べルンド・ケストラーさんのミトン、出来ました。苦笑
試着しながら好みの大きさに作れば良いという自由さが素人には逆に難しく、最初のはちょっと大きすぎ、二つめは丁度良いサイズ、、で両手でサイズが若干違います。
BOも、アイスランディックとiコード、説明がよくわかりませんでした。
編み物ブロガー様たちの素敵な作品に刺激を受けて日々精進していきたいもの。
日本では師走。
北米ではホリデーシーズンです。
昔気質の方やPC気にしない方にとってはクリスマスシーズンです。
クリスマス=多数派文化
クリスマスという日、北米では毎年保守的&伝統的な方vs文化や宗教のためキリスト教文化に同化していないグループやathiest(無宗教)の人たちなどの間で、違和感が盛り上がる時期でもあります。
どういうことかと言えば、クリスマスを祝う(=多数派)に対してクリスマスを祝わない(=少数派)が多数派の価値観や習慣を押し付けないでくれ、と主張し、その主張が少なくとも政治的には受け入れられているわけです。
(そう言う声が多数派に届くようになったと言うのは要するに少数派の数が増えたと言うことと、「多様性」と言う価値観が時代と共に広まってきたと言うことが背景にあるのでしょう。)
私の記憶ではそう言う会話は80年代くらいから広まったと思うのですが、当時はわたしも半分子供でしたのでその辺りの認識は曖昧。
昨今はソーシャルメディアのおかげで「自分と意見の違う人への激しい誹謗中傷合戦」がサイバースペースで派手に繰り広げられるため、あれ、まだこういうことで揉めてるのね、と目につきます。
と言うことで、キリスト教文化出身でもない人(昔は主にユダヤ系)相手に「メリークリスマス」と言うのは、多数派の文化を押し付けているわけだから、やめましょう、「ハッピーホリデーズ」って言いましょう、とポリティカリー・コレクトな表現が使われるようになったわけです。
ついでに、クリスマスツリーは「ホリデー・ツリー」とか、まあ色々と宗教を特定しない表現が出てきたり。
でも一方で消費文化花盛りな北米、消費活動は盛り上がり続け、買い物をめぐるクリスマス文化はユダヤ系や移民も巻き込んで今年もガンガン好調な様子。
これって北米だけ?
欧州ではどうなんでしょうね?オーソドックスかカソリックか英国国教会か、くらいの違いがあれどほぼキリスト教文化圏な欧州ではそんな論争は存在しないのでしょうか。
今でこそ欧州にも世界中から大勢の人々が移民して定住していますけれど、北米は元々がヨーロッパからの移民が原住民を抑圧して作り上げた国の集まり。
カナダは特に、「皆が移民。出身国は違っても皆カナダ人」な建前ですから、多様性を受け入れることは政治的にも大変重要です。
私個人はキリスト教文化の人だなと判断した相手には「メリークリスマス」と言いますし、相手に言われても痛くも痒くもありません。
むしろ、「日本ではクリスマスは祝うのか」と聞かれる方が、またか、面倒臭いな、と感じますが、まあそれは別の話。
多数派以外の感情も汲んでやろうじゃないかという動きが始まって久しいからでしょうけれど、現在キリスト教文化圏人(長いな)以外の知人たちで、クリスマスを苦々しく見ている人って、私個人の知り合いには案外いません。
私が気にしないでいられるのも、実は押し付けられたり私の非キリスト教文化を否定されてると感じないからこそかもしれません。
世間には今でもやっぱりクリスマスを押し付けられて心理的に傷ついたと主張する人もいますし。
職場では「ホリデーパーティ」を毎年やりますが、飾り付けなどはクリスマスっぽさを控え、無宗教なものを、と上司はとても気を使っています。
でも毎年「クリスマスパーティはいつだっけ?」と聞かれたり「去年のクリスマスパーティー楽しかったね〜」と言われたりするので、あまり効果はなさそう。
パーティーの飾りにクリスマスらしいリースとかクリスマスツリーを持ち込みたい人たちも当然居て、上司に「それはクリスマスっぽいからだめ」と言われて不満げです。
クライアントの中には天涯孤独な人も多いので、彼らが自宅でクリスマス気分に浸ることは困難ですから、まるっきりクリスマスを奪い去るのは気の毒な気もします。
クリスマスって「年に一度、心が温かくなって家族と共に幸せを感じられる日」というような、最大のご褒美のような、そんな位置付けがあるのです。
だから、そんな日にゴチャゴチャと政治的なことや綺麗事を聞かされるのは真っ平御免だ、という反応が出てくるのも納得。
ハッピーホリデーズ!と挨拶されて「メリークリスマスと言って何がいけないんだ!」と怒り出す人の心理はそういうことなのかも。
どっちに転んでも気に入らなくて怒る人が出没するようです。
クリスマスって何
クリスマスの起源は北欧のぺガン達が冬至を祝う習わしがキリスト教に吸収されたのが元だと言われています。
クリスマスツリーも、ブッシュドノエルなどクリスマスの「丸太」も、ぺガンが冬至のころにしつらえた、ユール・ツリーとユール・ログを元にしていますし、他にもクリスマス=キリスト教の飾り付けだと受け入れられているものはほとんどがぺガンの冬至祭の飾り付けです。
赤い衣のサンタクロースはコカコーラの色ですけれども。笑
そんなわけで、純粋なキリスト教の教えのみに従う、クリスマスを祝わないキリスト教宗派は案外色々あります。
だから「クリスマスは宗教の祝日」とも言い切れない。
今年の冬至は12月21日でした。
北半球ではこの日を境に日照時間が再び増えていくとても嬉しい日。
自然の摂理として、どんどん暗く寒くなっていく日々が終わり、日に日に明るくなっていく、季節の折り返し地点。
ぺガン達(キリスト教に改宗していない野蛮な人たちという意味合い)が祝った真冬のお祭りも、それを取り込んだクリスマスも、本当のところは両方とも、辛くて暗い冬に何か楽しみに待ち望めるイベントを持ってきたいという心理や、辛いのはこれで一旦終わりで、これからは少しずつ明るくなっていくよ、という希望にあふれた思いが根底にあると私は勝手に思っています。
冬至を祝う人たちって別にぺガンやキリスト教徒だけじゃないですしね。
日本より半日遅れの北米、クリスマスのご馳走はまだです。今年も大したことはしませんが。笑