
土曜日のお昼に焼き芋
エアフライヤーで作りました。
160度で一時間、最後に200度で15分。
途中で上下裏返して。
オレンジの北米のスウィートポテイトは、日本の薩摩芋を思い浮かべて食べるとガッカリするので、北米に住んでる日本のかたがかなりボロクソに言ってるのをあちこちで見かけますが、こういうもんだと思えば結構美味しいです。
いや、サツマイモ同様甘いです。
甘くて日本のさつまいもよりもしっとりしています。
これに慣れてからしばらくして、日本のと同じ品種?のさつまいもも結構簡単に手に入るようになり、久々に懐かしくて買って食べたら、しっとりしてなくて(日本の人はホクホクという)口の中が乾く感じで「ええ?こんなだったっけ?」って驚きました。
今回は日本の品種のはハズレだったみたいで、中の方に灰色っぽい斑点が入ってました。
野菜も果物も、個体別の良し悪しってありますね。
ただ焼いただけなのに甘味がすごくて、夫と半分こするのに包丁で切ったら、ビヨーンとキャラメライズされた糖分が糸を引いて、冷えて固まりました。
ちょっと甘いのでホットチリペッパーのパウダーを振りかけて食べました。
ケン・ローチ最後の作品?
これを最後にすると言っていたらしい、The Old Oak(2023)をオンラインでみました。
えー、これで最後?
と思いましたが、インタビューでは「仮に次の作品を今から作り始めるとしたら、撮影する頃には自分は90歳になってる、、」と。
常に演技をする人たちと共に現場に立っているので、それはやはり体力的にかなり消耗するのでしょう。
そういえばローリング・ストーンズの次のツアーは、キースが「体力的にコミットできない」という理由でキャンセルになったとか。
あのキース・リチャーズがそんなことを言わなきゃいけないなんて、相当なことだろうと思いますが、年齢や、あの節々がゴツゴツした指を思い浮かべると、今までできてた方がすごいよ、と思います。
ケン・ローチの話に戻しますと、社会問題や現実社会で支配階級ではない「普通の」人々をきちんと描く彼の作品はいつも気になって観てしまいます。
社会問題の多くはトンネルの向こうに光が見えないものが多いので、作品を観た後、色々と考えてドヨーンと気持ちが暗くなるので、良い映画だと思っても2度と観たくない、と感じるものもいくつか。
この作品は、昔炭鉱で栄えた小さな町にあるパブを舞台にした、社会の変化に伴い政府に切られた労働者たちと、やはり現代社会の変化の流れで政府のプログラムでこの街に連れてこられたシリア移民たちとの物語。
移民と自分
移民問題は西欧社会で移民難民を受け入れている国にはどこにでも存在している問題で、受け入れる国に住んでいる住民側の主張や視点は、作品中のパブの常連たちを通して垣間見られます。
そして戦禍を逃れてやってきた人々の様子も。
自分も生まれた国を後にして西欧社会に移り住むという経験をしている身の上なため、事情は違えど移民や難民として慣れない社会に生活の場を移して暮らす人たちには常に関心があります。
問題としてではなくて、同じ人間として。
他人事ではなくて、自分にも関わることとして。
そして、やはり受け入れ側の社会に住む人々の反応にも関心があります。
直接に私個人への敵意ではないとしても、「よそ者」全体への敵意の場合は私もその対象に含まれると考えます。
自分が生まれて育った日本において、数少ない移民の人たちへ反感を感じているらしい人々の心理にも関心があります。
外部から何かが入ってきたら、除去したいと感じるのは生物的な反応だろうし、大きな変化が急に起こったら警戒するのだって、自然なことだと思うので、その反応を差別だ、と決めつけたいわけじゃないのです。
ただ、そう言った生物的で自然な心理を利用して人気(票や献金、視聴率、クリック数など)を集めて自分の利益に繋げようという輩が人々を煽ろうとしていたり、根拠のない伝聞に尾鰭がついてさも現実かのように広まって誤解が誤解を生んでしまうのを見過ごしたくない。
アメリカでも、ヨーロッパでも、日本でも、移民問題や、対象になる特性が何にせよ差別問題は、SNSの悪影響もあって、かなり醜い展開を見せていて、多くの問題の解決は容易ではなさそうです。
作品中でも、移民が受け入れられない余所者だと怒っている労働者たちは、長年政府により虐げられ忘れ去られたかのような扱いを受けていて、納得のできないシステムに怒りを感じています。
その矛先がシリア人難民たちに向けられてしまいますが、自分たちより「優遇」されているように見えるシリア人たちは、別の土地でもっと酷い扱いを受けてきて、彼らの街でだって別に優遇されて豊かになったわけではない。
富の配分が不公平なのは現実で、貧困層の怒りはもっともなことだけれど、怒りの矛先が施政者へ向かわず、自分たちよりマシかも、と思われる別の集団へ向かうのは、結局その不公平や不正の元凶に向かうべきエネルギーを分散させるというか、漁夫の利を得てるのは誰だよ、っていう話です。
When you eat together, you stick together
同じ釜の飯を食べた仲間だ、なんて日本語でも同じような表現はあります。
食べ物を分かち合うことで隣人を助け共同体を作っていくという考え方は多くの文化圏で見受けられます。
こういう心理は文化を超えたものなんですね。
ケン・ローチはこの作品に、今までにはなかったような希望の光をあてています。
ちょっと単純すぎるのでは、なんて捻くれた気持ちがモゾモゾ。
本当にこうやって人々がつながっていくと良いのだけれど。
彼の作品を見る人の多くは彼と政治的な視点が近い人たちが多いと思うので、まさにpreaching to the choir(讃美歌を歌う教会のクワイアーの人にキリスト教の教義を説く=説教を聞かせる必要のない人々に説教する)なのではないか、なんて気もしますが、まあそんなこと言い出したらキリがないか。
お話の最後にトレード・ユニオン・バナー(労働組合ののぼりというか旗)が出てきます。
これ、ケン・ローチのメッセージですよね。

the Guardianの記事では「これが最後と言いつつ、次も作る可能性は?」なんて言われて、never say never(絶対とは絶対言ってはいけない)なんて言ってますね。
推しです