食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

ポテトリーク・スープと無・クリスマス

昨日は珍しく仕事先で夕方ミーティングがあり、ずるずると帰宅時間が遅くなりました。

こういう時は、楽な夕飯メニューに限ります。

 

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というわけで、ポテト・リーク・スープと日曜に焼いたパンで夕飯です。

質素でしょ。笑

 

ポテト・リーク・スープは手軽で簡単です。

リークは旬に安く出回ったら大量に買い込み、刻んで2本ぶんくらいをまとめて冷凍しておきます。

それを冷凍庫から出して、厚手の鍋でオリーブオイルでじっくり炒め、炒めてる間にジャガイモの皮をむき、サイコロに切っておきます。

ジャガイモは以前は下ゆでして使っていましたが、最近はサイコロに切った後で何度かすすいで、そのまま鍋に入れることが増えました。

ちょっとアクが出るのでそれをすくってやる手間がかかりますが、下ゆですると洗う鍋が一つ増えますし、茹でることで栄養がちょっと出て行ってしまうかな(アクも出て行きますけれど)と思って。

 

冷凍したリークを炒める時は、最初にきちんと解凍しておくならパパッと炒められますが、今日みたいに帰宅後ハイハイ、と冷凍庫から出して来たものはブロック状ですので、鍋に油を敷いてドカンと入れた後、蓋をして火を弱めてしばらく蒸します。

それでいい香りがして固まりが崩れて来たらさらに全体的に炒めまして、ジャガイモを入れ、ブロスを入れ、蓋をしてジャガイモに火を通してから味付けし、イマージョンブレンダーでピュレ状にしてから豆乳を加えて温める、、、それだけ。

 

日本の人は朝ごはんにスープを食べたりするから、この夕飯はまるで朝ごはんのように感じるでしょうか。

でもね、夕飯はこれくらいさっぱりしてる方がいいんですよね。

朝昼晩の食事の重さ、金銀銅って言いますしね。

 

 

クリスマスはどう祝うか

 

今日は職場でパーティーでしたよ。

 

あー疲れた。

 

スタッフですので、みんなと楽しくおしゃべりする合間に台所で食べ物(前日や朝のうちに用意してあったもの)を並べて出したり戻ってきた皿やなんやを片付けたり。

 

うちの職場は宗教は関係ない団体ですので、この時期のパーティーは毎年「ホリデーパーティ」と銘打って告知するんですが、やっぱりキリスト教文化の土地ですので、「クリスマスパーティーはいつだったっけ?」なんて言って、名前がクリスマスに置き換えられることはしょっちゅう。

 

カナダは基本的にはキリスト教文化圏の人たちがヨーロッパから来て(その前に住んでいたネイティブの人たちの権利は無視して)近代国家を建設した国ですから、昔は「メリークリスマス!」と町中が、村中が、クリスマス一色になった土地でした。

 

現在は移民が増え、ジュウイッシュの人たちもたくさん住んでる国ですから、しばらく前から「クリスマス、クリスマス、うるさいわ!クリスマスを祝わない人たちだって住んでるんだよ!」という勢力がだんだん発言力を増して来ました。

 

いや、多分キリスト教徒の中でも、別にクリスマスなんかどうでもいいよ、という人はいるし、信心深いカソリック教徒にとってはクリスマスじゃなくてイースターの方が大事な宗教儀式ですし、だいたいにおいて、クリスマスは実際はヨーロッパに昔からいたペイガン(キリスト教徒でない土着信仰みたいなもの)の人たちのお祭りを、キリスト教普及に勤めていた初期のキリスト教会が、「このお祭りは人々の間でポピュラーみたいだな、じゃあ、これキリスト教のお祭りってことにしちゃえ」と乗っ取った形で発展したものなので、純粋に宗教的な祝日、という見方もちょっと眉唾なのです。

 

というわけで、やっぱり正月と似たような、毎年これをやるもんなのよ的な習慣というか風習というか、そういうものなんですよね。

 

夫の実家が基本的にカソリック文化な一族なので、クリスマスのたびに帰省して、クリスマスの風習におつきあいしているうちに、私はクリスマスが嫌いになりました。

 

日本のクリスマスも商業的で結構ひどいですけれども、北米のクリスマスも、かなり商業主義が入り込んでいて、家庭によって違いはあるでしょうけれど、小さな子供達への贈り物の数はみていてちょっとげんなりするくらい多いですし、それをもらった子供達の反応も、みていてがっかりするのです。

 

包装紙をビリビリと破り捨て、中身を出して、ゴミをその辺にうっちゃっておいて次の箱へ取り掛かり、次の中身を取り出して、、と続けていくうちに最初の方にもらったギフトもその辺に放り出してる、そういう、物質に恵まれすぎててありがたみもなんもありゃしない子供たちに捨てられたゴミの山を見ると、「ああ、クリスマス、、、」と思うんですよね。

 

なぜかものを買って与えあわなければいけないとみんなが躍起になるイベント。

 

クリスマスの売り文句といえば、北米では「家族が集う」「家族や友達がお互いに優しくなり、お互いのために何かをしてあげる」「みんなが暖かく幸せなひと時を過ごせるように、恵まれない人たちにも寄付したり何かをあげようとする」

 

そういう季節だ、というのが前提です。

 

でも、実際は、家族が集うからストレスだ、お互いのために贈り物をしなきゃいけないから、ああ、買い物に行かなきゃ、予算内で良いギフトを何が欲しいのかわからない親戚のために買わなきゃ、ああ、職場や子供の学校の呼びかけで不用品を寄付したりお金を寄付したりしなきゃいけないから面倒臭い、、、、という、ストレスが押し寄せる時期。

 

まだ義母が元気だった頃、「せめて大人同士はギフトなしで気楽にいこうよ」と提案したこともありましたが、「ギフトなしね!」と集まって見たら、義母からはやっぱり恒例の各自の名前の頭文字のアルファベットチョコレートが包まれていたし、毎年集まる20人くらいのうち4人くらいから何かしら「義理」な贈り物が配られました。

 

ギフトで愛情表現するんだ、という人もいますけど、義母以外からは普段は特に愛情を感じたことがないんですよね。

贈り物したい、贈り物をするのが好き、という方もいらっしゃるでしょうけれど。

 

日本では12月は師走で、忙しい、やることがいっぱい、という時期ですが、こちらでもクリスマス前はやはりみんな忙しい、カード書かなきゃ、クリスマス・ショッピングしなきゃ、とストレスを感じる時期です。

 

今年は夫と私、二人きりで帰省なしでクリスマスを過ごしますので、夫のためにはオーブンで調理する何かを用意してあげようかなと思ってますけど、クリスマスの飾り付けなどは一切いらないそうです。

 

気がついたらうちの最寄りのメトロの駅前のモールも、クリスマスの音楽をガンガン流すのをいつの間にやらやめています。

これ、毎年苦痛だったんですよね、帰宅する時間帯はいつもクリスマスソングがダラダラとずっと鳴っていて。

 

モールの管理会社が無宗教の方針にしたのか、はたまた移民の割合が高い地区なので住民に配慮してるのか、なんだから知りませんけど、良いこっちゃ。


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