食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

ガイジンとかハーフ、って言わなきゃダメ?

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先日友人宅で食べたテンペ炒めの応用編で、豆腐を同じつけ汁につけ、白菜の代わりにケールを使って黒いご飯の代わりに麦と白米を使いました。美味しかったですが、豆腐よりテンペの方が味が染み込んで美味しかったかも。

 

何かと話題なUSオープンテニス

USオープンテニス、女子決勝戦、ご覧になりました?

ってもう随分前の話ですが。

私は夜遅く帰宅して、ネットで結果を知り、「お、日本の選手が勝ったんだ、すごい!」と喜びつつ、テニスは普段見ないので、大阪なおみさんのことは存じ上げておりませんでした。

で、ユーチューブで試合のハイライトでも見ようと思ったら、その時点のネット上の話題はセリーナ・ウィリアムスのメルトダウン騒動が9割以上で、なおみさんの勝利については、ほとんど見つからず。

野次馬根性でセリーナのメルトダウンと試合後の記者会見と授賞式の様子のビデオを見、試合中のなおみさんの様子を見て、強くって若いなあ、でもこんな嫌な雰囲気で気の毒な初優勝だなあ、と。

 

その後なおみさん関連のNYTの記事を読んだりして、なるほど、と。

日本と北米ではこの試合結果関連の報道の内容、若干方向性がずれている模様ですね。

 

まあテニスのことは置いておいて、今回気になったのは、日本での言葉の使われ方。

 

文法的に美しく正しい日本語、とかそういう話題ではなくて、人の気持ちや認識度を表すバロメーターとしての言葉遣いというか。

 

 

放送禁止用語についての記述

先日知り合いが、日本で放送禁止になってる言葉について説明してあるサイトのリンクを教えてくれました。

なんだかひどいんだよ、と言って。

読んでみると、確かに、「え?苦情がたくさん来ると『自粛』で放送禁止になるの?」と、驚いてしまうし、この言葉はよくてこちらはダメ、でも、その違いは?というあたり、その場しのぎというか、行き当たりばったりできちんと考察されていないから矛盾してる?ように感じました。

言葉の使い方で傷つく人がいるから、それを予防しましょう、という心遣いの部分と、苦情を受けるのは面倒だから、文句が出たらやめておけ、と言う保身のような部分と両方あるのかも。

  

英語圏でのPCの感覚とアメリカ45代目の台頭

 

カナダでもアメリカでも、PC、ポリティカリー・コレクトPolitically Correctな表現を使いましょう、という動きは随分前からあります。

中には「そこまで?」と感じるものもあったりしますので、「それくらいいいじゃない、うるさいわねえ」と思っている人も確実に存在するだろうと思われます。

 

差別用語とか、PCでない言葉っていうのは、それが使われる背景というか、一定の集団を差別化してラベルを貼るという行為、その段階で意識を改革しないと、言葉だけ変えても何にもなりませんよね。

なぜその言葉がいけないのか、その言葉を使って指し示される人たちのことを理解してあげようと思えない人には、通じませんよね。

 

だから上から権威を振りかざして「その言葉を使っちゃいけないんだ、こう言う表現を使うことは差別主義だ」と押し付けられていると感じる人達は、「エリートがよくわからないことを押し付けて来て、表現の自由が奪われている」と感じるわけで、そこに現アメリカ大統領のような人が登場し、人気を得る、と言うことに結びついたんだと感じます。

 

 

日本における、ガイジン及びハーフという表現について

大阪なおみさんが優勝する前に、この方が日本のプロであることについて色々と議論があったらしいと聞きましたが、その理由は、日本の人々がなおみさんを日本人だと思うかどうか、ということらしいと。

 

二重国籍所有者だし、アメリカでずっと暮らしていて日本語はあんまり堪能ではないし、、ということらしいです。

で、お母さんが日本人、お父さんは日本人でない、だから、半分日本人、という意味で、ハーフ。

 

大阪さんが日本人かどうかという話には興味はないのですが、このハーフ、と言う言葉と、外人、という言葉について、ちょっと考えたいと思います。

 

 

日本国籍所有者じゃない人と家庭を持って子供を持った人たちやその子供たち自身が、ハーフ、と言われることに違和感を感じているとはよく聞く話です。

 

私は当事者じゃありませんが、嫌だと感じる気持ちはわかる気がします。半分って言われてるんですから。

 

同様に、日本国籍じゃない人が日本で「外人」って言われることに抵抗がある、と聞いても、そうだよね、よそ者って言われてるんだもんね、と思います。

 

 

嫌だというんだから使わないでおこうと思った時、、、、、気がつくのは、使わないでおこうと思わなくても、使う必要ってないじゃない、ということ。

 

なぜ使わなければいけないのでしょうね?

どんな状況で使われるのか考えてみました。笑

 

  • きゃすぴえの旦那は日本人じゃない=きゃすぴえの旦那はガイジンです
  • きゃすぴえの旦那は日本国籍を持っていないから、成田で日本パスポート所有者の列に並べない=きゃすぴえの旦那はガイジンなので、成田で日本パスポート所有者の列に並べない、、、

 

まあね、ガイジン、っていう方が早いというのはありますかね。 

 

あとはなんだろう、

  • きゃすぴえの旦那は日本国籍を持っていないから、日本で犯罪を犯したら国外追放になる=きゃすぴえの旦那はガイジンだから、、、(以下省略)

 

でも、上の例文のようなことって、そんなに日常的に使う表現ではありませんよね。

 

  • きゃすぴえの旦那はカナダで生まれ育ったから、日本の風習が珍しいんだよ。
  • きゃすぴえの旦那はカナダに住んでるから、日本に来るには大金がかかるから、しょっちゅう来れないんだよ。

この場合は、あえてガイジンというよりは、その人の出生とか住んでるところを言う方がはっきりするし、その方が自然な気がします。

 

話題にしてる人が日本国籍所有者であるか、日本語話者であるか、日本文化を共有する人であるか、話題によってはそれを指摘する必要がありますが、そんなにしょっちゅう指摘する必要があるのかな?

 

カナダには、多重国籍者も、両親の国籍や文化背景が全く異なる人たちや、自ら移民してきて国籍を所得したカナダ人や、生まれた時からカナダ人の人や、いろんな組み合わせの人たちがたくさん存在します。

だから、いちいちこの人はハーフだのガイジンだの、と指摘することは日常会話ではありえません。

 

ただ「私は父方の祖父がウクライナからの移民で、祖母はアイルランド系カナダ人で、母方はフレンチカナディアンだよ」とか、そう言うことを自慢げに言う人は大勢います。

移民で成り立ってる国だからですけれど、いちいち誰の人種がこうで、国籍がこうで、と気にしなくて良いのは気楽です。 

 

 

モンゴロイド、という表現について

そういえばまだ学生の頃、いろんな状況のクライアントを助ける立場になる私たち、クライアントを差別用語で指し示したりしてはいけないから、と、当時の時点でPC な表現とそうでない表現を一通り確認する授業がありました。

 

そこで担当教授が持ち出してきたのは、一昔前は普通に使われていたけれど、その当時はすでに差別用語とされていた言葉の一覧でした。

 

中には「あ、それは聞いたことがあります、ちょっとひどいよねえ」「うわ、その言葉、やめて〜!」と言うのもありましたが、その中に一つ「モンゴロイド」と言うのがありまして。笑

 

ご存知の方はご存知でしょうけれど、北米でモンゴロイド、と言う言葉は、ダウン症の人たちを示す言葉として使われていたのです。

 

現在はこれは差別用語というか侮辱的な表現なので使えないことになっていますし、ダウン症の人をモンゴロイドと呼ぶ人と出会ったこともありませんけれど、昔の映画の中のセリフとか、昔書かれた小説などの中で見かけたことはあります。

 

え?なぜモンゴロイドって?

 

それは、ダウン症の人の外見的特徴がアジア人を思い起こさせるから、ですよ。

 

酷いでしょう?

 

そんな言葉で指し示される人も嫌な気持ちでしょうし、アジア人みたいだから、と言われるアジア人だって嫌な気持ちになりますよね。

 

言葉って、使ってる人はそこまで考えてないわけでしょうから、巻き込まれてる人たちの気持ちはわからないのでしょう。

 

でも、その言葉で気持ちが傷つけられる方は、嫌ですよ。

 

半分、と呼ばれたことがないので、呼ばれたらどういう気持ちになるのか、わかるとは言えないのかもしれませんけれど、嫌な気持ちになります、っていう人がいて、確かにそうよね、と想像ができることなので、私は両親の国籍が違うだけで半分呼ばわりするつもりにはなりませんし、それで支障をきたすことはないと思います。

 

 

差別意識とか排除しようという気持ちがある限り、差別用語はなくならないと言うことかなと思います。

 


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