食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

インド料理=カリー、コロニアリズムの方程式

 

 

西アジア、中近東の食べ物

 

が大好きです。

行ったこともないので、「本場の味」を知らない可能性はありますが。

北米やヨーロッパに移民してきた人たちがやってるエスニック飯屋で食べたり、知り合にお呼ばれしていただいたりする範囲内ですが。

移民の国に住んでいるから、世界中の国や地域からやってきた人々の食べ物を味わうことができるから、それがとても嬉しいと、美味しいものを食べるたびに感じます。

 

 

そして美味しいものは食べたい時に食べたいから、自分で作れるようになりたい。

特にベジタリアンメニューの豊富なインドのベディック料理などは本を買てあれこれ試してみたり。

 

じっくり煮込むもんだ、翌日が美味しいんだ、という日本のカレーとは逆に、炒め物の延長のように簡単で、作り立てのフレッシュなのが美味しいレシピが結構多いことを知り、そしてそのうち「カリー」という名前に疑問を抱き始めました。

 

 

カリーとはなんぞや

インド系の知り合いでも「カリー」という名称を使う人は割にいるので、これは考えすぎなのかな、なんて思いましたが、インド料理を「カリー」というのはイギリスがインド亜大陸を植民地にしてからそういうようになったのが始まりで、インドの料理=カリーではない、というのは確かです。

 

 

カレー粉というのはスパイスを色々揃えて組み合わせるのが面倒な(もしくはできない)イギリス人を対象に販売されるようになったのがそもそもの始まりであるとか。 

 

カリーという言葉自体は、南インドやスリランカでよく使われるカリーリーフという葉っぱの名前に由来すると思っていましたら、「スパイスを入れたソース」を意味するタミル語の言葉が由来だと先日見つけたMother Jonesの記事にありました。

 

 

イギリス統治下だったカリブ海諸国の料理ではカレー粉が多用されていますが、これはイギリス人が持ち込んだスパイスミックスが便利だったから普及したのかな、と推測。

 

 

 

まあそんなこんなで、私の中では勝手に「インドやスリランカやパキスタンなどの料理をカリーと呼ばない」ルールが成立しました。

 

そんな私にバングラディシュ系の知人が「僕カリー大好きです」なんて言ってもお構いなし。

私はその言葉、使わないぞ。

無意味に頑固に。

 

プンジャビ出身の知人にその旨を伝えたら「ふ〜ん、別に良いけど」というようなパッとしない反応だったので、やっぱり自己満足かもしれませんけど。

 

ムンバイ出身の友人は、カリーとは言わずに「グレイヴィー」と言ったり、そのものの料理名を使ったり。

彼女とはカリーという言葉について話したことはなかったかな。

 

 

インド料理を何でもかんでもカリーと呼ぶのは辞めてください 

Mother Jonesはアメリカの雑誌ですので、コロニアリズム的態度もアメリカの罪として書かれていますが。

 

 

記事の中では、インドという広大な国の中では、100キロ移動すれば料理のスタイルが変わる、と言われるほど幅広く豊な食文化が、欧米で「カリー」と一括りにされ、同一視されていることが、コロニアリズムを背景とする人種や文化差別の体系と並列に説明されています。

 

“If colonialism is a system of power, part of that power comes from the ability to name, simplify, and take away complexity. So shorthands enter lexicons—and curry is one of those.” (コロニアリズムが権力のシステムだとするなら、その権力の一部分は呼び名をつけ、単純化し、複雑なディテールの存在を奪い取ることができる力から来ている。だから短縮された言葉が一般の語彙になる。「カリー」はその一例である。)

 

記事によれば、やっぱりカリーという総称に苛立ちを感じている人たちは存在する模様。

同時に、無知なイギリス人の単純化へのニーズをうまく利用してカレー粉商売で儲けた人々や、移民してきてそんな風土に慣れちゃった人たちなど、気にしてないような人たちもやっぱりいるとは思いますけれど。

 

食べる方の私としてみたら、「インド料理といえばカリーである」として、何でもかんでもカレー粉とチキンやラムを煮込んだものとプンジャビ地方のナーンが出てくるばっかり、というような単調な時代じゃなくなってくれて良かったわ、と心から思います。

 

www.motherjones.com

 

食のコロニアリズムというか異文化交流というか

移民がやってきて美味しいお店を開いても、時間と共に淘汰されていくわけなので、今ほど移民の率が上がる以前、イギリスでもアメリカでもカナダでも、多分フランスやドイツでも、各国料理がヨーロッパ系のお客さん好みに変化していったり単純化されていったのはしようのないこと。

 

日本で商売されている移民のお店だって、日本の消費者好みに変化しているはずですから、それは同じ。

 

で、よその文化圏の馴染みのない食べ物の、中でも受け入れやすいものから広まっていくわけですけれども、この時に、未知の異文化を消化吸収する地元側、受け入れ側のマジョリティの無知による単純化が、持ち込んだ側にとっては驚くような無神経さだったり信じられないような趣味の悪さだったりすることも発生してしまいます。

 

 

例えば、寿司で言えば北米でよく見かけるBBQチキン寿司だとか、スパイシーツナ(マグロが辛くなってる)だとか、巻き寿司を切って衣をつけて揚げたものとか。

 

日本に入ってる「外国料理」の変形でいえば、明太子スパゲティとか。

 

受け入れる側としては「これをこうすればもっと美味しくなる」と思ってやってることが、持ち込んだ側にしてみれば目を覆いたくなるようなひどいことだったりするわけです。

 

 

個人的にいえば、BBQチキン寿司の方が明太子スパよりは納得いくんですけど。

 

 

嘘です、冗談です。

どっちもありじゃん、と思ってます。

 

 

 

以前、日本のレシピを見ていたら、グアカモレにマヨネーズを入れるというのを見つけて慄いたことがあります。

 

日本はメキシコを支配したことはないので、メキシコ文化と日本文化の間に植民地的な支配の歴史はありませんから、単に「日本人そこまでマヨネーズ好きか」程度ですけれども、やはり世界中を占領して回った大英帝国その他の西ヨーロッパ諸国の、特に白人の人々、もしくは彼らが移り住んだ北米などの白人の人々が同じようなことすると、やっぱり抑圧の歴史の加害者だけに、批判の対象になりやすいでしょう。

あとはやっぱりマジョリティがマイノリティ文化をきちんと対等に扱わないと差別的な構図になってしまうという点もありますね。

 

 

自分が住んでいる地域で、自分がマジョリティじゃない状況で暮らしているので、こういう話題がとても興味深いです。

食って特に個人の好みや習慣なども大きいので、他者との好みの違いなど、食事中の楽しい話題にもなりうるし、人を傷つける可能性もありうるし。

 

そういえば南アジアの食べ物名にも「カリー」濫用

そうだった、そうだった、なんで「タイカリー」なんだろう、って不思議だったんだった。

www.motherjones.com

 

日本で以前宣伝で見た「欧風カリー」というのもぐるぐる回って不思議でしたが。


ヴィーガンランキング