食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

パンデミックに奪われた時間と、残りの時間をどう使うか

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クリームオブ・アスパラガス・スープ

先日の晩御飯はクリームオブ・アスパラガス・スープ。

アスパラガス一把(多分400グラムほど)丸ごと使い、炒めた玉ねぎにアスパラガス出汁(前回のアスパラの処理をしたときに出た茎根本部分からとったもの)に豆乳を加えたもの。

春の風味たっぷり。

 

 

先日、ニューヨークタイムズで面白い記事を読みました。

Tim Urbanという方による、How Covid Stole Our Time and How We Can Get It Back(コロナ禍がいかに我々の時間を奪ったか、我々はそれをいかにして取り戻すことができるか)というもの。

 

NYTは近年購読していなくても月に*記事だけ読ませてあげる、というのをすっかりやめたようなので、簡単に要約してみます。

 

 

自分の残りの人生とは

仮に我々は90歳まで生きると仮定してみます。

現在40歳なら残り50年。

まだまだ先は長い。

あと何週間生きるのか、と思うと数えきれないように感じるし、この時間をどう過ごすのかというのも、先に人生の選択も、自分の力を超えた漠然としたものに感じます。

 

まずUrbanさんは1週間を一マスとして、左から右に52マス並べて一年とします。

これを90列並べたのが90歳の人生。

 

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現在の自分の年齢(上から一列ごとに一年経過していきます)の列の今週のマスが現在、それより左側と上に並んでいるマスは、過去です。

右側以降のマスが将来の自分が有する時間。

 

今現在の自分の年齢と今年に入って何週目かで現在地のマスが分かりますから、そこから数えて、90まであと何週間残っているのかがパッと一目で感覚的にわかります。

「数えきれない」と感じていたものが実は容易に数えられることがわかります。

 

 

人生で与えられた時間の使い道

Urbanさんはニューヨークの自然博物館へ行くのが大好きですが、2009年にニューヨークに引っ越してきてから何回訪問したかなと数えたら実際には3回だったので、現在までの年数で3度という頻度から計算すれば、残りの人生で自然博物館へ足を運ぶのは後12回程度になりそうだということです。

映画館で映画を見るのも大変好きだっけれど、ストリーミングして家で鑑賞するのが簡単になって以来映画館へ行く頻度も激減しており、この調子では寿命が来るまでに映画館へ行く回数は合計で53回くらいになりそうだ、と。

 

趣味なんですとか大好きな場所なんですとかいう割にはそれほどでもないな、と。

そして、パンデミックで多くの人が個人差はあれど辛さや悲しさを感じた「大切な人たちに会いに行けない」という経験も、今後の人生の中でどれほど取り返せるものなのか。

 

 

19歳で実家を出るまでは両親とほぼ毎日過ごしていたUrbanさん。

実家を出てからは、帰省して両親と過ごす日数はそれまでより激減して、一年に平均で十日から15日ほどになったとか。

一年を一マスに換算したとして、20のマスを並べたら最初の19マスは一年に一マスなのに対して、残りの一マス分を埋めるのに24年から36年半かかる(365÷15=24年、365÷10=36年半)ことになります。

両親は自分の残りの人生ずっと生きていませんから、両親と過ごす時間の合計を20年という想定も、一年に顔を合わせる日数が少ない場合は20年に至らないうちに先立たれてしまいます。

私の場合は両親と過ごす時間、20年に至らないですね。

 

子供時代からの友人と会う日数も例に出てきます。

高校時代には毎日のように顔を合わせていた友人たちと、帰省するたびに会ったり、一緒に旅行に行ったり、お互いの家を訪問したり、とたまに集まるというのはあり得ますが、高校で毎日顔を合わせていた頃のような頻度で時間を過ごすことはなくなり、残りの人生で友人たちと集まって過ごせる時間を、現在の頻度から計算してみたら何日分になるでしょうか。

結婚したり子供が生まれたりすれば高校時代の友人との集まりに出られないとか、子供の行事中心になって疎遠になるとか、仕事で転勤になって疎遠になるとか、色々ありますよね。

 

高校であれ大学であれ昔働いていた会社で仲良くなった友人であれ、たまにあって楽しい時間を過ごす仲間と、自分の残りの年数の中で、今の調子で会い続けると仮定した場合あと何回会うことができるのか、と考えると、結構限られた回数なことに気がつきます。

 

 

人生の分かれ道でどちらを選ぶか

自分が楽しみにしていることや自分のためになると思っていること、大事な人たちと過ごす時間など、有意義な時間をもっと増やしたいと思うならば、残りのマス目と、人生の分かれ道でどちらへ進むべきかと迷った時、判断する際に考慮するべき事柄と自分の中で大切なことを見比べてみたら自分の道がわかるのではないか、と。

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Urbanさんのイラストの左側は過去、右側は未来です。

過去の黒い線は自分が選ばなかった道。

タイミングを逃した選択肢、選ぶべきだったかもしれないけど選ばなかった、いわば失われたチャンスでもあります。

緑色の線は自分が選んだ道で、現在の自分につながります。

 

We think a lot about those black lines: the roads not taken, the opportunities missed, the ones that got away. But most of us greatly underestimate the size of the lush green tree of possibilities that lie ahead of us. (我々はこの黒い線-通らなかった道、逃した機会、逃げたものなど-について思い悩みます。しかし、我々の多くは、目の前にある青々とした可能性の木の大きさを大いに見くびっているのです。)
We underestimate future possibilities for the same reason we overestimate the time we have left with those we love: our intuition is not very imaginative. It’s a human instinct to believe the life we’re used to is how things will always be, both the good parts and the bad. (人間の直感は想像力に乏しく、我々はこの先大事な人たちと過ごせるであろう残された時間を大きく見積もってしまうのと同じ理由から自分達の未来の可能性を見くびってしまいがちです。人間の本能として、良いことも悪いことも含めて、慣れ親しんだ生活がずっと続くと信じてしまうのです。)

 

両親と過ごす時間を合計20年と想定した上の計算は確定したものではなくて、「今までのパターンを続けた場合」の見積もりなので、もっとたっぷりと時間を過ごしたいと考えた場合、自分の選択肢は自ずと定まります。

相手が友人でも両親でも好きな場所や趣味でも、自分にとって大切なことに時間を費やすためにはどうすれば良いのか、どういう機会があったらそれが可能なのか、それも今後の人生の選択の際の考慮事項に忘れずに加えておいたら、この先の自分がやりたいことをやる時間や会いたい人と会う時間も増やせるはずだということですね。 

 

全てを優先することはできないですけどもね。

 

www.nytimes.com

 

Tim Urbanさんのブログ

waitbutwhy.com

 

Procrastination (先延ばしにすること)は多くの人々の悩みの種ですが、テストの準備だとか提出期限のあるレポートを書くことだとか、締め切りがあるものに関しては先延ばし癖があって大慌てして「ああ自分は、、」と思っている人とそうでない人といるようだけど、締め切りのない事柄に関しては、先延ばしにし続けていることを認識しないまま一生先延ばしにしたままでいることも大いにあるわけで、そう考えたら人間はみんな先延ばしにする人たち(procrastinators)じゃないか、というUrbanさんのTEDトークです。

 
 
 
そんなにうまくいかないとも言えますが、うまく行くかどうかじゃなくてどうしたいと思うのか、という話。

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