去年の春からのパンデミック。
当初は何はともあれロックダウンですから、家に仕事のラップトップを持って帰って、ズームでミーティングして、必死に対応しました。
で、ズームで仕事、ズームで各地の友達や家族とおしゃべり、ズームで飲み会、ズームズーム、、、ってやってるうちに、段々「あれ、画面がフリーズした」「あれ、音が途切れるよ?」「あれれ?またフリーズしたよ」という頻度が増えてきました。
テクノロジーに詳しい人たちから「あなたの家のインターネットが遅いからだよ」と指摘されました。
元々そんなに高速大容量のサービスではありませんでしたけど、写真やビデオをアップロードしても大丈夫だったし、映画を見たりするのにも不満はなかったんですけれど、ここ数ヶ月でズーム環境が最悪に。
久々にズームで会った友人に「何いってるのかお互いわかんないし、もうやめよう」と言われてしまったのをきっかけにインターネット環境の改善を図ることにしました。
そして、今までのサービス(カスタマーサービスの人に「それは遅すぎる、ズームは無理」と断言された)から、最近一押しのサービスに切り替えることに。
でもねえ、昔のインターネットからこっち、年々スピードは早くなり、ウェブサイトなどの容量も増え続けてて、便利さも向上しているかもしれませんけれども、基本的にはいらないものに容量を取られ、どうでも良いことにスピードを必要とされ、不便な思いをさせられ、それで対応しなくては行けなくて、とうとう押し切られた、という感覚です。
HDの画像とか、うわーすごい、クリスプで、目の前に本物があるみたい!
とか売り込んできますけど、そんなものいらないんですけど。
そのクオリティでこのビデオや写真だとこれくらいのスピードになるから、あなたのインターネットは遅すぎよ、と言われても、そのクオリティがそもそも押し付けられたものなんです。
テクノロジー関連の消費サイクルの速さ、ほとほと嫌になるんですけども。
自分でインストール
仕事の日の昼前に新しい箱が届きました。
古いラウターやなんやらを外して、新しいのを繋げてセットアップしたらすぐに最新のサービスに切り替えられますよという売り込みなんですが、届いたのが11時半で、次のズームが1時半。
2時間あればできそうな気もしますが、やり方の手順をしっかりわかってるわけじゃないし、古いのを取り外す(インターネットが断絶する)時点から、新しいのを繋げてサービス再開できるまでの間のギャップ、大丈夫かしら、ちゃんと繋げられるかしらと不安だったのですよ。
プロバイダーのサイトでやり方の説明を読み、ネットが断絶してる間もその画面が見えるように画面を読み込んだブラウザーはそのまま開けておき、紙の説明書もじっくり眺め、解説ビデオもみて、古いデバイスを置いてある棚を動かし、、、、で、1時になりました。
何しろ何かを読み込むのも遅かったですし。
「この次の作業全部を30分でできるかな?」
できない場合、ズーム会議は欠席か遅刻。
それはできない。
なので、遅くて音声が途切れ途切れになりフリーズしまくるとはいえ使えている古いサービスでズーム会議をこなし、メールのやりとりやオンライン上の処理仕事を全て済ませ、終業後に再び接続作業をし、、、、、1時間くらいかかって無事にサービス向上に成功しました。
あ〜疲れた。
これをテクニシャンに来てお願いしたら、60ドルかかるそうなのです。
作業そのものには1時間くらい、作業の準備にもそれくらいかかったので、2時間かかったとして、時給30ドルだったわけですね。
プロがきたら2時間もかからないでしょうけども。
それにしてもいろんなものがオンラインで処理されるようになった昨今。
これがいつまで続くのだろうか、と思います。
良いとか悪いとかではなく、いつまでこのシステムが継続可能なのかしらと。
取り外したラウターは、プロバイダーに返却します。
リサイクルには限りがありますし、こういうゴミが日々排出されることに抵抗を感じます。
車でも家具でも家でも、大事に手入れして修理して長く使い続けることができるのに、コミュニケーションの道具とされるパソコンや携帯電話はサイクルの早い消耗品で、大事に使って見た目が新品同様であろうとなんであろうと、時期が来ればこうやってゴミになるの、本当になんとかならないでしょうか。
野菜です
いつも買い物してる中華系スーパーでは、たまに謎の野菜や魚などが陳列されていて「なんていうものなんだろう?」とラベルを見ると「野菜(魚)」などという投げやりな分類をされていて、笑ってしまうということがあります。
なんなんだろうこの葉っぱ。
これを見たお客さんの中で「ああ、私これ好きなのよ〜」ってカゴに入れる人は十人中何人くらいいるのだろう。
随分前に、両親が遊びに来たときに、うちの庭を散策した母に「ここに蕗がたくさんあるよ、これ、もう少し大きくなったら収穫して、煮たら美味しいよ」と言われたことがあります。
ええ?蕗がモントリオールにあるの?
と驚いて、そうなのか、久しぶりに蕗が食べられるのなら嬉しいね、と思ったのですが、母が帰った後の庭で「あれ?どれが蕗なんだったっけ?」とまずそこで挫けまして、探しつつも「仮に母が蕗だと思ったのが似たような見てくれの別物だったとしたらどうなるんだろう?」と思いまして、結局庭の片隅の蕗を収穫することはありませんでした。
山菜やら野菜やら海藻やら、最初に食べた人間はものすごく勇気のある方だったはず。