食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

肉食の人たちと一緒に食卓を囲む時

たんぱく質のお話の続きを書くつもりでしたが、ちょっと休憩して別のことを。。。

他人と共に食事する機会で

土曜日に行ってきたポットラックパーティー。 ヴィーガンの食べ物は私が持って行ったSoccaと、キヌアのサラダが二種、紫キャベツと人参のサラダ、で合計4皿でした。他にはヴェジタリアンのケークサレが二つ、ヴェジタリアンのサラダ(卵が入っていた)やヴェジタリアンのオードーブルが数種(チーズがまざっていたり)と、あとはシーチキン入りのライスサラダもありました。肉料理はなんと一皿のみ。肉食バリバリの北米ですが、肉離れ、、いや、肉食離れが結構広まっているという印象も受けます。人それぞれなんでしょうけど。

こういう場面では、私はヴェジタリアン・ディッシュのものもちょこっとつまんだりします。今回はキヌアのサラダ二種のおかげで、かなり満足度が高かったんですが、クリームチーズを塗ったクラッカーにグアカモレをのせたものを二つほど食べました。クリームチーズがついてないほうが美味しいと思いましたが、やっぱりチーズをたべてる人にとっては、このちょっとしたクリームチーズがないと物足りないのかもしれません。

肉や魚の出汁の効いていない料理を食べているうちに、私の味覚もかなりマイルドなものに慣れてきているのかもしれません。味もですが、あとで体もちょっと反応するので、やっぱり食べなきゃ良かったな、などと思うことも。なので、徐々に他人との共食の場面で妥協することも減りつつあります。

 

ヴィーガンでない人々と一緒に食べるときの工夫と妥協

ヴィーガン転向後、始めの頃は、お友達のディナーによばれた時に「ヴィーガンになったので」と言うのが申し訳ない気がして、「肉魚を避けるだけでもいいよ」「肉と一緒に調理されたものから肉を抜いただけでもいいよ」という腰抜けなことを言ったこともありました。招待してくれる人に負担をかけたくないから、という発想からですが、なんだか何をやってるんだか自分でもわからなくなり、ヴィーガン料理を提供できない人のところへ行く時には自分で作ったものを持参するようになりました。サラダとか付け合わせが野菜のみ、ということは結構あるので、メインディッシュだけ、肉を焼いてるんだったら、テンペやセイタンをマリネしたものを持って行って、これを焼いてください、とか。

幸いなことに、私の友人たちは肉食の人も「なるべく肉は控えたいと思っているんだけど、肉抜きで何を作ればいいのかわからない」という人が多く、そんな人たちは私がヴィーガンに転向したのを機に、ベジタリアンのレシピやベジレシピをヴィーガンにする手段などをネットで調べたりしてくれて、みんなで一緒にヴィーガンな食事をする機会が増えました。

ただ、身近な友人だけではなく、広範囲の知人も交えたポットラックのような場面や、何泊か一緒に過ごすキャンプ・トリップなどのような場面では、それなりの妥協もしくは対策が必要です。まあ、ポットラックに限らず、たった一食分だけの機会なら、妥協したくなければ無理せずに、帰宅後ちょっと何か食べるなどすればいいだけのことかなとも思います。でも、何泊かする場面では、同行する友人たちに毎晩ヴィーガンを押し付けるわけにもいかないし、毎晩妥協というのも苦しい。自分だけ別メニューを作ればいいのですが、状況によっては難しい。また、同じ釜の飯を食べた仲間、と言いますが、一緒の食卓を囲むときに自分だけ別メニューを食べるのって、個人主義の北米であってもなんとなく気を使います。

 

日本での同じ釜の飯スピリットとヴィーガンの心

日本で生まれ育った私は、子供の頃から親に「出されたものには文句を言わず」感謝して食べるようにとしつけられました。特別なことでもなんでもないですよね。でも、今ヴィーガンになってから日本の家族や親戚の家をたずねると、まさに「出されたものに文句を言って選り好みをする」状態になります。文句を言うわけじゃないですけど、「これには何が入ってるの?」といちいち聞くのは文句を言ってるようなもの、と受け取られがちですし。

まだヴィーガン転向後一度だけしか帰省したことがないのですが、帰省中は「肉だけは避けさせてください」で、魚や、肉エキス入りとか魚エキス入りなどの調味料が入っている可能性のある料理や卵などは食べました。日本で友人と外食したときなど、ウェイトレスに質問して肉の入っていないものを注文したのに、ハムの細切れが入ってて、肉の出汁もしっかりきいてて、びっくりしたこともありますが、きっとヴィーガンどころかヴェジタリアンについても理解がされていないんだろうなと思い、苦情を言うこともなく、とりあえずハムだけよけて半分ほど食べました。まさに好き嫌いをする子供のような図ですね。

他人が「偏食」をする私を批判することは構いませんが、一緒に食卓を囲む人々と、分け隔てなく楽しい時間を過ごしたいと思うと、日本での家族との食事のときにはどうすればいいのかな、と悩んでしまいます。

自分がヴィーガンに転向した一番の理由は、食肉を生産するために巻き起こる環境問題です。これは北米の食糧供給のあり方ゆえであって、日本や欧州などではまた事情が若干異なるのかな、とも思います。そこらへんはきっちり調べたことがないのですが、どうなんでしょう。ただ日本の場合、食肉は80年代以降アメリカのプレッシャーを受けて、最近はかなり輸入肉が増えているようですから、やはり肉の生産事情は北米と同じと見ていいと思っています。魚介類に関しては、遠洋漁業や絶滅の危機にある魚介類を乱獲したものや、怪しい養殖もの、東南アジアなどで労働者の人権を蹂躙して生産加工されたもの、など、日本の食卓にのぼる魚介類がどれほど問題のあるものなのか、もしくは、そういった問題のないものに絞れるものなのか、しっかりした知識はありません。でも、やっぱり怪しいと感じます。

動物の命を考えてヴィーガンになった方々は動物は食べない、というのは明白なことだと思います。私も、ヴィーガンになってから、他者の命を犠牲にしたものを食べることに加担しなくなった喜びのようなものを味わってからは、やはり出来る限り動物性食品は食べたくないと思います。

日本にお住まいのヴェジやヴィーガンの方や、外国で普段ヴェジやヴィーガンで暮らしている方が日本に帰省した折など、どのようにされているのか、とても興味があります。

 

 

 

 


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