒に食堂に同伴して、テーブルに着いたムッシュ・Tとお話を続けていると、テーブルに届けられたお皿の上のパスタとトマトソースは、見るからにゆですぎなパスタに、トマトの水煮缶をそのまま上にぶっちゃけただけ?なようなソースです。

「まずいんだ、味がないんだ、食べてみる?」

なんて言われましたけど、試食するまでもなく、それは本当に味気なさそうなパスタ。

 

夕食は大概、メインの料理に炭水化物が組み合わされ(便利なのでパスタが頻出)アップルソース(プッチンプリンみたいな感じでプラスティックの容器に一食分がパッケージされたもの)クラッカーが二枚袋に入ったもの、密閉パックのチェダーチーズ(ローファット)の一食分、オレンジジュースのパック入り一食分、そんな感じでした。

 

病院食と基本的な路線は同じです。

 

栄養士が「たんぱく質、ビタミン、鉄分、炭水化物、、」とチェックしたもので、北米の一般的な人々の食事のパターンに寄り添ったようなものです。

 

これを渋々口に運ぶムッシュ・Tが気の毒で。

 

塩気がないんだと言って、どこからかもらってきてポケットに忍ばせていた小さな紙製の小袋に入った塩を取り出してちょっとふりかけ、「これを見つかると部屋を捜索されて没収されるから、見つからないようにやらないといけない」と。

 

日本でもきっと、病院や老人ホームで食事を供される場合は、減塩とかローファットとか、そういう「健康志向」なものが出されているのだと思いますし、病院食なんかはどうしたって家で家族が調理した食事やレストランなどの食事に比べたらまずいと言われているとは思うんですが、こっちのは、ちょっとレベルが格段に下がります。

 

自分の体がヨボヨボになって、買い物も満足にできなくなって、料理を作る体力もなくなって、行政のサービスなどが介入してくるようになったら、ムッシュ・Tが食べてたような、あんな食事を与えられるんだろうなあ。

 

と思うと、本当に、自分で自分の世話ができなくなった時が年貢の納め時というか、これは辛い、辛いという言葉では表しきれない。

どうにか避けられないものか。

 

歳をとるということは、だんだんと自分のことが自分でできなくなっていき、若い世代の人たちに身を委ねるようにならざるを得ないことなんだと思います。

 

コロッと逝ってしまいたいですね。

人に世話されるくらいなら。

 

というのは多分万人の希望するところ。

 

うちの祖父も毎年正月になると言ってました「わしは今年こそ死ぬぞ。」と。

正月早々そういうことを言うのはやめてくれ、とか、おじいちゃん毎年それ言ってるけど毎年ちゃんと生きてるから今年も大丈夫だよ、とか、家族は毎年祖父にそっけない返事をしてましたけどね。笑

 

祖父は、死ぬときはさっと死んでしまいたいといつも言っていましたが、癌で長患いをして、苦しんで逝きました。

 

希望することがいつも叶うとは限らないけれど、あんなに毎年希望をはっきり表明してたのに、全く逆になるなんて、かわいそうでしたね。

 

 

それを思うと、自分も、老後は希望の全く反対の、まずーい北米デフォルトの「健康志向な味気ないパスタ」を毎食食べて老いていく可能性は高い!

 

 

ものすごく蓄えをしっかりして、プライベートで美味しい食事を提供するサービスを雇うか、もうちょっと食文化が豊かで美味しいものが割と普通に食べられる文化圏に移住するか、、、、

 

どちらも現実味がないですねえ。

 

せめて私が老人ホームにお世話になる頃には、ヴィーガン・オプションも普通にありうるような社会になってるといいですけどね。

 

ああ、それでもやっぱり、ナッツとスムージーばかりでは食いしん坊の私、満足できませんから、ヴィーガンでなおかつ美味しいもの、、、が一般化してくれるといいなあ。

 

そういう社会にしていくのは自分たちですから、私もせいぜい地元で人々と話す機会があれば、美味しいヴィーガン・ダイエット、広めていきたいと思います。。

 

 

 


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