食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

久々の和食・買い替え電化製品

中華系アジアン食材店が近所に再登場したので、この週末はものすごく久々に和食にしました。

 

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ご飯と味噌汁、ぬか漬けの胡瓜と大根、、、は、アジアン・グローサリーに行かずとも手に入る材料で(味噌は日本から持ち帰ったもの。)玉ねぎとアスパラガスは日本のものじゃないですが。じゃあどれが和食か、と言われれば、中央左のがめ煮と、中央右の豆の煮浸し。。。

 

大した和食でもありませんが、和食ですよっていう体裁で夕ご飯を整えたのは半年ぶりくらいかも。

 

がめ煮は、レンコン、ごぼう、里芋、こんにゃく(去年日本から持ち帰ってもったいなくて使いそびれていたものを一年経ってやっと使用)生椎茸、人参、油揚げ。

 

里芋って大好きなんですが、これはモントリオールのアジアン・グローサリーだと当たり外れが割と激しいかと。

しかも私、里芋の皮むきで肌が真っ赤になるのです。

里芋は水洗いせず、土がついていたらそれは濡れ布巾で拭き取って、乾いてから皮をむき、むいた芋に皮の繊維とか汚れがくっついたら、それも濡れ布巾でぬぐいとる、、、という方法でなんとかしのいでおりますが、それでも痒いんですよね。

でも食べても痒くもなんともないので、これは単に皮膚の問題なのかなと。

でもってそういう面倒臭い下ごしらえをしても、煮てるうちに溶けてきてしまうので、煮物の鍋に投入するのは後半戦で。

それでも、やっぱり多少は溶けてかさが減ってしまいますよね。

夫もこの里芋の旨さを知っているので、二人とも満足いくほど食べたければ、今回剥いた量の倍くらい入れてちょうどかなあと思うのですが、何しろ痒くなる前に剥き終わって手を洗いたいので必死です。

 

レンコンは、以前は皮をむいて分厚い輪切りにしたのを四当分(要するに分厚い銀杏切りでしょうか)にしておりましたが、親戚の叔母さんに「レンコンは縦長に切って煮ると味が染み込んで美味しい」と聞いてから、なんとなくその切り方で。

 

レンコンも美味しいですよね〜。

こちらではほぼ十中八九、穴の中が真っ黒で新鮮味イマイチなものしか手に入りませんけれど、それでもやっぱり美味しいです。

 

無ければないで生きていくのに不便はあまり感じませんでしたが、やっぱりあると嬉しいです、アジアン・グローサリー。

 

電化製品の使い捨てと買い替え

ひと月ちょっと前に壊れた私のパソコンですが、その後結局 壊れたものと同じ会社の同じブランド?型?のものを買いました。

7年使って、8年目でしたしね。

別の型のものと別の会社のモニターと合わせて使ってみようか、とか色々と節約するアイデアもあったのですが、色々比較検討しているうちにものすごく面倒臭くなりまして。

ただ、以前もそうしたのですが、refurbishedのモデルを買いました。

なので、新品を買うよりもちょっと割安でちょっと罪悪感も1割引くらい。笑

とはいえ、パソコンとか携帯電話とか、こういう家電のゴミって周期的に出るし、世界中の人々が買っては捨て、捨てては買って、の繰り返しですからね、どんな膨大な量の有害物質が捨てられているのだろうか、、、と思うとやっぱりそこに加担してしまう自分が情けない。

 

まだ捨ててないんですけれどね、実は。

素人には回復できないパソコンでも詳しくてギークな人が触って復活させられるかもしれないかもという希望が若干あって、そういう人が復活させて、それを誰かが使ってくれるのならそうしたい、、と思っているのですよ。

いや、自分がそういう人に修理を依頼してそれを使い続ければいいんですけれどね。

 

マモさんのブログで、修理や部品交換が可能な小さな家電類が増えているという話を拝見しました。

pan-panpan.net

ゴミ問題やプラスティック汚染問題への認識が広まってきている昨今、ゴミを出したくないという思いが製造会社に届き始めているとしたら嬉しいです。 

 

パソコンでも家電でも、壊れないうちは買い替えはしないですし、物持ちはかなり良い私、パソコン以外は本当に10年20年使うのは当たり前なのですが、それでも、壊れた洗濯機を修理、というのはここ数十年は現実味のない話でした。

昔は洗濯機の修理屋さんが存在していたけれど、今やそんな商売成り立たないし、修理で一台買えるくらいの金額が飛んでいくよ、、、という風潮ですよね。

 

それが当たり前だと思って疑問を感じない人ばかりではないと思うんですけれど、誰かに依頼して修理してもらうことができなければ、しょうがないね、しかも買い換える方がよっぽど安いんだよね、という。

 

使い捨てのモノに慣れてしまうと、使い捨てじゃないものの存在自体を忘れてしまうというか、やっぱり簡単な方に流れてしまうのは自然な流れでしょうし。

 

でもそれに疑問を感じ、修理や部品交換を可能にして、一つのものを長持ちさせるという、資本主義一本ではない方向を向いた製品を作る企業がもっと増えてくれるといいと思います。

 

それとは別に、「なくて済むものは買わない」という選択肢も以前よりもより多くの人が実行しているような気がします。

私たちは「消費者」じゃないんです。生活者なんです。

 

広告を見て、ブログで誰かが使っているのを見て、ユーチューブで使用した感想のビデオを見て、、、などなどで物欲をくすぐられてついつい不要なのに買ってしまった人が、後悔しつつKijiji(これは北米だけかもしれませんが、不用品をネットで売りに出すサイトです)とかフェイスブックとかで売買したり、最近では不用品交換のグループなどもかなり増えています。

 

不用品を捨てず、新品を買わず、消費社会の歯車に飲み込まれない生活を目指してますが、、、、パソコン購入、、、ないとどうしようもない道具なので仕方ないのですが、やっぱり無力感を感じないと言うと嘘になります。

 

 

和食を一切食べない暮らしとコンピュータを使わない暮らしと、どちらが実現可能かといえば、和食を一切食べない暮らしかも、、、と痛感。


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