食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

義母のこと

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義母が住んでいた家のすぐ裏のライ麦畑。この写真を撮ったのは、2年前。義母はまだ自宅に住んで家事もこなして暮らしていました。

 

私ごとですが、こちらの現地時間の9月16日の朝、義母が亡くなりました。

1931年生まれの85歳でした。

病気ではなく、老衰で、子供達に囲まれて息を引き取ったので、幸せな最後だったと言えるのかとは思いますが、そう言ってしまえるのかどうなのか、なんとも複雑な気持ちがします。

 

現代社会の現実として、こう言う展開はありがちなのでしょうけれど、老人ホームに移されて、とても悲しそうでした。

 

老人ホームに移される前の数ヶ月間は、毎日自宅にケア・ワーカーがやってきて、家の掃除や食事の支度、入浴のサポートなどをやってもらっていたのですが、とても抵抗がある様子でした。

他人が家に入って来て、入浴やトイレなどと言った一番プライベートなことに手を出すのですから、それが必要だからしょうがないのは理解していても、やっぱり抵抗があるのは当然です。

 

ケア・ワーカーの人たちは慣れたもんですし、皆さんそれぞれに朗らかでいい感じの方達でした。

けれど、介護の必要な老人としての義母しか知らない彼女たちの声の掛け方や声音は、どうしても「弱々しい老人への声音」で「何もできない老人への言葉」になってしまいます。

 

それ自体をどうしろと言うことはできませんけれど、なぜ健康な大人への声の掛け方とは別の声音になってしまうのだろうといつも気になってしまいました。

その声音に象徴される、老人や弱者への態度そのものが、優しさや尊敬の気持ちではなくて、「できないあなたのためにやってあげてるのよ」というふうに見えてしまうのでした。

 

介護が必要になった義母を訪問するたびに、義母にとって一番好ましい状況とはどんなだろうか、それを叶えてやれないならば、次に好ましい、実現可能な状況とはなんだろうか、と考えました。

でも、「自分の家で、自分の好きなように暮らす」以外には、義母が望むことはなく、たまに顔を見せて以前の暮らしに少しでも近い状況を持ちこんでやるくらいしか私たちにできることはなく、罪悪感とやるせなさを誤魔化すために、クッキーを焼いて持って行ったりしました。

 

 

 

弱ってしまう前の義母は、声にも張りがあって、健康で、クッキーが好きで、花が好きで、働き者で、料理以外の家事はバッチリで、編み物が上手で、政治の話、科学の話、医療システムの話などになると話が尽きなくなり、自転車で遠出をしたり、キャンパー・バンでメキシコやアメリカの南部を今はなき義父と一緒に旅したり、エネルギーに満ちた人でした。

 

熱心なカソリック教徒で、夫が幼い頃はかなり厳しかったそうで、吹雪の時でも教会に行くのは欠かさなかったとか。

本当にとことん厳しいカソリックだったそうで、夫を始め、義母の子供達は成長するにつれことごとく宗教を拒否するようになりました。

 

私が出会った頃の義父母は、かなり丸くなっていた頃で、私がキリスト教徒ではないことも問題ではなく、教会に一緒に行くだけでも喜んでくれたし、やっぱり信者じゃないから居心地が悪いので行かないといえば、それはそれでいいよ、問題ないよ、と受け入れてくれました。

 

いや、それどころか、当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世への批判的世論に関して夫やその兄弟姉妹たちがワイワイと議論してるところに参加したりするほどでした。

 

私とは生まれ育った文化も時代も全く違う義母でしたが、移民してきたという経験は共有していました。

彼女はオランダから、私は日本から。

 

ヨーロッパ人だから、パッと見で「あ、この人よそ者だ」ということはなかっただろうけれど、義母がカナダに来た当時は、まだまだ北米とヨーロッパは遠くて、現代のようにテレビやインターネットでリアルタイムにポップカルチャーや政治経済の動向を共有できる訳ではありませんでしたから、そういう意味では義母の方が異国へ来た、という覚悟が大きかったかもしれないと思います。

 

訛りがあるので(義母は最後までオランダ訛りが消えませんでした)やはり外国人として軽くあしらわれるようなこともあったようで、「でも自分の本当の価値は自分が一番分かっているから、慌てることはない。他人にどう思われようと、自分の頭で考えて、言うべきことは言ってやるべきことはやる、それだけ。」

 

人種差別とかではなくて、異物に慣れていない人たちの間に異物として混ざると、悪意のない偏見を感じることがあるよね、という話です。

 

悔しい思いをした、というような話は義母も私もしませんでしたが、自分が居心地のいい状況にいる現在、どこかから新たにやって来た人に対しては、偏見を持たずにその人そのものを見て受け入れられる人間でありたいと思います。

義母もそうやって私を受け入れてくれてたんだろうと思います。

 

 

義母と出会えたこと、彼女が夫の母だったことで、私はとても恵まれていたと思います。

 

 

たいへん 個人的な長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。