
モントリオールではちょっとお洒落な地域とされるプラトー地区に新しくできた喫茶のお店に行ってきました。
メニューには抹茶とかいろんなお茶と、ちょっとした軽食。
中国出身の女性が始めたお店らしくて、アジアっぽい。
昔はアジアっぽいっていうといかにもであんまり素敵じゃないアジア趣味な内装とかお土産屋で手にとらないであろう置き物とか、ちょっとアレな感じでしたが、最近のアジアっぽい、ってのはアニメとか漫画とかハローキティーとかそう言う雰囲気で、まあそれはそれでちょっとアレな感じもしますが、K POPとか日本のアニメとかがお好きな若者たちは居心地良さそう。
中国茶の紅茶, 立山小种(Lapsang Souchong)があったのでポットで注文。
クッキーも付いてきました。
立山小种はスモーキーで美味しく、小さな茶碗で何杯も楽しめましたが、クッキー(ヴィーガン)は、まずいわけじゃないんだけど、私はこれは食べなければよかった(お茶の味わいを変えるので。)(それが好きで食べる人もいるけど)(クッキー自体は甘さ控えめで好む人は多そう)
jinjin
330 Marie-Anne est (corner Drolet)
現在はソフト・オープン中なので木曜日から週末にかけて開いています。
モントリオールの夏
八月二十日あたりになると、州内のカレッジなど学校が始まります。
鈴虫の鳴き声もするし、もう暑い夏の盛りはおしまい、という時期。
とはいえ気候変動でやはり気温は上昇気味で、夏も長引いてるようではあります。
ただ、日照時間が短くなるに伴い朝晩の涼しさも加速してて、やっぱり八月は秋っぽいかも。
日本の夏
梅雨は夏じゃないんですよね。
日本では梅雨が明けたら夏が始まるワケなので、六月に日本にいた間、暑いわー、と思ったし、電話で話す夫には「日本の夏はキツイわー」なんて言ってたけど、日本ではまだ夏じゃない扱いでしたもんね。
先日、もう秋学期が翌日から始まるよ、という学生さんと話してて「日本では夏休みは七月下旬からだから、二十日かそこらまで学校があるよ」と言ったら目を丸くしてました。
日本の学校ではそれが一番長い休みだから始まる頃はすごい開放感ですけれど、実際は夏休みの宿題とか、学校に行かなきゃいけない登校日とか、あと私が行ってた小学校では最低でも7回は学校のプールに行ってハンコをもらわなきゃいけないとか、クラスのみんなで一人一鉢育ててる菊だったかなんだったかの水やり当番があったりとか、何かと自由を100%くれない学校生活だった覚えがあります。
その話をこちらの友人の子供にしたら、ものすごい嫌な顔されました。
「ケベックに生まれて良かったねえ、はっはっは」と笑うしかなかった。
ふと思ったんですが、現在の子供達も夏休みは40日?
夏休みの宿題ってありますか?
私の頃は、夏の友っていう名前の宿題があって、それはいろんな教科のドリル帳みたいな感じだったような、そしてそれだけでは終わらず、絵日記だとか自分でテーマを決めて毎日観察するとか何かを制作するとかいう課題もあって、あと漢字を50回ずつ書き留めるとかいうのもあり、とにかく、夏の友じゃなくて敵。
自由な時間なんかあるわけないだろう、甘いぜ、っていうメッセージだとしか思えない代物たち。
でも一番嫌だったのは、プールに7回以上行かなければいけなかったことと、あと、学校じゃなくて近所の公園でしたが、毎朝ラジオ体操に参加するべしとされてて、それも出席したらハンコもらう、っていう形式でした。
学校がない40日間で子供たちがダラダラ過ごしてはいけない、っていう意図だったんでしょうけれど、たまにはダラダラさせてもいいんじゃないの?全くの自由時間をどう楽しむか、それを決めるのは本人でもいいんじゃないの?なんて思いますけど。
こちらで育った人たちは40日どころか三ヶ月くらいの夏休み、宿題なんかないし、好きにして良いパラダイスですよ、、、、と思ったら、やっぱり大人が子供に好き放題な自由を与えて安心していられるわけはなく、子供だけで家に置いとくことも違法だったりする昨今だし、サマーキャンプという、夏休みの学校に行かせるわけです。
学校じゃないから、勉強はしなくていいけど、でも子供たちの好みに合わせて大人が選ぶそのキャンプには、科学が好きな子供達用の科学キャンプなんてのもあって、それは勉強〜!っていうわけじゃないけど、いろんなことを科学するアクティビティ満載とか、アートが好きな子供向けには工作やお絵かきなどアーティスティックなこと満載とか、そういう教育っぽい匂いはやっぱりつきものみたいです。
でもねえ、宿題を毎日少しずつ片付けないと、8月下旬にストレスいっぱいになる日本の40日とは自由度が違いますよね。
夕方のニュースなどで「今年も八月は残すところ&#日となりました」「子供たちの夏休みももうすぐおしまいです」などと言うキャスターたちのことを、毎年苦々しく思っていたものです。
他に言うことがないからなのか、俳句などで季語を入れて始めるのが作法だったりする文化背景のせいか、天気の話をしておけば誰も傷つかないのと同じで、日にちの話なら良いと思ってるのか?
今でも多分、テレビをつけると同じこと言ってる人は多いのでは。
夏の終わりは寂しいですね(猛暑は嫌だけど)