公園内の野球場の外野は、きっとカナダ雁の糞で大変なことでしょう。隣にはフットボール・フィールドがありますが、タックルするスポーツだけに、選手たちが気の毒。
今回の帰省のテーマは
せっかくの日本なのに温泉にも、美味しいお店にも、日本国内あちこちに住んでいる友人たちや従姉妹たちの訪問も、何も楽しいイベント一才無しにかなり長期間過ごしました。
長期間になったのは、コロナでまず入国後すぐの隔離期間2週間という時間=家族と一緒に何かするということには使えない期間が必要なためでもあり、永住者がカナダに再入国するために必要なPRカードなしでの帰国になるため、PRTDを帰国直後に申請して受け取れるまでの期間が未知だったため、一月以上かかる場合もある、と言われていたその一月に賭けてみた(かかる場合もある、と脅し半分で言うということは、かからないことの方が多いだろうとみて。でも保証はないので、帰国予定までに受け取れない場合は帰国便の変更が必要だと覚悟しておりました。)
というわけで、長期間出かける予定もなく、遊びに行くこともなく両親の元にこんなにどっぷり滞在(最初の2週間はすれ違う程度でしたけど)したのは本当に30年ぶりくらい?という感じでした。
観光したくて帰省したわけでもないので、ここは腹を括って家で家族のためにできることをやる、これをテーマに過ごすことにしました。
処方された薬の管理
一昨年帰国した頃に比べ、グッと年老いたな、という印象の両親。
病気やその治療、病気した人の世話、というだけでも大変ですからね、今後どれくらい続くのかわかりませんが、生きている限りは楽しく過ごしてもらいたいと思います。
楽しく過ごすためには悩みや混乱、痛みなどがあってはいけませんから、生活面を楽にする手助けを、と思いました。
重いものを持ったり、収納の上の方や下の方に手を伸ばす動作などがつらそう、及び将来的には危険になり得るので、まずは食器棚の整理や、大きな家具を動かさないとできない掃除をしました。
そして次に父の薬の整理をすることに。
年寄りですから、薬をたくさん飲んでいることくらいは聞いていましたが、その数と煩雑さを目の当たりにしてびっくり。
私の隔離期間が終わった頃に、大きな病院から処方箋をもらってきた父。
いつもの大学病院の目の前の薬局に行かなかったので、家の近所の薬局にその処方箋を持って行って、薬をもらってきてくれないか、と頼まれました。
その前日に母からも同じ依頼を受けて同じ薬局に行っていたので「処方箋入口がお店の脇に別にあるんだよね、一回行ったからわかるよ、行ってきまーす。」と薬局へ。
そこで薬剤師さんにまず「お薬手帳はお持ちですか」と聞かれ、え?なんですかそれ?
前日に母の分の薬をもらいにきた時には保険証をお持ちですかと聞かれ、持ってきていなかったので、この時は父の保険証は持ってきていたんですが、お薬手帳というものは知りませんでした。
母はいつもこの薬局にお願いしているので、多分データベースに全てが入っているんでしょうね。
父はそれまで別の薬局でしたから、新規の顧客です。
薬剤師さん「今回初めて当薬局をご利用いただきますが、理由は一体なんでしょうか?」
そう言われてみれば、今までは別のところに行ってたって言ってたっけ、程度の認識でしたから「済みません、存じ上げません」と。
問題があるのではなくて、それまでと同じ薬を継続して処方されているようだけれども、ジェネリックの薬なので、いつもの薬局が仕入れている製薬会社とこの薬局が仕入れている所が別の会社なのだと。
そのため同じ薬品でも製造元によって錠剤の色やパッケージのデザインが違うので、前のと違う!と驚かれるかもしれませんが、同じなんですよ、と。
薬品のリストにはご丁寧にその薬の写真がついていて、実物と照合できるようになっています。
それを一緒に見ながらの説明ですので、わかりにくいなどということはなく、一つ一つ「はいわかりました。」と。
自分が日本で処方薬を服用したのは、それこそ何十年も前のことですし、当時は処方箋方式ではなく、病院の待合室でお会計の時に薬も一緒に受け取るような形式だったと記憶しています。
受け取る時には「朝昼晩と一包ずつ飲んでくださいね〜」程度で、それも3日分だけ、みたいな感じで、袋も小さく、説明もほんの簡単なものでした。
それが老人の、結構な重病も含めて何箇所か問題ありの人の薬です。
この日に受け取ったのは全部で八種類、朝晩のもの、朝だけのもの、朝昼晩のもの、晩だけのもの、痛みがある時だけ、熱がある時だけ、など色々。
その上「これは一度に2錠です」「これは前の薬局では20mgの錠剤を半分に切って飲んでいただいていましたが、うちは10mgの錠剤ですのでそのまんま服用してください」などといった注意書き付き。
話をもっと面倒くさくするのが、この日受け取った薬は、すぐに飲み始めるのではなく、前に受け取った薬を飲み終わってから始めるので、あと何日後になるのかよくわからないという点。
そして、前に受け取った薬の残量が、なぜだかものによって多めに残っていたり、一つだけ飲み終わっていたりして、明らかに「どこかで何かを忘れちゃってたでしょう?」ということ。
全部忘れないようにきちんとメモして、と思っても、薬の名前が長たらしいし、数が多いのでどうやって記録と在庫を照らし合わせるのが一番間違い無いかしら、とそれもちょっと考えました。
8つの薬でそんなことを考えていたら、父はしらっと「それだけじゃないんだよ、こっちもあるんだ」と、別の大きな袋をいくつか。
薬を飲むのは一つの病気だけじゃないんでした。
つい最近治療に通って投薬されたものの残り、数年前からの心臓の定期チェックで通院して投薬された薬、別の科で別の日の定期チェックで投薬された薬、と、処方箋を出す医師の数が4名程いて、投薬された日も全部同じ日ではありませんから、在庫の残り具合もバラバラ。
飲み忘れててまだたくさん残ってるけど、これはまだ飲み続けないといけないのか、もうやめても良いのか、、、そういうことは患者である父が勝手に判断すべきことではないけれど「ああ、あの先生には来月会うから良いよ」なんて呑気なことを言っています。
私が帰省する前にある治療を終えた父ですが、もう少ししたらまた担当の医師に会って、今後の治療計画とか、投薬の予定も変わるかもしれません。
あれこれ変わり続けたら、もう混乱してわけわからなくなりますよね。
一人の患者が何人の医師から何種類の投薬を受けていて、何か問題があるのかないのか、そこら辺を把握している人は誰かいるのでしょうか。
欧米のGPとかファミリードクターのシステムはいちいち面倒くさいな、とずっと思ってましたけど、複数の専門医に診てもらうまえにGPに全体をみてもらっていますから、そういう利点があったんだな、と見直してみたり。
そう言ったシステムのない日本では、たくさんの種類の薬を飲み続ける人には、医師一人あたり一錠まで、1日1回まで、薬の名前は簡単にして、錠剤の色分けや形状をパッとみて区別できるようにすること、ジェネリックであれなんであれ、同じ薬品はどこの会社も同じパッケージにすること、などして簡略化してくれないでしょうかね。
高齢化社会というけれど
認知症ではなくても、段々と物忘れとかうっかりとか、若者には簡単なことも歳をとればだんだん難しくなって行くのは自然なことですから、そういう変化に対応できるような医療であってほしいと思います。
日本は高齢化社会、、、ってもう30年くらい前からずっと言われてましたから、もうちょっと高齢者に順応できるシステムをお願いしたいもの、と思います。
我が両親も遠くない将来、自治体や政府が用意してくれている、介護に関わる制度にお世話になっていくことになるでしょう。
現在は「介護はまだ要らないですが、もうちょっとゆっくり優しい社会だと良いんだけど」という段階。
アメリカに比べたらそりゃあマシだろうけども、どうなんでしょうか、日本という社会、弱者にどう対応している社会なんでしょうか。
加齢は誰にも降りかかる条件ですが、貧富の差がここでも見えるものなのだろうか。