食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

トマトのローストとボチボチ片付け

加熱したトマト

生よりも好きです。

ローストしても、フライパンでチャチャッと炒めたのも、スープに入ってても。

 

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オリーブオイル、ローズマリー、バルサミコであえてからオーブンへ

先月ノルウェイで泊まっていたホテルで朝と昼のブッフェに毎回出てきていたんですよ、ローストしたチェリートマトが。

 

ヴェジのコーナーのバリエーションはやっぱり比較的少なめで、しかもヴィーガンなのにグリーンサラダにあんまり愛を感じない私ですので、加熱してある野菜類は全て試してみて、このトマトが一番ヒットしたのです。

 

ローストしたトマトなんて珍しくもありませんが、そこのホテルの厨房が作り出すロースト・チェリートマトは、なんというかアルデンテっぽくて、ぱっと見、ローストしてあるようには見えない程度に皮に張りがあって、でも口に入れるとちゃんとローストされた味わいがあるのです。

 

滞在中に一度だけ「あれ、今日のトマトは加熱がたらないわ」という時があって、一緒にヴェジのエリアの食品を選ぶようになっていた同僚も「本当だ、今日のトマトはいまいちだね」と。笑

 

きっと、いつものトマト担当者がその日は休みだったんでしょうね。

 

で、帰宅してチャンスがきたらやってみましょう、と思っていたのでしたが、そういうことはすぐに忘れてしまうもの。

 

先日遊びに行ったオタワの友人姉夫婦のお家で、朝ごはんにローストされたチェリートマトが出てきまして、ああそうだった、これやってみようと思っていたんだわ、と。

 

そのお家のチェリートマトのロースト具合は、よくある、トマトがしなっとなっていい感じに柔らかいロースト。

 

時間はどれくらい?と聞くと「十二分」との答えでした。

でもね、家庭のオーブンの加熱時間や設定温度ほど当てにならないものはない。

 

でも私が目指しているのは普通にローストされ切ったトマトではなくて、アルデンテ。

ということは、うちのヘナチョコオーブンなら同じくらいの調理時間でちょっと手前の出来具合になるかもしれないなあ、、とかなり大雑把な予測を立てて、十二分調理してみました。

 

設定温度は400度ですが、これも庫内に温度計を置いてみるとわかるのですが、うちのオーブンでは400度よりちょっと低めです。

 

タイマーかけて、十二分後に取り出してみたところ、全くローストされた感じにはなっていなかったんですが、小さめのトマトは微妙に良さげだったので、小さめのだけを器に取り出して、残りを再びオーブンに入れて、扉の開閉で温度が下がっていることを考慮し、タイマーを五分にセットして再び待ちました。

 

加熱し過ぎに注意、注意、と思いつつ、次に開けた時も小さめのものを取り出し、全く硬いままっぽいのを再び入れて、三度目の正直でオーブンへ、でも今回は余熱で若干加熱する程度でも良いかも、と変な勘に頼って加熱はやめました。

 

その結果できあがったのがこの写真のトマトたち。

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それそれで旨いが、完成ではない

いやー、加熱しすぎないように、と見た目で判断して何度も加熱し直したのは完全なる失敗でした。

 

写真の一番手前の左側にあるような感じでプルンっとした生に近いツルツルの皮の状態で、でも加熱された酸味を感じるのを目指していたのですが、ほとんどのものがその右側や上にあるような皺皺状に。

 

もちろん全部美味しいんですよ、でもね、目指していたのはこれじゃないんですよ〜。

 

次は十二分でキッパリやめて取り出してみよう。

きっと取り出した後もトマトにこもった熱でちょっと調理がすすむんですよね。

きっとそうだ。

それにしても、あのホテルのチェリートマト担当さんはすごいなあ、あの歯応えのあるローストトマト、また食べたいなあ。

 

 

 

ボチボチ片付け

 

コンマリさんの影響力はやっぱりすごいですね。

職場にボランティアにくる方の一人が、最近、来るたびに古雑誌やら古本を持ち込んでくるようになりました。

 

我が職場には小さな小さなライブラリーコーナーがあるので、たまに本を寄付してくださる方が登場します。

 

でも、小さなコーナーですし、本の寄付は大概が本当は捨てたいけれど、本を捨てることには罪悪感を感じるので、寄付してしまおう、という発想の方が多いと感じます。

正直な話、かび臭い本や、教科書や、数年前のマイクロソフトのプログラムの使い方の本など、もらっても困るようなものが結構多い。

なので基本的には本の寄付は受け取りません。

 

人に物をあげるのだから、もらえる方は嬉しいに決まってる、という発想で、相手の事情を確認せずに大量に本を持ち込むのって、個人的には本当の好意だとは感じませんし。

でもそこはカナダ人社会ですので「ソーリー」が飛び交います。笑

 

話がそれましたが、ボランティアのA氏。

私に言うと断られるのがわかっているので、つい半年前から働き始めた新人君に紙袋二つを手渡してそそくさと帰っていったのが夏の終わりのこと。

 

先週は古い雑誌を山ほど持ってきた現場に私も居合わせたので、問い質してみると、やっぱり家の整理をしていると。

 

「ひょっとして、マリー・コンドーの本読んだんですか?」と聞くと、やっぱりそうでしたよ。

北米でも人気らしいですよね。

 

で、マリー・コンドーさんのおかげで職場に持ち込まれた書籍をリサイクリングのビンに入れて世界中の悪を一人で行っているような気分にさせられるのは私です。

 

捨てる勇気がないからゴミ箱の代わりにうちの職場に持ってくる、そんな人々の罪悪感を私が引き受けるなんて納得いきませんけど。

  

職場ではそうやって冷血に本でもなんでも捨てている私ですが、家ではそう言うことはできません。

 

やっぱり思い入れのある本は捨て難いです。

しかもうちは二人暮らしなので、収納場所がたっぷり足りてしまっているのです。

夫は「わざわざ捨てなくても地下に置いておけば良い」と言います。

私は物を抱え込んでしまうとどこに何があるのか把握しにくくなるし、いらない物をいつまでも持っているのはよくない、と感じます。

 

そんな次第で、ボチボチ片付けを始めましたよ。

 

世にある片付けブログや、ゼロ・ウェイスト系のブログなどでも片付けの思想について語っていらっしゃるので刺激を受けつつ。

のんびり、ゆっくり、戸惑いながらですけれど。笑

 

  

本はやっぱり捨てにくいアイテムなので、年に何冊かしか買いませんし買うのも古本です。

基本的には図書館で借りて読んでいます。

著者への収入を考えると新品で買って応援してあげるべきとも感じますが、一冊の本にかかる資源や、それが後年ゴミになることを考えるとつい。

 

 

くだらない本を出版することは罪だと感じます。何がくだらない本なのかは主観ですけれど。


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