先日、職場でお昼ご飯を食べていた時のことです。
その日のランチはピザで、皆さん美味しそうに食べていました。
その日は厨房当番ではなかったので、調理当番以外のスタッフが後片付けを仕切るという職場のルールに従い厨房に入って調理台の上を綺麗に拭いて、食洗機に汚れた食器を入れる作業にかかりやすいように準備して(食器を軽くすすいでから食洗機に入れる、その役を買って出てくれた人がすぐに作業しやすいように)自分の弁当を電子レンジで温めなおして、、、
そんなことやってる間にほとんどの人々は食べ終わっちゃってますけれど、私も食卓へ移動して食べ始めました。
ふと横を見ると、ピザのへりの部分だけ残してある皿が。(良くある光景ですが)
うちに来るクライアントの皆さんは大概ウェルフェア受給者で、お金が余ってるような人はいないのですが、それでも食べ物に困ることはないためか、結構偏食な人や、食べ物を無駄にする人が目につきます。
「そのへり、食べないの?」
と聞くと「食べないよ、ソースがついてないから」と。
ソースがついてないと、ドライすぎて食べられないんだそうです。
北米でよく見かける、この、ピザのへりを食べ残すというマナー(と言っていいのか)、見ているとげんなりします。
こう言う、味気なくて乾燥したようなものを食べ残すとき人々は「段ボール紙みたいなんだもん、食べられないよ」と言いますが、段ボール紙食べたことあるのか!と言いたい。
へりの部分、確かにチーズも具もソースも載ってないから、味気ないですけど、食べ物じゃないですか!
ヴィーガンになる前、チーズの乗ったピザも食べていた当時、私はピザの一切れの真ん中の部分(ドウのボリュームに対して具やチーズやソースが過多)を食べるときにへりをちぎって一緒に口に入れてました。
そうしたら最後にカラカラに乾いたヘリが残ることもないし、真ん中部分も味が濃すぎないで食べられますからね。
そこまでしなくても、へりくらい食べなさいよ、と思うんですけどね。
ドライだと喉を通らないというなら、水を飲め、とかね。
ウェルフェア受給してるから贅沢言うな、って言ってるんじゃないですよ。
ウェルフェアもらってようがお金を稼いでようが、人間としての尊厳に変わりがあるとは思いません。
でも、ウェルフェアもらったりして、お金のありがたみを感じてる人は、そのお金で買えるもの全てに対してもありがたみを感じるものではないのかなあ、と思うんです。
でもま、感じてないんでしょうけど。
食べ物に関しては特に、ウェルフェア受給だからとか、貧困層だから、そのせいでヒモジイ思いをさせるのは人道的に間違っているわけだから、みんなに豊かな食を体験してもらいましょう、と言うのが社会の建前でもあります。(だから無料でランチとか夕飯が振舞われる機会なんかも結構あります。)
でも、食べ残しをすること=豊かさ、って言うのは間違ってると思うのですけど。
ガツガツしない、飢えてるからといってなんでも食べろとか、そもそも飢えてる人が存在しないようにしましょう、と言うのはわかるのですが、痛んでもいない食品を捨てるのが豊かさを表すと言うのなら、そんな豊かな社会なんて長続きしないでしょう。
北米、特にカナダは細かいことを気にしない大らかな社会で、私は自分が住んでいるこの社会、基本的には好きなんですけれど、食べ物を始め、物を無駄にする部分はどうしても抵抗があります。
日本では食育っていう言葉があるようですが、そういう言葉をわざわざ作り出さなくても、、昔からある伝統的な、食べ物や生産者への感謝の気持ちって身につけることはできると思うんですけどね。
なぜ現代人はそういう部分から切り離されてしまっているのか、、、。
水の話
「ドライだから食べられない」で思い出したのですが、
食事の時に水を飲むって行為、私は「料理人に失礼」な行為と言われて育ちました。
よっぽど塩っぱいとか辛いとか、何か理由でもない場合は食事中に水なんか飲むものじゃない、と。
和食の場合、汁物もあるし、煮物やおひたしなど、食品に程よく水分が含まれているので、水でのみくだす必要がないと言うことでもあると思います。
そう言うわけで食卓に水のグラスが置いてあるのは、外食した時だけでしたし、水は食後、という感じでした。
食べ物を残している人たちで、「ドライで」喉を通らない、という理由、たまに聞くのですが、それってやっぱり唾液が少ないってことなんでしょうね。
だから水を飲みながら食事をする必要が出て来る。
職場に来る人たちは、ほぼみなさん強い薬を服用していますので、それを考えると、ピザのへりも飲みくだしにくい、ってことなのかな、と気がつきます。
なるほどね。
でもクッキーとかチップスならドライだけど食べられるんだから、ピザのへりもなんとかならんか?とは思いますけれど。
夫にこの、食事の時に水を飲むかどうか、という話をしたら、水を飲むのが失礼だなんて聞いたこともないと言われ。笑
うちの親だけだったのか?という気もして来ましたが。
これまた話が飛びますけれど、水の摂取に関してはちょっと不思議な記憶があります。
中学生の頃、学校の部活でバレーボール部に所属していた私、夏場など屋外での練習中に水を飲んでいると「水を飲むな!水を飲むと疲れやすくなる!水の飲み過ぎで夏バテになる!飲むな!我慢しろ!」と言われたのです。
コーチとか、担当教員とか、先輩とかに。
当時は へえ〜、そう言うもんなのかな、と思っていたのですが、やっぱり炎天下の練習で水を飲まないではいられないですから、ささっと隠れて飲んだりトイレに行ったついでに飲んだりしたので、言うなりになってミイラになることはありませんでしたけれど、あの考え方って実際なんだったのか、今となっては謎です。
ほら、昔はトレーニングと称してうさぎ跳びなどさせられたけど、後々あれは体に良くない、筋力を鍛えるなら別のトレーニングをするべきだ、と批判されたりしました。
医学の常識って日々変化しているわけですから、勘違いや思い違いもあるんでしょう。
部活のコーチのあれは、しごきだったのか?勘違いだったのか?
飲めというか飲むなというかは別として、他人に水分摂取量の指導をする立場の人たちは常にその時代の一番常識的で妥当と思われる「体に必要」なことを指導しなければいけませんけれど、後から「あれは大間違いだった!」ということもありうるわけだから、あんまり自分の信念を他人に強要するのも問題あるよなあ、と感じる昨今です。
相手が未成年の子供なら尚更です。
食に関することって本当に一筋縄ではいかないから困りますね。
伝統を信じてそれに従うばかりが良いわけではなく、最新科学を盲信してそれを取り入れていれば安心というわけでもなく。
大人は自分で色々調べて判断して決めればいいし、所詮は自分の責任ですけれど、子供は保護者の考え方次第でどうにでもなるから、怖いですね。