食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

好きだった給食の思い出は、、、はてさて

写真は本文と関係ありません。永*園のお茶漬けが、近所のアジアングローサリーに並んでいたので驚いて一枚記念に。

このパッケージの、浮世絵のカードが入ったお茶漬けって懐かしい!と思って以前日本に帰省した折に買って帰ってきたことがあるのですが、実はお茶漬けって食べる習慣がなく、いつ食べれば良いやらわからず(お腹減ってる時にはこんなんじゃ足らぬ、減っていない時はこんなジャンクなもん食べとうない、、、)何年越しでいまだに食べきれずに残ってます。

 

モントリオールのこんな所で、誰が買うのだろうか、、、。



 

今週のお題:#好きだった給食メニュー

が、

 

給食を食べていた頃からすでにウン10年経っているので、全く記憶にございません。

 

ははは。

 

いやいや、給食については覚えてます。

 

冷凍みかんとか、

シナモンと砂糖がまぶされた揚げパンとか、

鯨の竜田揚げも最初の頃は出ていたはずですが、中学に上がるくらいの頃からは鶏に代わっていたかもしれません、この辺の記憶はあやふや。

米の余剰在庫をどうにか使い切るために学校給食にも米飯が導入された最初の年は木曜日が米飯給食の日で、ご飯は普段家でも食べてるはずの小学生が、なぜか「わーい今日は米飯給食の日だ!」と大喜びだったとか、

 

あと、小袋に入ったいちごジャムやママレードのブランド?名が「鼻輪の黒人」で、黒人の子供の横顔のシルエットに鼻の部分の鼻輪が強調されたイラストが入っていて、その下に「鼻輪の黒人」と書いてあって、小学校高学年くらいの頃には「これって差別なんじゃない?まずいんじゃない?」と、無神経な田舎の大人のデザイン(だと思っていたけどどうなんでしょう?)を恥ずかしいと思っていました。

 

 

でも「好きな給食メニュー」の記憶は一切ありません。

 

いや、どちらかといえば、あんまり美味しいものじゃなかったよねえ、、というのが本音です。

 

 

本当に申し訳ないんですけれども。

 

 

食べ物に文句を言うもんじゃない、戦争中は食べたくても何もなかったんだ、、、などなど、ごもっともなことを言われて育ちました。

そりゃあそうですよね、食べ物に不自由しないことをありがたく思わなきゃ。

 

給食批判をするつもりはありません。

 

いや、根本的なコンセプトを批判するつもりはありません。

 

貧富の差など関係なく、クラスのみんなが同じものを一緒に食べるのですから、同じ釜の飯を食う間柄というのでしょうか、やっぱり連帯感みたいなものがそこから育つんでしょうね。

クラスメートとの関係を給食と結びつけて考えたことはありませんけれども。

それでも「今日の給食は%#$@だって、やった〜!」とか「えええ〜嫌だ〜」とか、「給食の***はあれだよね」という認識をみんなで共有したり。

 

私は牛乳が何しろ苦手だったので、給食を食べ始めたら最初に一気飲みして苦行を終わらせ、それから口直しに残りの給食を食べるのが習慣になっていました。

それを知った同級生たちが、「いただきます!」とクラスのみんなで言い終わるやいなや、牛乳を飲み始める私を笑わせにかかる、という悪戯が流行ったりして。

 

こちらも必死ですから、全神経を集中して笑わずに飲み干すのですが、ある日不意をつかれて(何を言われたのかは記憶になし)ブワー!!と笑いと共に牛乳を噴き出してしまったことがあります。

笑わせておきながら、牛乳を周り中に吹き出した私に「きったねええ!!」などという子もおり、成功して大喜びしていた子もおり。

周りの子の給食に私の牛乳がかかってしまって、笑わせようとしていなかった子たちには迷惑な事件でしたけど。

 

牛乳は毎日出てきたので、本当に嫌だったんですよ。

 

私は先に飲み干すという対策を取ってましたけど、どうしても喉を通らない苦手なものが入っていて、食べられなくて涙目になって固まってる同級生の姿なんかもたまに見ました。

 

食べるのが遅くって、終わるまで席を立たせてもらえなくて、休み時間になっても一人で給食を目の前にして座っていた同級生のことも覚えてますよ。

 

名前とか、給食の時間以外に何してたとか、何が得意だったかとか、そういうことは一切忘れてるのに、給食を食べ終えられなくて泣き顔で一人で座らされていた姿だけ。

 

学校給食の思い出が辛く悲しくストレスフルなものだという人は結構多く存在すると聞きました。

そりゃそうだ、私個人の記憶だけでもクラスが変わるごとに一人くらいはそういう子がいましたから。

 

 

給食発祥の歴史は古今東西「貧困に苦しむ子供たちに基本的な食事を与えてあげて、勉学に集中できるようにしてあげる」という基本的なヒューマニティが根底にありますよね。

 

だからこそ食べるスピードとか食べられる量とか、食べられない食品とか、苦手なものとか、個人差を無視してはいけないと思うんです。

最近でこそそういう意識はきちんと教育機関で働いている人々の間にも広まっていると思いますが、私が子供の頃は「子供が嫌がる」=「わがままに育てちゃいけないから、子供の主張なんか聞き入れちゃいけない」みたいな対応だったと思います。

 

高校生くらいの頃だったと思うのですが、小学校の給食で、アレルギーのある食品を食べられないと言っている子供に教師が「食べなきゃダメ」と無理強いして食べさせて、結局アレルギー反応で亡くなってしまったという事件がありました。

 

子供の言うことを信用しない「指導」を続けていればそりゃそういうこともあるだろうと思います。

 

給食というものの目指すことは、子供に栄養を与えてあげること、貧困家庭の子供も他の子と同じように美味しくお昼を食べて楽しく過ごせることだとすれば、アレルギーはもちろん、苦手なものがあることを無視して押し付けるなんて発想自体おかしい。

 

以前もちょっとご紹介しましたが、給食の歴史の本。

www.iwanami.co.jp

 

無償で提供するとか低価格で提供するとか、貧困対策ですから、いろんな国や地域でいろんな形で発展してきた給食の歴史、興味深いです。

 

 

最近の給食はどんななのか興味津々


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