食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

食品廃棄物と社会の姿といえば Agnès Varda, The Gleaners and I  

食べ物を無駄にするのが嫌いです。

好きです、っていう人なんていないとは思いますけれど、気にする度合いってやっぱり人それぞれ。

美味しいものを味わうことなく捨てちゃうなど、なんて無駄な!と思います。

 

 

でも、廃棄処分になった食品とか、ゴミ捨て場に捨てられた食べ物まで拾ってきて食べようと思ったことはないし、そうする必要に迫られたこともないし、経験もありません。

 

私の職場には、政府の生活保護やディサビリティ・年金などを受け取って生活している人たちがサービスを受けにやって来ます。

彼らの中にはホームレスの経験がある人も割といて、今現在はアパートに住んでいるけれど、暇さえあればリサイクリングをしているという人もいます。

 

リサイクリング?

 

彼らが実際やってるのはダンプスター・ダイビングとか、飲食店や住宅地の家々から出されているリサイクリング・ビンの中に紛れているデポジットを回収できる缶や瓶のゴミを回収して換金するなどという作業です。

 

食品店やレストランの裏口のあたりにあるゴミ箱を漁る作業なんて、汚らしい、と忌み嫌われるような行為ですけれども、飽食の現代はこういうゴミ箱に入っている食品などもまったく問題なく食べられるものがわんさとあるとかで、話を聞くと「驚くようなものがホイホイ見つかるよ。」と。

 

どんなものが見つかるのか聞くと、未調理の肉類があることもあるし、加工食品があることもあるし、色々だとか。

未調理の肉は傷んでると大変だから気をつけてくださいねと言うと、大丈夫大丈夫、と笑われます。

 

以前、クリスマス前には「見て見て、こんな立派な冬のジャケットを見つけたよ」と未使用の、汚れも破れも何もない子供用のジャケットを持って来て見せてくれた人も。

彼は「洗ってからサルベーションアーミーにでも寄付する」と言っていました。

 

先日ご紹介したはじめての「ごみ調査」 | WANI BOOKOUT|ワニブックスのWEBマガジン|ワニブックアウトの中で佐々木典士さんが「出されているごみから、その人の生活や人となりがわかる」とおっしゃってましたけど、同じようにゴミって出される社会の在りようを反映していますよね。

 

なんてことを考えていたら思い出した映画があります。

 

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Agnès Varda (アニエス・ヴァルダ)Les Glaneurs et La Glaneuse(2000年)です。

 

Les Glaneurs ( La Glaneuseというのは同じ言葉の女性形で、このタイトルではヴァルダ本人を指す)というのは、畑に残されている、収穫され切らなかった作物を拾って持ち帰る人たちのこと。

 

社会の底辺に住む貧しい人たちが行う行為ですが、こういう人たちが拾っていけるよう、作物は完璧に刈り取って持っていくべきではないという考え方がキリスト教やユダヤ教にはあったようです。

ミレーの有名な「落穂拾い」も畑に出かけて取り残された穀物の穂を拾い集める貧しい人たちの姿を描いたものですが、現代社会では、畑に農作物の残りを拾いにいく昔ながらのLes Glaneursのみならずスーパーやレストランの裏口にあるゴミ箱から、廃棄処分されたグルメな食品を漁りにいく人たちも多く存在するようです。

 

私の職場に来るリサイクリングに勤しんでる人たちも現代版Gleanersというわけです。

 

アニエス・ヴァルダのこの作品はそのLes Glaneursの暮らしぶりやどんなところでどんなものを見つけられるのか、どんなものが「不用品」とされ、どんなものが価値を見出されずに置き去りにされているのか、などを映し出すことで現代のフランス社会の歪みを描いています。

詳しい内容はかなり忘れてしまいましたけれど、今見たら2000年の作品だったんですね。また観てみよう。

 

The Gleaners and I - Wikipedia (英語での説明)

 

この作品のずいぶん後、2016年にはフランスでは、床面積が400平方メートル以上のスーパーで、余剰在庫の食品を廃棄することを違法とする法律が通過しました。

食料廃棄問題は先進国各国では深刻な問題ですが、フランスのこの対応、その後どうなってるんでしょうか。

 

アメリカのNPRのサイトでは、2年経った今、この法律に従って地元のチャリティ団体と契約して(法により定められている)余剰食品を寄付するスーパーと寄付を受け取る団体との様子がポジティブな文面で報告されています。

www.npr.org

が、一方別のサイトでは、一年後(だから現在から見れば去年ですが)の段階ではこの法律は痒いところに手が届いていないという批判的な報告もありました。

www.foodnavigator.com

消費者団体による報告を読まないと詳細がわからないのですが(購読してないと読めない記事)こちらのサイトによる要約だと、法律は中途半端で、現状では余剰食品の24%以下しか寄付されていないそうです。

 

現在もフランスでは、生活が苦しい貧困層、学生、などなど、Gleaningをしてしのいでいる人たちは多く存在するようです。

ちなみにGlaneurs はフランス語、英語だと Gleaners。残り物を漁る行為は Gleaningと言いますが、日本語にこれに相当する言葉を見つけられませんでした。

現代版Gleaningはまあ要するに北米で言えばダンプスター・ダイビングという表現があるんですけどね。イギリス英語ではまた別の表現があるようです。

 

食品廃棄と人間社会について考えた時に もう一つ思い出すのは、辺見庸さんの「もの食う人々」です。

冒頭で、バングラデッシュかどこかの市場で残飯を安く売っているのを残飯と知らず口にして、酸っぱいような変な味に気がついて吐き出す場面は印象に残っています。

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ゴミといえば、デスクトップのトラッシュ缶ですが、ちょっと不満です。

何もゴミが入ってない時はこんな

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空っぽです。当然。

 

でもね、たった一つでもファイルを捨てるとこうなります。

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ゴミが溢れ出してるみたいで、腑に落ちません。一個しか捨ててないのに!

 

たくさん捨てても同じですけれども、一つ二つ捨てただけなのにこういう様子だと、なんだか現実以上に雑然とした部屋にいるように思えてしょうがないのは私だけではないはず。


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