今日はクリスマスですが、急遽冷凍庫の整理をしました。
探していた時には見つけられなかった銀杏が底の方から出てきた(激しく反省)のが動機。笑
写真は昨夜、お隣さんのお家での食事の時のデザートです。
黄桃のスライスが並んだ、「なんて言うお菓子?」「ケーキだよ」とのこと。笑
美味しうございました。
ツイッターで
呟いてはいませんけれど、ツイッターのアカウントもなぜか持っている私。
帰国前にいろんな下調べをしていて、ふとツイッターでいろんな情報を発信していらっしゃる(ありがとうありがとうありがとう!)日本のヴィーガンのかたのツイートを見つけまして。
おおおお、こんなところにそんな店があるんだねえ、
おおお、東京でヴィーガンフードフェスティバルがあったんだ、
えええ、ヴィーガンフレンドリーな社食があるんだ!
へえええ、そう言うヴィーガン活動家の方が存在するんだ!
と日本のヴィーガンの現状を改めて垣間見たような。
私の目的は、自分が飲食する時に便利なお店の情報などを収集することなんですけれども、フォローしてる方がフォローしてる方とか、フォローしてる方がいいと思われるツイートとかがじゃんじゃん画面に出てくるわけです。
で、みたくもないのに、「前の発言にこんな攻撃された」とか、または、啓蒙的なビデオやメッセージをツイートしたヴィーガン活動家さんに対して攻撃的な反応がきている様子とかも目に入るようになりまして。
ネット上の匿名での攻撃って結構醜いものがありますね。
英語でのツイッターやブログの世界でも、やっぱり啓蒙系のかたはかなりこう、熱く痛く醜くツバが飛び交う口論というかなんというか、、、を体験されていらっしゃる模様です。
そういうの苦手なんですよー。
自分と意見が違う人だからって、怒鳴りつけたり、それと同様のキッツイ語調のコメント入れたり、そういうこと、必要なんでしょうか。
まあでもそういう過激な反応は、要するにリアクションなので、アクションあればこそ。
ヴィーガンで啓蒙活動をしてらっしゃる方(=アクション)が呼び起こしたリアクションな訳です。(アクションを否定している訳ではありません)
いや、アクションしてる方はもっとポジティブなリアクションを求めていらっしゃるんでしょうけれど。
啓蒙活動って、有効なのか、と疑問に思う瞬間です。
ヴィーガンじゃなかった過去の自分を振り返る
ヴィーガンになる前の数年間は、「この食品買うことってどういうことなんだろう」
と考えてぐるぐるしていた、所謂ヴィーガン転向への助走時期と捉えるとして、それよりももっと前、それこそ高校生大学生くらいの頃、自分はヴェジタリアンの友人のことを「痩せたいからなのかな?」としか捉えてなかったり、ヴェジだと言いつつたまに「今日は例外」とチキンを食べてる友達を見て「でも、そんな君のためにうちのお母さんは頑張って動物性を入れない夕飯を用意してあげてたのに?その時は動物は食べませんって言っておいて、今日は特別って言ってチキン食べるの?」と納得いかなかったり。
一握りのヴェジの知り合いの行動でヴェジってこう言う人たちなんだね、と決めつけていなかったとは言い切れません。
そんな当時の私にヴィーガン啓蒙家諸氏がネット上で公開してるような動物虐待ビデオを見せても心に響かなかったんではないかと思います。
それは、当時の私に心がなかったからではなくて、そういう啓蒙活動を受け入れる場所が心の中になかったんだと思うのですよ。
受け入れる場所がないところに大きな荷物を持ち込んだら「え?迷惑、何それ?」って思うのは人の常。
動物性食品を食べない、動物性の衣服やカバン、靴などを使わない、という決断に至るまでの道のりは人それぞれですからね。
誰かに見せられたビデオのせいで、っていう人もいるかとは思いますが、百本そういうビデオを見ても「またかよ」って思う人には全然有効じゃない。
自分で選んでドキュメンタリを観に行ったとしてもやはりそこで自分の心の琴線に何も触れなかったら、どんなに問題提起してあらゆる隠れた真実を暴露されても、「あーもー、こういうの信仰してる人たちってうざいな」で終わりです。
ヴィーガンになってよかったー、と思う気持ちや、ヴィーガンの美味しいレシピを皆さんとシェアして、なるべく幸せにヴィーガンになってくれる人を増やそう、というアプローチの方がどちらかといえば効果的、とは思います。
でもそれだって「なんだそれ、俺は知らないよ、肉大好きだし」で届かない人には届きません。
所詮他人の気持ちや行動をコントロールするなんて無理ですからね。
他人の気持ちや行動を自分の言論やビデオや美味しい食事でコントロールしようとするのではなくて、自分の行動の意味というか意図を他人にも理解していただきたい、と、それくらいでいないと、全世界vs自分、みたいな構図は疲れてしまって逆効果な気がします。
ただ、人は変わる、変わり得る、と思うので、今現在ヴィーガンとかヴェジを否定している人が死ぬまでそのままかどうかはわからないとも思います。
でも、その人が変わるきっかけを作ってやろう、とか、そう言うことは考えません。
それより、そう言う人が「やっぱりヴェジとかヴィーガンって変、やな奴」と頑なになってしまうキッカケにならないように気をつけよう、と言う割と消極的とも言える思いの方が強いかも。
と言うわけで、私はひたすら、聞く耳を持って(ブログを読む目を持って)私のブログに戻ってきてくださる方々を相手に、ヴィーガンっておかしな宗教みたいなものかと思ったけど、そうでもないみたい、と言う印象を持っていただけて、気持ちが伝わるといいなあ、と思って書いてます。
さてご飯の支度に戻りましょうか。シャンペン片手に。笑