食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

サステイナブルでヴィーガンなダウン?

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除雪車と除いた雪を受け取るダンプカーのコンボイきました。


ここ1週間くらいちょっと冷えてるモントリオールです。

クロスカントリースキーには状態の良い雪が安定していて嬉しいですが、顔の皮膚を露出して滑ってると肌が痛い(風の強い時は危険)。

 

 

ダウンジャケット考

先日は3年くらいでダメになるダウンジャケットの話を書きました。

 

casse-pied.hatenablog.com

 

ダウンジャケットは、水鳥の羽毛をむしり取ってそれを大量に詰め込んだ製品。

ヴィーガンじゃない人々の中にも、毛皮製品やダウンジャケットは残酷だから手を出したくない、という人が割といらっしゃいますが、毛皮もダウンも、その温かさゆえ、北極圏付近に住む人たちとか、本格的な低温地帯に生活する人たちにとっては生死を分ける必需品でもあります。

 

どれくらい過酷な寒さならこういう衣服が正当化できるのか、誰が決めるのか、そういうことはまるで決まってませんけど、個人的な気持ちとしては、そりゃ北極圏とか冬の野外の気温がマイナス20度30度になるような地域に生きる人たちはしょうがないよな、と思います。

とは言えモントリオールに住んでいる人全員が必要かといえばそうではなく、車で移動する人たちと、バス停で立ちん坊でバスを待つ人たちとでは防寒着の必要性も違います。

 

だから、他人がダウンジャケットを着ているから=なんて残酷な、という判断はしません。

でも、必要ないのに流行のせいでダウンや毛皮製品が売れている、という状況はやはり抵抗を感じます。

感じるだけで、だから何、という話ですけれど。

なので、この三年でダメになる素材を使ったダウンジャケットが出回っているという話に関しては、知らずに買ってしまう人が一人でも減ってくれたら、と思います。

 

植物性のダウン考

さて、そんなことを考えていたら、こんな記事を目にしました。

ダウンと同じように外気と体との間に断熱材として使える植物素材があって、それを利用した植物性のダウン製品のブランドを立ち上げた方がいらっしゃるようです。

taliki.org

 

詳しいことは記事にありますが、インドネシアで収穫されるカポックという植物を加工してシート状にしたものを利用した植物性の「ダウンジャケット」なんだそうです。

 

開発、商品化、ブランドの立ち上げなどに奔走した若者。

この商品は植物性なので動物を犠牲にしなくてよくて、それなのに大変暖かく、しかもデザインも流行の最先端を狙わずあえてオーソドックスなものにしてあるので、買った人が長く使い続けることができる、という具合に地球環境やサステイナビリティを考慮して努力しているということです。

 

すごいな、どれほど暖かいのかな、本当に水鳥の羽毛を奪わなくてもダウンジャケットと同様の暖かさが確保できるのだったらダウンジャケットが必要な人々がこれからこういう製品を選ぶようになったら、それは素晴らしい。

 

衣料品の会社を営む人たちの多くが、地球環境や人間以外の動物のことを考えて新しい素材を開発したり新しい仕組みを考えだしたりすることは、使い捨ての衣料品が環境汚染に直結しているのに値段が下がるといけないからと売れ残りを燃やしてしまったりしても平気でいるような、そんな企業の姿勢に比べると天と地ほどの違いがあるように思います。

 

でもひねくれものなので、ついつい「カポック製品が本当にふれ込み通りの断熱効果を持つとしたら、この会社の製品が市場に出回って他企業も目をつけ始めたら、資本主義の仕組みに則って、どんどんカポック栽培してどんどんカポックのジャケットなどを製造して販売してどんどん加速して売り上げが伸びて、そうなる頃にはカポックプランテーションのために伐採される森林、そこに住んでいた野生動物が棲家を失う、カポックのジャケットが捨てられて埋立地にカポックの埃が舞い上がり(カポックの繊維は細かくて空気中に浮遊しやすいそう)それがまた何かの害につながりそう、、」と想像してしまいます。

 

 

サステイナブルな素材ってものは存在するのか

例えば電気で走る自動車がどんなにガソリンの消費減につながろうと、現在出回っているガソリンの車が破棄されることで出てくるゴミの問題や環境汚染の危惧は消えませんし、バッテリーの製造のために必要なリチウム、コバルト、ニッケルなどの鉱物が埋蔵されている国や地域ではその需要の急上昇によって環境破壊、労働者の搾取、経済大国による介入など、石油埋蔵地域と似たような問題が想像されますから、手放しで喜べません。

マーガリンがバターよりも健康だというふれ込みで普及したり、何かがそれまで存在した問題を抱えるものの代わりとして登場すると、やれやれ、ではそれに切り替えて今まで通りに生産、消費を続けよう、という発想になりがちですけれど、そろそろこの大量生産、大量消費、大量破壊のパターンを見直すべき。

 

なるべくサステイナブルな素材を、と製品開発の努力をするのが無駄だと言っているわけではありません。

こういった製品が開発され販売され、それが成功するかどうかは売り上げで判断されるわけですが、何か一つの素材が無理なく供給できる市場の規模にも、人々が人間らしい暮らしをしながら生産できる量にも限りがあると思うので、そうやって生産されたものを購入して使う側も、あらゆるものを消費するそのスピードというか回転率にブレーキをかける必要があるのではないか、と思うだけです。

そうでないと、どんな「サステイナブルな」商品を選んでいたって、回転の速い消費活動は環境破壊に直結します。

 

 

素材そのものじゃなくて使う量や使い方、捨てる量や捨て方の問題


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