食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

バーコードから解放されることは

いつの頃からでしょうか、野菜を買うと、一つ一つの実に、親指の先ほどのシールが貼ってあるのです。

バナナなんかにも貼ってありますよね、デルモ*テとか、その他にも聞いたことのあるバナナ・プランテーションのブランド名のシール。

日本では、野菜は袋に入ってたりパッケージされてることが多いから、個体に直接シールがベタッと貼ってあるってことはないのかもしれませんが、北米ではそのままむき出しで売られてることの方が多いので、茄子でもオレンジでもスイートペッパーでも、アボカドでもトマトでも、洗って切る前にシールを剥がさねばなりません。

トマトなどで、完熟して柔らかい場合はシールを剥がすのも大変。

いやむしろ、そんなことしてる間に実を痛めてしまうだろうから、包丁で削いでやります。

 

たまに剥がし忘れたシールが付いたままでざく切りにされた野菜が調理されて出てくるなんてこともあります。

うちでは今の所まだそういうことはありませんが、職場ではたまにあります。

でもね、そういうとき思うのです、、、

「なんで野菜にいちいちシールを貼らなきゃいけないのさ」と。

 

わかりますよ、農家で収穫した野菜は販売店まで届けらるまでの間にいろんな場所をくぐり抜け、、最終的にスーパーでもそのシールについているバーコードや商品コードによって在庫管理がされ、値段が間違われることなくレジに登録されるんだろうということは。

でもね、なんかもっとマシなやり方はないものか。

いや、ないのかもしれませんね、何トンもの商品をトラックでガンガンあっちこっちに送りつけて、ガンガン大量に小売店に搬入して、、、そういう、効率的なやり方でもうけを最大限に引き上げる、コストを最小限に抑える、、そういう流れにあっては、シールが一番確実なのかも。

 

野菜についてるシールを見ると、原産地がどこかとか、管理している企業の名前とか、そういうことが印刷されているものもありますし、4桁のコードとバーコードだけなのもあります。

シールがくっついた野菜を見ていると、自分が日常口にする食料は、どれもこれも、大量生産された商品であって、大地に結びついた農産物ではないんだろうなあと感じます。

 

もちろん、地元の農家が収穫したものを持ち込んで販売しているファーマーズマーケットとか、CSAとかで野菜を買えば、もっと土に近いものを手にできるのでしょうけれど、いつもいつもファーマーズマーケットまで出かけていられません。

CSAは過去にやったことはありますが、自分で選べない、大量に一気に同じ野菜が来る、来る野菜が前もってわからないから買い物に行って買ってきた野菜と重複したりする、、など、やっぱり不便さもあるのです。

CSAで受け取る野菜をうまく使いこなせるための、時間の余裕とか、在庫管理の技って必要だと思います。

 

そういうわけで、私はやっぱりスーパーに行ってしまうのですが、それでもバーコードの付いた野菜に感じる抵抗は拭い去れません。

 

夏場は自分の庭先で、素人ながら、無理なくできる野菜やハーブ類を作っています。でも素人ですし、無理なくできる範囲ですから、やっぱり丹精込めて(もしくは農薬をガンガン使って)育てないとできないような難しい野菜はできません。所詮はトマト、レタス、キュウリ、ビーツ、インゲンマメ、ケール、、、。

 

 

チェーン店のスーパーブランドの食料品(プレジデンツ・チョイスとか)のトラックとか、ああいうのを見ていると、全てが過剰に管理されているようで、そういう仕組みの中で商品としての食べ物を選ばざるを得ない状況は、歯がゆいというかなんというか。

なるべく加工度の低いものを買う、それくらいしか今の自分にできることはありません。

 

四六時中仕事に追われているビジネスマンではないけれど、やっぱり余裕がないなあ、とバーコードを見て自分を省みる日々です。

 

 


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