Foerの「Eating Animals」
Eating Animals Jonathan Safran Foer (2009 Little, Brown Company)
つい先日読み終わりました。
著者が、結婚、初めての子供の誕生をきっかけに、それまでなんとなく始めたりやめたりを繰り返していたヴェジタリアニズムについて向き合うため、「生き物を食べる」ことについて調べ、自身の考え方を整理しようとした試みのドキュメントです。
NY Times で出版当時、Michiko Kakutaniにひどいレビューを書かれていますが、私個人はKakutani氏のレビューはポイントを外しているというか、読んでないんじゃない?と思います。
ヴィーガン・プロパガンダではなくて、ファクトリー・ファーミングに知らずにお金を投資しているも同然な北米の一般消費者に、その問題点、オルターナティブの小規模畜産農家たちの活動や北米の食糧生産・消費の仕組みの限界などを提示しています。
北米のファクトリー・ファーミングの現状については他の書物でもネット上でも見聞きすることはできますけれど「ほら、こんなにひどいんだぞ」で終わらず、ファクトリー・ファーミング関係者、オルターナティブの畜産農家などあらゆる立場の人々の声に耳を傾けて、最後には著者は一個人としてどう向き合うことにしたのか、その考えを語っています。
ヴィーガンの私が読んでも、所詮はPreaching to the choirみたいなもんですけど、ヴィーガンではない人々と食事をする場面で、食に対する考え方の多様性を踏まえて、肉か、肉じゃないか、という二元論を超えてコミュニケーションするのに著者のアプローチは参考になると思いました。
肉食派にもヴィーガンにも迎合していて結論を避けている、という批判もあるようですが、何を食べるべきだ、と読者に指示を出すのが著者の意図ではないのは明らかだと感じました。
この秋、ドキュメンタリー・フィルムも公開されるようですね。ナタリー・ポートマンがナレーター兼プロデューサですって。
初めての夕食作り
食育っていう言葉は私が子供の頃にはありませんでしたが、フルタイムで働いていた母が帰宅後に夕飯の支度をする手伝いは「させられて」いました。
慌ただしいので、いちいち説明をしなくてもできるような、子供でもできるような作業が主でしたけどね。
私が実際に夕ご飯を一人でこしらえたのは、13歳の頃でした。
始めから終わりまで母の指示なしで作業したのはこの時が初めて。
いくら普段見ていても、いきなり一人では何もできないんだと実感しました。
当時、我が祖父母が両方とも癌で入院してしまい、両親が交代で、祖父の病院に泊まり込みで世話しにいっていたのです。
祖父は他人に色々世話されるのが嫌だったようで、プライベートの看護人の方をお願いしても、1日もしないうちに勝手にクビにしてしまっていたので、両親が行くしかなかったようで。笑
初めての夕ご飯は、そんな折、母が泊まりで父が在宅の晩でした。
献立は、ご飯、味噌汁、かぼちゃの煮付け、卵焼き、多分それに柵で買ってきて切り分けただけの刺身が数種類、父の晩酌もありますからね。
ご飯と味噌汁は大したアクシデントもなく仕上げ、(ご飯は炊飯器がやってくれますしね)
卵焼きも、毎朝私の担当だったので、大したこともなく。(考えてみると、当時の私にでもできるメニュー=朝食メニューだったんですね。)
問題は、かぼちゃの煮付け。
誕生日のおかずは卯の花と昆布巻きが食べたい、と言うような、煮物が好きな子供だったんですけれど、かぼちゃの煮たものは作るところを注意してみた覚えもなければ、どういう手順で作るのか聞いた覚えもなかったのに、なぜだか「できるよ」と母に言ったんですよね。
若い頃って、無知なのに恐れ知らずと言うか、そう言う傲慢さってありますね。
私だけ? いえいえ、これは、脳の発達段階で、思春期の子供はそういうもんなんです。
多分魚とか筑前煮とか、そういうのだったらはっきりと「自分には手順がわからない」と認識できたのでしょうけど、かぼちゃと玉ねぎだけですからね、他に何があるっていうのよ、とでも思ってたんでしょう。
なぜだか、どうやったんだか覚えはないのですけれど、割とホクホクしてていいかぼちゃを、玉ねぎの薄切りと一緒に適当に煮て、見かけは本当に美味しそうなものを大鉢に盛り付けて、卵焼きやなんかと一緒に食卓に並べまして、「お父さん、ご飯だよ」と。笑
父は「おお〜、立派な食卓じゃないか、お前もなかなかやるなあ」なんて褒めちぎりながら席に着き、刺身をつつきながら晩酌を始めました。(刺身は私が調理したものじゃないんですけどね。笑)
私も刺身をつつきながらご飯を食べ、さてかぼちゃ、とかぼちゃを小皿に分けて「お父さんもかぼちゃ、食べてよ、美味しいよ(まだ自分も食べてないのに)」と言いながら一口食べてみて、びっくり!
「ぎゃ~っ!味がない!」(←心の声)
なぜか味付けという作業をすっかりすっ飛ばし、ただかぼちゃに火を通して、ホクホクの煮物っぽいものを作って悦に入っていたのでした。
間抜けな自分にびっくりしつつ「そうか〜、味、つけなかったから当然ついてないよなあ」と納得。
どうやって作ったんだか、今となっては全然覚えていません。
でも見てくれだけは本当に良かったんですよ。(=料理は見てくれじゃなくて、味が大事だという教訓ですね。)
実際には、味がないというよりは、ウリ科の植物にありがちな青臭さが若干あって、ホクホクの舌触りと青臭い匂いが漂う、なんともいえないものでした。(一言で言えば、まずかった。)
これを父に知られたら、絶対に一生笑い話にされる、と思いまして、非常に焦ったのを覚えてます。
ところが、地獄に仏じゃないですけれど、父が言うのですよ、
「いやあ、お父さん実は、かぼちゃとか芋とか、嫌いなんだよ。」と。
父は、子供に偏食をさせないための子育ての方針として「親はなんでも食べてる」をずっと演じてきたんだけど、そろそろもうその役は勘弁してよ、とバツが悪そうに笑いかけてきました。
「13歳なんだし、娘もそれくらいは受け入れられるだろう」と思っていたのでしょう。
私は「えええ〜?知らなかった!そうだったの?」と妙に驚いて見せ、、
内心は、笑い話になる憂き目は見ずに済むわ〜〜〜と。笑
親のことを理解してあげられるちょっと成長した娘を演じながら、まずいかぼちゃの秘密がばれずに安心したズルイ13歳の私でありました。
考えてみれば、嫌いとはいえ我が子が初めて作ったんだから、ちょっとだけ頑張って食べてみるよ、とか、そう言う親の鏡みたいな行動に出る人じゃなくて何よりでしたね。
翌日帰宅した母に事の顛末を説明しましたら、それ以来、手伝いのたびに「これはこうするのよ」と言う母の説明がついてくるように。笑
できることだけやってれば済んだ下働き人から、いきなり聞いてもいないのに教えを賜る生徒のような立場に変わりましたよ。(自主的に教えを請うたわけでもなかったためか、この当時教わったことはろくに身につきませんでした。)
食育のことはわかりませんが、当時父に秘密がばれなかったのがこの後の私メの料理人生がポジティブでいられた要因だろうと思うのです。