不寛容はあかんよう
ネットでこんな記事を見ました。
あるコンビニで、レジ横の肉まんなどの保温ディスプレイに「外国人のお客様へ、『これ』禁止。肉まんをくださいと言って。」と手書きの張り紙があったと。
張り紙の写真をツイートした方やこれを見た人の多くが「なぜ外国人を指定してこんなメッセージを?差別的じゃない?」と感じた様子。
次に日本に行ったら是非是非コンビニに行ってレジ横の唐揚げを日本語で買うぞ〜!と楽しみにして現在日本語を頑張ってる夫のことがまず思い浮かびました。
日本語教室で「これ、それ、あれ」を習ったし、英語でも Could I have this one? That one? というし、なんの疑いもなく、「これください」と言うつもりでいます。
多分、唐揚げ、と言う言葉も覚えているので使うとは思いますが、慣れるまでは緊張して忘れちゃうかも。
これください、って頑張って買うのは迷惑なのかな?
混んでる時は何を言おうと言うまいと、慣れていなくて時間がかかるお客さんは迷惑でしょうけれど、「禁止」ってのはかなりきつい表現ですよ。
久々に日本に帰ってコンビニに行くと、日本語が流暢な私だって知らないことがぽんぽん出てきて「え?今なんて?え?**って何ですか?」とレジのバイトさんが舌打ちしたくなりそうな手間のかかる場面も何度か。
特に去年驚いたのは、レジで会計の時にお金を手渡そうとしたら「そちらへ入れてください」と駅の券売機みたいな機械を示された時。
あと、缶ビールがカゴに入っていた時にやっぱり機械を示されて「**してください」と言われた時。
レジの人たちは一日中そのセリフを言うわけで、しかもそういうやりとりをすでに何万回も繰り返してきているので、初めてそういう場面に遭遇した人には聞き取れないほど早口で。
私が利用したコンビニは割とゆったりしていて、大人の女性(っていうと変ですけど)がレジにいて「ああ、こういうの昔はなかったし、よくわからないですよね〜」というように、「未成年じゃないですよという意味でこの画面の確認ボタンをタップするんですよ〜」などと説明してくださいましたけど、これが大混雑の駅前のコンビニだったら、かなり嫌がられたことでしょう。
日本語での説明がすんなりわかる場合はそれでなんとかなりますが、言葉が通じないとこれくらいのことでも時間がかかってしまう可能性はありますね。
だから、レジで面倒なお客=大体は日本語が通じないお客、ということになるんでしょうね。
まあわからなくもない。
でも、レジ横の商品、バラエティに富んでいて一体何が何だかよくわからないというのは日本語がわかっていても同じこと。
しかも、肉まんとあんまんと**まんと、全部中身が隠れているから、外から見てパッと区別がつかない。
なので私は昔から、面倒臭いからレジ横の商品ははなから買いませんでした。
おでんなんかも、どうやって買うのか知りません、試したことないから。
食いしん坊なのに目の前に並んでる食べ物を試さずにいたなんて!と思いますが、たかがコンビニのおでんや肉まん、試さなくても平気ですよ、どうせ冷凍食品の温め直しだろうし。
あ、本題からずれてしまいました。
この記事を読んで気になったのは、こういう張り紙を貼り出してしまうような、不寛容さが広まっているのかなあ、ということです。
店員さんや店が不寛容だ、と責めているのではないんですよ。
レジ前でもたついたり店員さんを煩わせるお客さんが面倒で迷惑だ、という発想になるのは、レジを待って並んでいる大勢の人々の静かな苛立ちやたまには舌打ちとか苦情とか、そういうのをしょっちゅう受け止めることになる店側が、そのストレスを避けたいということですよね。
お店など接客業をしている人に高圧的に出たり無茶を言ったりちょっとした待ち時間も我慢できずにイライラする人たちは、彼らは彼らで生活の中でやはりストレスを感じてたり、レジでのんびり待ってる余裕なんかなくて、さっさと支払いを済ませて次のスケジュールをこなさなければいけないんでしょう。
誰か一人が意地悪だとか、一部の人たちだけが差別主義者なんだ、とか、そういうふうに悪者を見つけることができれば簡単ですけれど、こういう不寛容な雰囲気というのは全体的に広まっていてピンポイントで解決することができない問題な気がします。
外国人とか少数派や弱者がこういう不寛容な雰囲気の漂う中でスケープゴートになるのは日本に限ったことではありません。
でも日本は現在、かなり疲弊してて希望の光が翳っている社会だという印象を受けます。
こういう不寛容なメッセージはその表れにすぎない。
具体的な工夫は得意な日本、寛容さはどうか
レジ横の中身が判別しにくい肉まんあんまんですが、おにぎり屋さんなど、具がはっきりしにくい商品を売ってるお店なんかは具がちょこっと見えるようにご飯の間から飛び出てる(上にのせてる?)とか、そういう工夫もあります。
ディスプレイのケースが蒸気で見にくい場合もあるでしょうから、下に敷いてある紙の色を色分けして「肉まんは赤、あんまんは青、ピザまんは黄色、、」とかにして、下の色は何色なのかで確認するとか、番号を振るとか、何か工夫することはできると思います。
でもね、問題はそこではなくて、やっぱり不寛容な社会だと思います。
余裕がないとイライラするし、面倒だし、他人に寛容になんて思ってられなくなります。
そんな社会は誰にとっても住みにくい。
それにしても会計に機械を導入することになった経緯はどう言ったものでしょう。
セルフレジのあるお店も最近かなり増えてきました。
日本でも増えてますけど、カナダでもアメリカでもイギリスでも。
SF映画みたいな世界になっていくのかな?