食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

目に見えない危機を前に、社会の中で個人はどうあるべきか

Mt. Tremblantのバイクパス沿道のコロナ対策で2メートルの距離を確保することを呼びかけるポスター

(英訳)we keep in shape, we keep the distance, we keep our health

地元ケーションではLe P'tit Train du Nordというバイクパスも楽しみましたが、Mt. Tremblant(モン・トレンブラン)村周辺には距離をキープしてくださいよ、のポスターがあちこちにありました。

 

 

COVID-19とパンデミックの現在 

 

3月にCOVIDー19の市内感染者数が日毎に倍増し初め、パンデミックが身近に感じられ始めてから五ヶ月が経ちます。

 

目に見えないウィルスとそれが巻き起こすCOVID-19への警戒心というか恐怖心というものも、ロックダウンが始まり、大勢の死者やICUで治療を受ける重症患者、治療にたづさわる医療関係者への感染拡大などなど、危機感を感じないではいられない報道が日々続きましたが、感染者数が減り始め、部分的にロックダウン解除や市民の行動規制の緩和が始まるに従って、人々の危機感や行動パターンに変化が出てきたように見えます。

 

 

ロックダウンが始まる前の週にふと頭をよぎったことが思い出されました。

それは、目に見えないウィルスに対する認識と警戒心というものが、いつも仕事で関わるクライアント諸氏の多くが生きている「パラノイア」「妄想」などと酷似しているんじゃないかな、というもの。

 

ウィルスは現実ですから、思い過ごしでもパラノイアでも妄想でもありませんけれど、何しろ目に見えないものですから、「私が把握している現実」と同僚、友人、マスク着用拒否をしている人たち、などなど他人が把握している現実の間にはかなりの差があるわけです。

 

政府の発表とか、普段目にする報道とか、住んでいる土地や交友関係、職業、性格、などなどが個々の人間の「把握している現実」に影響を与えます。

政府を信用するか否か、慎重に内容を吟味した公共性の高い報道を見るのかショッキングで信憑性のないことを連発するチャンネルに合わせるのか、感染が広がって危機感を感じないではいられない土地に住んでいるのか、パンデミックと言われてもうちの街には感染者はいないからと対岸の火事的な気分でいられる土地に住んでいるのか、自宅からオンラインで仕事をこなせる職なのか、他人との接触が避けられない仕事場へ通い続けなければいけないのか、慎重派か細かいことは気にしない大胆な性格か。

アメリカではここに「共和党支持者か民主党支持者か」とか、政治的な影響が影を落としているので、これまた厄介です。

 

理由はなんであれ、ウィルスやいざ感染した後の症状や後遺症に対する警戒心、恐怖心、そしてそれを元に個々が選ぶ行動の慎重さの度合いのスペクトラムは、徐々に感染が落ち着いてきた頃合いから広がってきたような気がします。

 

 

「もう**人以上での集会も許可されてるんだから」と大勢集まる場所にいそいそ出かける人もいるし、「まだ怖いから家から出ない」という人もいます。

どちらが良いのか、どっちでも関係ないのか、人それぞれでしょうか。

 

 

マスクの不快さと効果

職場では午前中と午後で滞在者を予約制、人数制限付きで受け付けて、入れ替えの際には使用された椅子や机、パソコンのキーボードやスイッチ類などを全て消毒していますし、入場者は一人づつスクリーニング(感染している可能性の高い人を入れないために質問事項に答えてもらいますが、嘘をついていたらそれまでなので、効果のほどは100%ではありません)をし、食事のサービスを停止し、滞在中はお互いの距離を2メートル確保できるように、そして全員マスク着用です。

 

それで気がついたのですが、マスクの着用の仕方って人それぞれなんですよね。

 

サービス再開後、最初に来訪した際には皆さんに鼻も口もマスクで覆わなければ意味がありませんよ、と科学的に解説するビデオを観てもらい、その他にも安全対策への理解を求めるオリエンテーションを受けてもらっているので、「マスクつけたくない」とごねる人はいませんが、気がつくと鼻を出してる人が結構多いのです。

 

表を歩く時にマスクをして、暑いからと顎の下にひっかけて歩いてる人が結構いますが、そうやっているうちにマスクの生地が伸びてしまって、きちんと着用しようとしても布地がたるんでしまって鼻の下にずれ落ちてしまうような人もいます。

 

「暑いから」と言って引っ張って鼻を出している人もいます。

 

そういう人たちには気がつくたびに「鼻もカバーしてくださいね」と声をかけるのですが、「ああハイハイ」とその場だけ反応して、すぐにまた鼻を出してる人もいます。

 

室内で複数の人間が集まる場所で、マスクをきちんと着用しない人が大きな声で喋っている様子はちょっと怖いなあと思うと同時に、この人が感染者である可能性はどれくらいかな、きっと本人は「自分は平気」と思ってるんだろうな、平気かもしれないけれど、そうじゃない場合のリスクはやっぱり無視できないな、といろんな思いが頭をよぎります。

 

 

マスクの着用率に関しては、呼吸器に問題があるとかLibertarianだとかで着用拒否する人たちが10%くらい居ても大丈夫なんだと義妹(医師)が言っていました。

なるべく多くの人々が着用して唾液を飛び散らさないでいるのがより有効ですから、着用率が100%だと素晴らしいですけれど、アジアの国々はいざ知らず、欧米ではこれはなかなか難しいのが現実です。

 

自転車道沿道のポスター、コロナ対策の2メーターの距離を確保することを訴える内容、コミカルな鹿のデザイン

冒頭のポスターと同じメッセージで別デザイン。鹿かムースか。軽快な感じはやはり鹿かな。

マスクが有効か否かという話題が出てきた頃、日本のようなアジアの国では風邪やインフルエンザの季節にはマスク着用して電車に乗ってる人たちなどよく見かけた、と言うと多くの知人が「素晴らしい、公共性が高く思いやりのある人たち」と関心したものですが、私は「無言のプレッシャーが強く、抑圧的で全体主義に走りやすい側面もある」と正直思ったものです。
  

その後マスク拒否でごねる人たちが登場したり、マスク着用義務化への抗議運動があちこちで開催されたりするのを見て「全体主義の匂いを感じて抵抗する、個人主義の考え方そのものは大いに理解できるけれど、公共の安全と言うことをもうちょっと考えられないものか」と言う気持ちにも。

 

どこに正解があるのか、はっきりしないだけに 難しいですね。

 

 

可愛い柄の布マスクをしてる人をあちこちで見かけて、それはそれで楽しいですが。


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