食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

一汁一菜とご飯の支度と愛情と家事

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BBCのジャーナリスト氏がツイッターに投稿していた美しい青空と黄色い花畑の写真。本来なら向日葵の花畑らしいんですけど。写真は本文と関係ありません。

 

 

毎日美味しいものを食べたいけど

家庭料理が現在のように毎日献立が変わって、肉や魚が下手すると3食とも入ってて、、と豪華になったのは戦後のことで、戦前まではそんなのは一部お金持ちの家(ですら肉魚3食はあったのだろうか)だけのことだった、といわれていますね。

 

洗濯も掃除も全て手作業で、農家や商売の家庭などでは男女関わらず一日中仕事に追われるから、飯の支度に注げる労力も時間も限られているし、冷蔵技術がなければ蓄えておける食品も限られますから、献立のバリエーションだって限られます。

 

一方現代人はメディアから受け取る「主婦は家族のために毎日栄養と色合いと味と、バランスの取れた料理を作って提供すべし」というメッセージに追い込まれ、ストレスを感じていると言います。

 

 

家事労働を担うのは女性の役割になりがちですからね。

日本ほどではないけれど、北米でもやはりそういう傾向はあります。

 

男性の方が料理が好きなのでいつも彼が作る、というカップルも知り合いの中には何人かいますし、時間が空いてる方が作ってるとか、話し合って作業分担の割り振りを決めてるカップルもいます。

いずれにせよなるべく不公平にならないように考えて、一人だけに負担がかからないように工夫している家庭が多いと思います。

 

我が家の場合は、夫もご飯を作りますが、美味しいものを食べたい欲望の強さが私の方が大きいので、なんとなくやはり私の方が食べ物担当になりがち。

 

そしてご飯作ってる皆様のブログの写真を拝見するたびに「すごいなー、おかずが何種類も!」と毎回感嘆しつつ、うちは一品でも本気で喜べるからよかったわ、とほっと胸を撫で下ろします。

 

ちょっと前にネットで見かけた土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」という本は、読んでいないですけれど「たくさん品数並べなくても大丈夫だよっていう内容なのかな?」と気になっていました。

 

うちは一汁一菜ですらない、スープとパン(一汁完結?)という晩御飯、よくありますよ〜。

良いと提案されなくても、あかんよ〜、と言われても続けますけど。

 

 
土井さんの提案と家庭料理の倫理?

テレビでおかずの作り方を指導なさっていた土井さんですが、最近その番組が終わりになるとかで、番組のテキストがものすごい売れ行きだったとか、人気のある方らしい。

 

こんなインタビュー記事を見つけました。↓

www.huffingtonpost.jp

そうか、そういえば土井勝さんってうちの祖母がたまに見てましたよ(テレビで。)

考えてみればテレビで家庭料理を作るところを見せるっていうの、昔から色々ありましたね。

バブルの頃には料理の*人とか、食べ歩き番組とか、豪勢な食を見せつけるグルメ番組もかなりありましたけども。

 

外国に行くとびっくりするような食べ物もあるのでそれを見て「日本は食が豊か」「日本料理は世界一」みたいな食のナショナリズム見たいな認識が広まってますけども、こういうのはバブルの影響というか遺産なのだろうか。

 

 

さて、土井さんの提案に違和感を感じる方の記事も発見。

toyokeizai.net

「料理は愛情」とか「親の愛情」とか、そういう表現には確かに、理想的な、もしくは一般的だと想定される「幸せで親の愛情ゆたかな家庭」というものを前提にしていて、そういった理想像の押し付けになるのではないか、現実として問題を孕む過程で育っている(育った)人々への配慮がなく、別のプレッシャーを生む恐れがある、ということだそうです。

 

土井さんの本の内容も書評も存じませんけれど、まあ確かに何か一つの提案が注目され持ち上げられっぱなしなのはバランスが悪いかも。

 

家事と倫理?

食べ物を準備する人が味、質、量、などを基準に「できてない、やる気がない、愛情が足りない」などと誰かに断罪されるのだとすれば、それは嫌でしょう。

 

現代では家族の身に着ける服を自分で作るお母さんって多く存在しないと思うんですけど、趣味として裁縫や編み物をなさる方が家族に自分で何かを作ってあげるのは「すご〜い、すてきですねえ!」と追加点になるけれど、それをやらない方が「できてない」と減点されることはないのに、料理に関してはやってないというと「ええ?全部店やもの?それはひどい」という減点対象になることが一般的な気がしますし、「主婦」じゃなくて「ご主人」がやってるんだという話になると「良い旦那さんですね」になります。

 

男女の役割の不平等さもですけど、料理だけ比重が重いというか、料理に倫理観がくっついてくるのはなぜなんでしょう。

 

あ、掃除が行き届いてないのも結構批判されるかな。

日本では「清潔」が「正義」ですからね。

衣類を自分で作らなくて出来合いを買ってくることは問題ないけど、掃除を業者に依頼するとかご飯を出来合いばっかりで済ますとか、そういうのは批判の対象になり得るわけですよね。

 

住環境を守るのは男女関係なくそこの家の大人の責任ですが、掃除が行き届いてなくて汚れが残ってるとか埃が溜まるとか、そういうのは生活しているとすぐ起きてしまう(実感)ので、一人に任せっぱなしにしないで、住んでいる人みんなで手分けしてメンテナンスすれば良いですよね。

だってみんな住んでるんだもの。

 

食事だってそうですよ。

 

一緒に住んでいる家族みんなでやれることをやって助け合えば良い。

全員忙しくてそれどころじゃないんだったら外注するのだって別に悪いことじゃない。

食べる人たちがそれで良いと思えるならそれで良いし、食べてる人が「これじゃ不満だ」と思うなら、そう思ってる人がその状況を改善するために行動を起こせば良い。

 

愛情は一人だけが責任を負わされて発信するものじゃなくて、みんなが持ち寄って与えあわなきゃ枯れてしまいます。

 

 

家事って終わりがないし

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