食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

食とCultural Appropriation

寿司好きでもないのに何を気にしているのか

先日の記事で、北米の偽寿司について愚痴を書きました。笑

考えてみれば、寿司が大して好きでもないのに何を言ってるんだ、という。笑

 

子供の頃から寿司は好きじゃなかったんですよ。

「今日の夕飯なあに?」「お寿司だよ」

「えっ、ええ〜〜(すごく嫌そうに)」

で母を怒らせたこと数知れず。

 

なぜか、

それは酢飯が美味しいと思えなかったから。

我が母は料理上手と皆に言われていた人ですから、母の寿司が不味かったわけではないですよ。外で食べるお寿司も酢飯は要らない、と思うことが多かったですし。

 

白いご飯のおにぎりは美味しいけど、酢飯のお稲荷さんは無駄な食べ物だと本気で思っていました。

今はそこまで拒否はしませんけど、自分でわざわざ美味しい白米を酢飯にする気にならない。

 

北米の寿司屋でどんな創作寿司が食べられていようとそれ自体は気にもならないんですよ、本当に。

本当ですよ、本当。

うそっぽい? 

前の記事を書いただけに、これは信憑性低いでしょうか?

 

 

何が嫌なのか、考えてみたんですが、思い至りました。

 

「北米人が考えてるちょっとズレてる日本食像にハマるものをあえて作ってあげたくない」

要するに、ステレオタイプにハマるように演技してあげるのが嫌。

 

そう言うもんなんだと思ってるんだから、それに合わせてあげればいいじゃない、とも思いますが、それが嘘っこだと知っているのにそれに合わせるのってなんか嘘をついてるみたいな気がする、、と言うか、、、まあ次元は低いですが。

 

きゃすぴえ、当然本名はきゃすぴえじゃなくて日本語の女性の名前ですけれど、3音節ある名前なので、英語人が綴りを知ってから呼ぶと、真ん中の音節のイントネーションが上がるんですよ。

ラ〜ら、て。

 

これ、英語人には変えろと言ってもなかなか難しいらしいので、「いや、そうじゃなくて、らなんです」一回は応訂正します。

こちらの社会では移民や外国人が多くて自国語じゃない名前、聞きなれない名前に遭遇することはよくあるので、だいたいが一度きいたら発音を聞き直してなるべくその方の名前を覚えようという姿勢を示すのはよくあることなのです。

一度訂正しても聞き分けられない方には「そうそう、そうです」と言っておしまい。

 

音楽をやってるとかで耳がいい方は説明するとすぐに言えるようになるし、夫と私を知ってる人たちのほぼ9割は言えるので、不可能じゃないはずなんですが、まあね、初対面の人に自分の名前の言い方を練習させるのもなんですからね。笑

 

日本人の知り合いの中には、英語で生活してるんだし、英語人にはこの方がわかりやすいんだし、と最初っから「私の名前は、まり〜こぅです」なんて言ってる人もいます。

 

親切だなあ、とも思いますが、でも彼女の名前は「まりこ」さんじゃん、あえて嘘のイントネーションで名乗らなくっても、、とも思います。

 

そこらへんは個人の考え方の違いですけどね。

私はあくまでも、日本語的イントネーションで自己紹介して、英語的イントネーションで聞き返されたら一回だけイントネーションチェックを入れ、その後は放置派。

 

何がいいたいかというと、「まりこ」なのに「まり〜こぅ」と言いたくないのと同じ感じで、寿司を知らない人相手に北米寿司を作りたくない、、と言うか。

 

自分が寿司が好きじゃないから、人を喜ばせるために作るのも面倒、と言うのも大いにありますけれども。

 

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ごま、生姜、ニンニク入り、、日本風ドレッシング

 
Cultural Appropriation (この記事では略してCAとさせていただきます)

Cultural Appropiration と言うのは、自分の出身とは別の文化圏の装いや文化的な事象を持ってきて自分流に使ったり表現したりすることを言います。

 

白人作家が黒人を主人公にした小説を一人称視点で書く、

白人の歌手が日本とも中国ともつかない、でも明らかにアジア的な装いでステージに登場

金髪の人が自分の髪をドレッドロックにする

 

基本的には、比較的被差別グループの文化的特徴を差別する側が利用して被差別グループが怒りだすと言う構図が多いと思います。

中には被差別グループの特徴を小馬鹿にしてるじゃん、と受け止められかねない場合もありますが、やってる当の本人たちは真面目に「これ素敵だから私もやってみてる」場合が多いように感じます。

 

 

 

食の分野では洋の東西を問わず、あっちでもこっちでも、自分の文化じゃないけど気に入ってるよその文化圏の食品を自分流に作って喜ぶ、と言うことは大いにまかり通ってます。

 

北米寿司はそのうちの一つですが、私が作ってるインドのオカズなんかまさにそうですよね、インドに行ったこともないのにレシピを探してきては「ダール作りました」「サーグ・パニールのヴィーガン版作りました」って、北米寿司を批判してる同じ口で言ってるんだから、節操ないといえば節操ないです。

 

職場でインドのおかずを作る時に、インド出身のクライアントさんがボランティアにきてくれた、と言うことは何度もあります。

「うわー、あなたの国の料理を作るんだけど、何かアドバイスがあったら遠慮なく言ってね」と言いながらドキドキ一緒に作りますよ。

 

今のところ文句?を言われたのは「ニンニクの量が少なすぎる」だけでしたけど。笑

 

前にも書いたかもしれませんが、ジェイミー・オリヴァー氏が彼のレシピサイトで西アフリカの煮込み料理のレシピをちょっとアレンジして載せた時、物凄い数の西アフリカ系イギリス人はじめとする西アフリカの人たちが怒りのコメントを寄せたことがあります。

 

それを見て「わかる気もする、でも、怒ってる君たちも、偽寿司食べて喜んでるんだから、そこまで怒る権利はないような気もする」と感じたのを覚えています。

 

日本にもある食のCA

ラーメンとか餃子とか、日本では「中華」だけど実際には日本版の、元中華ですよね。

 

最近、国際的にかなり普及してきたRamenですけれど、日本のものとして紹介すべきなのか中国のものとして紹介するべきなのか、微妙なところです。

 

日本でよくある「和風スパ」とか「明太子スパ」とかも、イタリアのマンマが見たら血圧が上がっちゃうことでしょうけれど、パスタも元は中国の麺がマルコ・ポーロにより、、、云々カンヌン。

 

和風スパもやってる方にしてみれば、君んちのそのパスタ、美味しいからうちの風味に合わせても美味しいと思うんだよね、と、その程度の話なんですよね。

 

寿司にバーベキューチキンを入れるくらい、大したことじゃない、と思えてきました。

 

 

職場のランチでたまに「オムライス」を作ります。オムライス、と言うても意味が通じないので「オムレツ&ライス」と呼んでいますが、そうするとご飯が嫌いな人に「私はご飯抜きで、オムレツだけでお願いします」と言われたりします。

オムライスの、ライス抜き、って想像できませんが、私はこう言う場合はご飯を包む薄めの卵焼きシートではなくて、こじんまりしたプレーンオムレツを作ってあげてます。

 

 

ヴィーガンですからね、所詮は食のピュアリストではいられないですし。笑


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