和食大好き
でも、和食を作って食べるのは月に一回か二回ほど。
なぜか、、、
食材は昔に比べたら本当に楽に手に入るようになりました。
でもやっぱり「これが切れちゃってるから、今からちょっと買ってくる」とつっかけ引っ掛けて近所のスーパーに、とは行かないものが多いので、食材のストックと作りたいもののバランスを常にうまくキープするのは結構大変。
そして鮮度の良い食材あればこそのメニューはなかなか作れない。
ほら、素材がいいから薄味でも美味しい!っていうの、あれは、厳しいです。笑
面倒臭いので、タイミングが合わないときは和食じゃないもの、残り物がどんと残ってる時には和食じゃないもの、と和食じゃない日が続いていくのです。
和食以外でも好きなものがたくさんあるので、辛いとか我慢してるというわけじゃないですし。
いや、中近東やインド系のものが大好きなので、むしろそういうのが続いてる時は残り物をうまく利用しつつ別のも作る、すると、和食が介入するいとまがない。
そんな感じで和食が疎遠になると、ふと「**食べたいな」と思った時に、はて、あれには何が入ってるんだったっけ?と思い出せなくて頭をうんうん唸らせることも。
なんだか物足りない気がしながら食べ始めて、ふと「ああああ!これにはレンコン入れたらおいしいんだった!」「これには七味を振り掛けるとおいしいんだった!」などと思い出して悔しい思いをしたり。(真剣です)
今回忘れても次回が一月後とかそれくらいのインターバルであるならば「次でいいや」ですけどね、しっかりメモして気合い入れないと次回は三年後でその時もまた忘れてしまう、っていう、、、、。笑
なので三年くらい前にこういう本を書いました。笑
関東の方のレシピなので、おお、そうなのか!とちょっと驚くこともありますが、まあレシピをその通りに使うのではなくて、これとこれが入ってるよねえ、という思い出すためのすべ。
本当は関西の料理人さんの本の方が合うと思ったんですが、ちょうど良い感じの小さな本で「忙しい奥さん向け」の工夫がされてない本を見つけられませんでした。
時短レシピはそれはそれですごいですけれど、私はなんというか、祖母くらいの時代の人がやってた頃の材料や下ごしらえの感じをメモしてくれたものが欲しかった。
子供の頃、土から引っこ抜いた泥つき大根が山積みになってて、それを祖母と一緒にバケツの水でざっと洗い、水を換えてタワシで白くなるまでゴシゴシ洗った記憶があるのですが、そういう部分から書いてあるのです。
大きな樽に白菜をいくつもいくつも押し込んで、塩を振りまいては次の白菜を押し込んで、、、というのも祖母との思い出。
そういう背景があって、さてご飯はどうするか、という時、いつも日本でご飯を作ってる人たちは、いつでもお店に行けば見かける食材を豊富に思い描いて献立を立てますからね。
その上で、「関東出身のあなたは**を入れるけど、関西のあなたは入れない」とか、そういう地域性があって、それもまた日本の食の楽しさです。
今回帰省した時、素敵な古本屋さんで吉兆の本を見つけましたので、関西の食べ物話はこちらで充電させていただこうかと。
家庭料理ってレシピ!じゃなくて、やっぱり育った家庭の思い出とか好きな食べ物の好きな食べ方とか、そういう物語の部分が大きいような気がします。
だからこういう本に惹かれるのかも。
地域性って日本だけじゃないですけれど、北米の人たちは結構移動しまくってるので、日本より地域にとらわれない感じを受けます、、