カナダの先住民政策
カナダという国は歴史もあまりなく、経済的にも軍事的にも大国ではなく、アメリカやイギリス、ソビエト連邦、日本などのような、侵略や植民地支配の過去を現在に引きずるような問題は基本的にありません。
けれどもどんな国も全く潔白無罪で素晴らしいばかりということはありえず、カナダという国家の抱える罪は、その国家建設の頃から続く先住民政策です。
ヨーロッパからの入植者から見れば、原始的で野蛮な人々に見えたカナダの先住民たち。
彼らの子供たちを、カソリックの学校で教育して白人社会に同化させようという政策がありました。
寄宿舎に入れ、彼らの言葉の使用を禁止し、彼らの伝統的習慣を否定し、彼らから民族の自尊心のようなものを奪い取りました。
つい最近あちこちの旧寄宿学校の地域から、数百人単位の子供達の遺骨が発見されて大きなニュースになりましたが、どんな虐待があったのやら、想像するだに恐ろしい。
虐待が一切なかったと仮定しても、幼い子供たちを親元から引き離し、彼ら自身の伝統文化をコミュニティの中で身につけながら成長するという本来の在り方を断絶し、先住民の人々が祖先から口承で脈々と続いてきた独自の文化を消し去ろうとした点だけでも、そのおこがましい罪は「文化的ジェノサイド」と批判され続けています。
入植してきたヨーロッパ人たちとは全く異なる世界観と価値観の中で生活してきた先住民たちは、現在ではその多くがネイティブ・リザーブと言われる政府指定の地域に生活し、政府からの生活保護のような経済的な支援などを受けて暮らしていますが、本来なら彼らの聖地だった山や川が開発されて住宅地になったりパイプラインを敷く用地になったり、自分たちの住処を奪った白人たちが大地に対して行う搾取行為にどういう思いを抱いていることか。
都市部の外れにあるリザーブ付近の大通りを通ると、非先住民のカナダ人客を目当てにしたタバコ販売小屋やガソリンスタンドなどが林立しています。
経済的にも文化的にも弱者の立場に追い詰められた先住民たちに対する心ばかりの謝罪というか援助というか、課税区分とか狩猟の権利とか、生活の中の細々した部分でネイティブ・リザーブにすむ先住民たちには特別措置がとられています。
非課税のタバコやガソリンは一般の価格より安価なため、非先住民達もリザーブに足を運ぶようになったのでしょう。
本来の伝統的な暮らしではなくとも、強かにカナダ社会で生きていく彼らが身につけた効率的な商売ですが、ケバケバしい看板やノボリ、安普請の小屋や周囲のゴミなどを見ていると複雑な気持ちになります。
先住民と一言で言っても色々な部族があり、色々な考え方をする人々がおり、内部での政治的な諍いや利権やなんやで、連邦政府との交渉も一筋縄ではいかない模様。
伝統と断絶され、白人社会との同化どころか差別だけが残り、希望を失い酒や麻薬に手を出す人々が多いことも先住民コミュニティの多くが抱える社会問題です。
政府も、コミュニティの人々も、今まで何もしていなかったわけではなくて、青少年のサポートをするシステムだの施設だのを建設したり、新しいプログラムを持ち込んだり、色々と対策をこうじてはいるようですが、どれもあまり効果がないようです。
One Day in the Life of Noah Piugattuk
そういう社会背景を知った上でこの映画を見ると、彼らの会話の成り立たなさ加減が痛々しく、「”文明人”に騙されないで!」とハラハラすると同時に、「だからカナダの先住民政策はうまくいかないんだろうな」と痛感します。
時は1961年、場所はカナダの北方、イヌイットのノアと彼のコミュニティの人々が古来から続く狩猟を基本とした生活を続けている所。
ある日、コミュニティの数人と一緒に犬ぞりで狩りに出かけたノアたちは、「偶然」知り合いのイヌイットと白人のカナダ政府の役人と出会います。
白人の役人は現代のカナダ人的なフレンドリーでソフトな口調でノアに「政府が設営する居住区に引っ越したら、木造で暖房のついた住宅を月に2ドルで提供する」「あなたたちの子供たちを学校に入れてあげる」と、彼らが求めてもいない「優遇措置」付きで彼らを居住区に移住させようと迫ります。
英語のわからないノアたちイヌイットは、英語がわかるので通訳をやっている知り合いのイヌイットに「彼はなんて言ってるんだ」と説明を求めます。
イヌイットの言葉がわからないお役人も「彼に伝えてくれ、私は、彼を助けてあげたいんだ、彼が求めているものを知りたいんだ、居住区に引っ越す日にちを知りたいんだ」と迫ります。
イヌイットの言葉は字幕で理解できますので、観客はお役人にイヌイット側が言っていることが伝わっていないこと、そしてお役人が言っていることが通訳の男によってかなり端折られたり変えられたりしていることに気がつきます。
「あ、これは、ロスト・イン・トランスレーションかな?」
とイライラ、いや、ハラハラします。
「白人のお役人は助けたいって、欲しいものを提供してあげるって言ってるのに、通訳、なぜそれを通訳しない!」
と思った瞬間に気がつきます。
イヌイットの世界観や語彙には、西欧人が当たり前のように使う「お金」とか「学校」とか「家賃」という概念が存在しないのでしょう。
第一、「あなた方を助けたい」と言ってるお役人の本当の目的は、助けを必要とせず自分たちの暮らしを淡々と送っているノアたちを生活空間から引き摺り出して「西欧化」させ、子供たちを全寮制のキリスト教の学校に閉じ込めて”野蛮”な部族の伝統を断絶することなのですから、そこまで詳しく知らないとはいえ、「この白人は私たちには不要なものを押し付けようとして色々と話しているぞ」ということだけが伝わればそれ以上は知る必要はないでしょう。
同じ内容の会話のすれ違いが延々とつづくのですが、なんともいえない緊迫感があり、また、なんともいえないおかしさ、イヌイットの視点から見たお役人のグロテスクさが雪の白さの上に浮き上がるようです。
実際はこの当時の政府のお役人がイヌイットの人々に表面的とはいえここまで対等な口調で話し続けたとは思えませんし、差別的な扱いもうんと激しかった60年前のことを思うと、ちょっと身震いします。
淡々としていて会話がずっとつづく作品ですので好みも分かれるでしょうが、先住民問題に興味のある方はぜひどうぞ。
カナダにお住まいの方はCBC Gemで無料で観られます。
日本人と、遠い祖先が同じなんですよね。