食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

丹精込めるか、手間を省くか

f:id:casse-pied:20181123082548j:plain

f:id:casse-pied:20181123082618j:plain

ある日の夕餉、リーク&ポテトスープとアスパラガス・ピッツア

 

努力と手間と工夫を尊ぶ日本における、北米ジャンクフードチェーン店のマーケティング戦略

 

むかーし昔、少女きゃすぴえが日本の両親の家ですくすく育っていた当時のこと。

日本にはいろんな「アメリカ発」「外国の」ファーストフード店だの高級お菓子屋さんだのが軒並み進出し、定着し、支店を増やし、テレビでコマーシャルを流し、、、、とお金持ち日本の市場拡大真っ最中でした。

 

そんな折、テレビのコマーシャルで印象に残っていたのが、現在北米ではクソミソに言われていてマトモな栄養および経済観念がある普通に教育を受けた人たちは一様に避ける傾向にあるファーストフードチェーン、K*C(ケベック州ではフランス語訳の名称を省略するので、P F Kになります、Poulet Frit Kentucky)の「創設者のカーネル・*ンダースが考案した**種類のスパイスを組み合わせ、誰にも真似できない味を作りました」という宣伝です。

 

揚げ物ってどこの文化圏でもやっぱり万人ウケしますし、そんな複雑なスパイスの組み合わせで味付けされてたらさぞや美味しかろう、そんじょそこらの鳥の唐揚げとは違うのだ、という印象がテレビを見ていたお茶の間の日本の人々の脳裏に強烈に焼きついたのは明らか。

 

我が家でも何かの折に一度だけ、母が大きな詰め合わせを買ってきたのを家で食べた覚えがあります。

普段は出来合いを買ってくることは一切なかった母なのですが、さすがの彼女もテレビの宣伝に影響されたのでしょうか。(もしくは子供達がヤイヤイ煩かったとか、乗りやすい父も、あれ食べてみようよ、と言ったのかもしれません。)

 

美味しいと思ったかどうかとか、そう言う記憶は残ってませんけれど、毎年クリスマスの時期になると「クリスマスはやっぱり」あそこの商品を買って祝うもの、みたいな宣伝を見たり、一般的にポジティブに受け入れられていたような印象がありました。

 

脂っこい揚げ物ジャンクの現実

時計を早回しして現在、いや15年くらい前に最後にK*Cを食べた時(それ以前は多分東京で食べたのが最後)半分くらい食べ進んだ時点で「うわ、もう唇や口の中に油が溜まってきたようで、鼻につくようで、胃も持たれてきて、気持ち悪くなってきた」と。笑

 

あれはハイウェイでケベックからオンタリオへ向かう途中、お腹減ったし、ハイウェイ降りて街に出て店を探すのは面倒くさいから、サービスエリアの適当なところで食べようよ、という状況で、行列がなかったので選んだのでした。(カナダのサービスエリアなどではティム*ートンズというドーナツ屋チェーンが一人勝ちなのが普通で、他の店は行列がそれよりうんと短いのが常かと。)

 

一緒にいた夫と友人と私の三人とも「うわー、もう二度とこんな間違いは犯すまい」と誓い合ったのでした。笑

 

これって、北米だからなのか、なんなのか、今となっては判断もできませんけれど、なにせ今はヴィーガンですし、いや、仮にそうじゃなくてもあれは二度と繰り返したくない。

 

前置きが大変長くなりましたが、、、

 

何が心に響くか

K*Cを見て「スパイスを**種類ブレンドした、、、」とか、創始者のカーネル・*ンダース氏の秘密のレシピが、、、とか、そういうことを思う人って、多分北米には誰一人として存在しないと思いますが、あの宣伝文句は、食事の支度でもなんでも「丹精込めて」「技を極めて」「精魂込めて」が高く評価される日本の風土にあっていたと思います。

 

夫と出会った当時のきゃすぴえの得意料理は餃子だったのですが、あれも、皮から支度して、野菜を刻んで具を混ぜて、皮を伸ばして一つ一つ包み始めて、全てが調理できる段階に至るまで、一人でやってると1日かかりました。(100個くらい作ってました。)

 

同居人とか友達とかが出入りする台所で、ずーっと朝から作業していて、午後3時くらいになって「やれやれ、では付け合わせのサラダの支度でも」って言ったところで、当時の同居人Jに「え?まだ何か作るの?それは狂気の沙汰だよ、もう休んでいいよ」と言われたのを覚えています。

 

今じゃ1日作業続けて夕食を提供するなんてこと、頼まれてもやりませんけれど、当時は若かったし、平気だったんですねえ。

でもそれを見ていた同居人や友人たちは「一日中料理してるなんてとんでもない」と。

 

夫も餃子は大好きなんですけれど、私が一人延々と作業を続けているのを見ると「そんなに重労働な思いしてまで手作りする意味はなんなの?冷凍のやつ買おうよ」と言います。(大変そうだから手伝うよ、と言うのはないのです。だって彼が包んだ餃子はピロシキみたいになりますし。笑)

 

いや、手作りする意味は、味がぐんと違うからでしょ?と思うのですが、彼曰く、そんなに時間かけて手間かけて味が二倍くらい美味しくったって、その利益を得るための投資(時間と労力)が十倍くらい違うんなら、それは効率が良くない、と言うのです。

 

そう言う考え方する人って多分日本には居なさそうですよね。笑 

 

夫だけでなく、割とみんなして「そうだそうだ、君の時給が仮に法定の最低賃金だったとしても、君が料理に5時間かけたとしたら、それだけで**ドルかかってる。その上材料費や光熱費を合わせたら、すごいコストだよ。」と。

 

現在のケベック州の最低賃金んは確か12ドルですから、仮に5時間かけて作ったら60ドル、100個で60ドルってことは10個6ドルですから、確かに餃子の値段としては高いです。(売値じゃなくて、コスト、しかも人件費のみですからね。)

 

日本では、時間かけてじっくり仕込んだり、機械じゃなくて手作業で仕込んだものが本物の味、と言う風に尊ばれる傾向にあると思うのですが、すし飯を仕込むときにうちわで扇いでくれ、と頼んだ人たちが口々に「こんなの扇風機あてとけばいいじゃない」という発想をする北米ですから、手作りへの価値観も若干違うんでしょうね。

 

とはいえ、本音を言えば私も、手作業ならではなものはもちろんあるでしょうけれど、餃子を手作りするの、面倒臭いし重労働な割には「大変なんだから今度は冷凍でいいよ」とか言われる始末ですし、やる気が萎えてしまいましてね、ずいぶん作っていません。

すし飯だって、うちわで扇ぐのを面倒がられるので、扇風機の角度を調整して、自分で混ぜながら扇風機をあててみて、このアイデアも割と使えるかも、と思っているくらいです。

 

でもそう言った論理性とか効率とかだけで食べ物のことを考えていると、やっぱり北米のような、分量は多いし値段は安いけど美味しいものがあんまり期待できない文化圏と言うのが出てくるのかなあ、と言う気持ちがします。

 

それだけでなく、なんと言うか、肥満問題にも繋がるのかなあとか。だって、効率よく安価に大量の高カロリー食品が口に運ばれてくるシステムですもんね。


ヴィーガン ブログランキングへ