オピオイド・エピデミック
近年フェンティニルという合成オピオイド(ドラッグ)の中毒が北米で異常なほど広がり社会問題になっていることは日本では知られているでしょうか。
知人の家族にも、このドラッグが混入していると知らずに過剰摂取(OD)して亡くなった方がいます。
オピオイドという名称に含まれるドラッグは、ケシの実から抽出された化合物や、脳内のオピオイド受容体と相互作用することができる、類似の性質を持つ半合成化合物や合成化合物が含まれます。
オピオイドは一般的に医療機関で手術回復期などの痛み止めに使用され、モルヒネ、フェンティニル、トラマドールなどの医薬品が含まれます。
治療中に中毒になる人もいますし長期間の使用、誤用などはオピオイド依存症やその他の健康問題を引き起こす可能性があります。
薬物使用に起因する死亡者数は全世界で約50万人にのぼり、このうち70%以上がオピオイドに関連した死亡であり、その30%以上が過剰摂取(OD)によるものです。
オピウムというと日清戦争の頃の中国の話?みたいな遠い昔の話なような気がするし、まずはそんなにも普及していることに驚きますよね。
現在はフェンティニルの何十倍もの威力のあるドラッグが出回っているとかで、中毒になり、ODして亡くなる人も後を絶たない、非常に危険な状況です。
「過剰摂取」というと、お腹いっぱいになるまで食べ続けたみたいな感じですが、致死量が少ない場合はほんの少し多く摂取しただけで死んでしまうのです。
どこで誰が加工したのか不明なドラッグが回り回って、そんなつもりのない人が、
買ったドラッグに混入しているのを知らずにODしてしまう、ということは大いにありうるのです。
ドラッグと犯罪と社会の周辺
ドラッグ中毒というと、まずそれは社会の底辺であるとか、反社会的なギャングメンバーが愚かにも手を出して抜けられなくなっている問題である、というような批判的な見方がついて回ります。
自分には無関係であるという高みから、社会の周辺の負け犬を面倒臭そうに邪魔者扱いにする、という姿勢が全くないと言い切れる医療関係、救急医療、警察、デトックス施設のスタッフ、などなどはどれほど存在するでしょうか。
そうは思わないまでも、道を歩いていてすれ違うホームレスがドラッグをやっているとか、公園に注射針が落ちているとか、そういう状況を怖い、不快だ、と感じるのは不思議なことではありません。
中毒患者が生きる社会の大半は、そういうところです。
中毒患者が自身の健康状態や生活、人間関係などを立て直していけるようにサポートするアプローチには、伝統的なものとしてはAA(アルコホリック・アノニマス)の12ステップス・アプローチが知られています。
AAは「一度中毒になった者は一生中毒である」という「事実」を受け入れ、中毒物質(アルコール)を断じて摂取しない、というのが大前提の取り組みです。
AAのアプローチを応用したNA(Narcotics Anonymous,薬物中毒バージョン)など、中毒になるサブスタンス(substance, 物質)の違うバリエーションが存在します。
AAでも NAでも、中毒状態から抜け出たいと決心した患者はまず、自分が中毒であることを受け入れ、ミーティングに参加し、中毒物質を断ち切るジャーニーを始めるのです。
禁煙しようとしたことのある人や食事を変えて体重を落とそうとした経験のある人ならわかると思いますが、一旦身についた中毒を「やめます」と言ってすっぱり切り捨てることは多くの人間にとってとても困難なこと。
辞めたり、また始めたり、そんな自分に苛立ってさらにもっと飲んでしまったり、また気を取り直してやめたり、そしてまた始めたり、とヨーヨーのように繰り返すのは人の情け。
ODの危険、AAとハームリダクション
中毒性の強いドラッグでそれをやると、再び手を出した折にODして亡くなってしまう危険が高いです。
お酒やコーヒーを辞めようと試み、数ヶ月後ちょっと飲んでみた、という経験のある方だとわかると思うのですが、常に常用することで摂取しても大丈夫なリミットは上がりますが、減らし続けるとそのリミットがまた下がっていくのです。
下がり続けたリミットの状態で、以前普通に摂取していた量を再び急に摂取すると、「あれ、そんなに飲んでないのになぜ?」と思うような二日酔いとか悪酔いをしたり、コーヒーならば、それまでは感じなかったような震えのような症状を感じたり、ということがあります。
体は摂取量に応じて対応していく柔軟さを持つので、同じ人間でも一年前には問題なく普通に飲めていた物質(アルコール、カフェイン、その他ドラッグ)が、一旦摂取量を減らし続けてリミットが下がっていった後で同じ量を摂取することで、過剰反応を起こすわけです。
アルコールなら二日酔いとか吐いてしまうとか、そんな反応でしょうけれど、これをオピオイド系のドラッグでやると、最悪死に至ります。
これがオーバードース(OD)です。
AA(NA)のアプローチはODの危険性を高めるという問題があります。
一方、中毒患者が警察を恐れお金に困って不潔な注射針や内容の純度がよくわからない危険な薬物を利用して路地裏で亡くなるような、最悪のシナリオを予防するため(ハーム=害を減らすため)に清潔で安全な薬物摂取センターというような施設を利用できるようにするのがハーム・リダクションというアプローチです。
ハームリダクションのセンターでは清潔な道具と純度の高い(危険ではない濃度の)薬物が準備されていて、利用後に体の変化を感じた場合にはすぐに助けを求めることができ、対処薬品も準備されている状態で、中毒患者が薬物摂取のために死に至るという事故をできる限り防ぎます。
中毒患者に薬物を与えるなんて、そんなことに税金を使うなんて、そんな恐ろしいことを我が街で行うなんて、という誤解から、ハーム・リダクションの施設を閉鎖させようとする圧力も存在します。
一方、中毒が犯罪や病気、死亡事故に直結しないようにすることで、中毒患者たちが生活を立て直し、中毒と向き合い、それぞれにより良い方向へ向かっていけるようにサポートする、そういった試みを続けているコミュニティは存在します。
ドラッグに手を出す経緯は人それぞれですが、多くは貧困や差別、家庭やコミュニティに蔓延る暴力などという背景が大きく関わっています。
カナダの先住民コミュニティの多くは、そういった社会の中の歪みを不当に押し付けられてきた歴史もあり、ドラッグやアルコール中毒の問題は深刻です。
このドキュメンタリーは、カナダ、アルバータ州のKainaiという先住民族のコミュニティで働く医療関係者、救急パラメディック、ハーム・リダクション・クリニック、デトックス・クリニックなどで働く人々の様子や患者たちのそれぞれの物語に親密に向き合い、彼らの真摯な取り組みや不幸にもリラプスしてODして亡くなってしまう個人の様子などを見せてくれます。
長いですけれど、とても良い作品だと思います。
カナダにお住まいの方には是非とも観ていただきたいです。
こういう試みをするクリニックや機関を支援するような政府に票を投じたいと思います。
*1px;">Kímmapiiyipitssini: The Meaning of Empathy, Elle-Máijá Tailfeathers, provided by the National Film Board of Canada
前置きが長いというか、前置きだけで終わってしまったようですが。よければ是非ご覧ください。
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