食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

ハロウィーンとクリスマス、量より質・モノより気持ちへ移行できまいか

とうとう十月最終日です。

ということは、ハロウィーンです。

北米ではハロウィーンは、子供達がトリック・オア・トリートをして近所の家々を訪れてお菓子をもらう晩。

子供のいる家庭や、子供好き、ハロウィーン好きな大人たちは家の周りをハロウィーンっぽく、魔女や骸骨、墓地やジャック・オ・ランタンなどで飾り立てて気分を盛り上げます。

ハロウィーン好きな大人(子供じゃないという意味で)も結構沢山いますので、ハロウィーンあたりの週末は、仮装してくると入場料が安くなるパーティーとか、仮装コンテストがあるようなパーティーとか、若者が盛り上がるイヴェントも沢山。

そうやってみんなで楽しむのです。

 

でもね、

この時期になると、スーパーやらウォルマートやらコスコやら、何せ店頭にはこれでもか、というくらいにチョコレート菓子のお徳用パックの安売りが。

もう、チョコレート菓子なしではハロウィーンはあり得ないような。

 

そして、ハロウィーンが終わると、次はクリスマスです。

クリスマスも、チョコレート菓子がこれでもか、、、と。

クリスマスはその上、ギフトのやり取りがありますからね。

 

今日、仕事から帰ってきたら、郵便受けには大手チェーン店の商品カタログが入っていました。

今からクリスマス・プレゼントの買い物を始めなさいということでしょう。

まあね、クリスマス・プレゼントは北米では日本のお歳暮にも似た「たくさん買い揃えて贈らなければいけない!!」という強迫観念が付いて回る行事です。

贈り物をもらってワクワクしながら包装紙を開けることで、家族の愛情を確認するのだから、子供たちに贈り物をしなきゃ、、、。とか。

 

家族の愛情ってそんなもんなのか?

ワクワクして包装紙をビリビリ破っておもちゃを取り出して、喜んでもそのあと、もっと大きな箱の包装紙をビリビリ破って、、、物欲ってキリがないというか、ものをもらっても本当に満ち足りた気持ちになるとは限らないというか。

小さな子供に至っては、おもちゃじゃなくてそれが入っていた箱が面白い遊び道具になるというか。

たくさんのおもちゃに囲まれれば囲まれるほど、ひとつひとつのおもちゃへの思い入れなんかなくなって、ありがたみなんか感じなくなるというパターンの方が多いような気がします。。。

 

そして、そういった消費活動の後には大量のゴミが発生するのですよね。

包装紙とか

欲しくもないのにもらっちゃったからと捨てられるモノとか

もらってすぐに捨てられないまでも、押し入れに入れておいて、数ヶ月後に「断捨離」とか。

 

毎年この時期になると、なんだか嫌な気分になるのです。

ハロウィーンとかクリスマスとかを心待ちにする子供たちの気持ちや、子供の頃の思い出を思い出しつつ、子供たちのためにと色々準備する大人の気持ち、そういうものを否定する訳では全くなく。

なんというか、チラシやネットや雑誌やなんかで盛り上げられた、「もっとモノを買え〜」「贈り物は多ければ多いほどいいのだ〜」「あれも」「これも」

という、そういうのにまんまと乗せられて、暇さえあれば買い物に行っていろんなものを買っている人たちを見るにつけ、虚しい気持ちになるというか。

 

私は贈り物は基本的にしません。

夫の誕生日と、親しい人たちの誕生日など、ごく限られた時だけ、しかも、贈り物といっても気持ち程度です。モノを買うのではなくて、ケーキを焼くとか、相手が好んでいるものをあげるとか、行きたいと常に思っている場所の入場券とか、モノじゃない贈り物を選ぶ方が多いかも。

自分自身、全然好みじゃないものを贈られて困ることがあるので、モノは良し悪しだなと思うのです。

クリスマスなんかはもう、「贈り物を受け取らないと悲しいだろうから、なんでもいいからモノを贈ろう」というような配慮からか、全く欲しくもなければ好みでもないような、ぬいぐるみみたいなものを参加賞みたいな感じで受け取ることもあります。

そんなのは、本当に困るんです。

いらないからサルベーション・アーミーみたいなところへ寄付したりしますけれど、私の好みは知らないけれどもとりあえず贈り物を買ってくれた人の出費を考えると、それも気の毒です。(だから要らないと毎年言うのですが)

みんながみんな、モノを受け取りたいと思っているはずだ、という前提もおかしなものだと思うし、モノをたくさんもらえばもらうほど喜ぶはずだ、というのも変な話ですよね。

そういう無駄な消費のために無駄にプラスティックや紙などの資源が使われて、無駄なお金が動いて、無駄な包装紙が使われて、無駄にゴミが増えるんだと思うと、消費社会っていうものは罪が多いと感じます。

 

そんな話をビジネスマンの知り合いにしたら「君みたいな人ばっかりだったら社会経済は回っていかないから良くないよ」と言われました。

まあそうでしょうね。

資本主義の発達のためには私のような発想はネガティブな思想でしょう。

 

ハロウィーンやクリスマス商戦で量販店に並ぶチョコレート菓子も、本当に安っぽくて粗悪な、コーンシロップにチョコレートがちょっと入ってるかどうか、というような、そんなものが多いのです。

そんな粗悪なお菓子をふんだんに子供に与えるよりも、ちゃんとした食品を少しだけ食べさせる方がよっぽど子供の健康にも、味覚の発達にも、食育にも、全てにとっていいのではないかと感じます。

 

盛り上がっているご近所さんの声を聞きながら、なんだか渋いことを書き連ねてしまいましたが、ハロウィーンもクリスマスも、これから暗く寒くなっていく晩秋と冬に、人々が集まって楽しい時間を過ごす、と言う、そう言う意味ではとても有意義なイベントだと思います。

そう言うのがないと、やっぱり冬は長くて、暗くて寒くて辛いですからね。

 

あとほんの1時間ほどでハロウィーンの晩が終わります。

地味ながら、次はマテリアリスティックでないクリスマスを盛り上げて行きたいなと。

 


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