
スープは寒い時に美味しいですが、冷たいスープなら猛暑の時に最適です。
ビシソワーズとかガスパッチョとかありますが、写真はブロッコリーのスープ。
ブロッコリ1〜2株を適当な大きさに切り分けて鍋に入れ、ひたひたになる程度の水と塩少々を入れて柔らかくなるまで加熱し、アクを取って冷ましておき、茹で汁とブロッコリを分けて(ゆで汁は捨てない)室温程度に冷ましたら冷蔵庫に入れておき、猛暑到来の折にブレンダーでマッシュします。
ブロッコリをブレンドする時に茹で汁を入れて好みの濃度にし、使いきりたい豆乳などが冷蔵庫にあればそれも味を見ながら入れます。
塩と胡椒、あと好みのハーブやスパイスがあれば入れますが、ブロッコリの味が好きならシンプルな味付けで。
週間天気予報などで、来週明け熱波が来るって、、と予測できてる時に準備しておくとよろしいかと。
もやしの長期保存
長期保存というより、買ってきて三日目に使おうと思ったら半分くらいちょっとうじうじっとしてて怖いから捨てる、というのを避けたくて。
母は、もやしが入ってる袋に爪楊枝で穴を開けると良い、と言いますが、こちらで買うもやしは袋に入ってないのです。
パッケージにラップしてあるんですけど、ラップがちょっと破れてる時もあるし、ラップと容器の間にもやしが挟まってることもあるし、そういう条件下で穴を開けることにどれくらい意味があるのやら。
買って来た日とその翌日くらいには食べ切る覚悟で買うのですが、私が行くアジグロは野菜類のパッケージがどれもたっぷりで(量り売りなので結局たくさん売りつけられてるだけですが)何種類か野菜を買うと、早く食べ切るべきアイテムが増えるので毎回うまく行くとは限らない。
と思ってた時に目に入ったおすすめのyoutubeで見た方法を試したら、うまく行ったのでこれを毎回やることにします。
前にもここに紹介したかもしれませんが、自分へのメモでもあるので重複御免。
こうやって同じ話をなん度も繰り返すおばあさんへの道を進むのでしょう。ふっ。
youtu.beちなみにこのユーチューバーさんは髭を取ってますが、私はそこは無視してお湯で処理する部分だけやっていますが、大丈夫。
小説・Butter(柚木麻子著)
読みました。
しばらく前に図書館で予約しておいたのが先日ようやっと届いたと連絡が。
予約したのは去年の帰省前だったので半年以上前のこと。何が届いたのか忘れていました。
とはいえ実はこれ、予約しておきながらその後日本に帰国した折に文庫で買ってあったんです。
ふふふ。
で、一応借りてきた英語訳の Butterは夫に「読んでみる?」と渡し、読書会やろうよ、ということに。
夫の方が読むのが早いので先に読み終わってて、こっちは自分の言語で読んでるのに最初の方はなかなかのめり込めなくて。
カイロプラクティスの待ち時間やメトロの中とか、ちびちび読んでは栞を挟み、しばらくして開いてから「あれ、どんな話だったっけ」と詳細を忘れてたり。
先日オンタリオに行った際にガーっと速度を上げていい感じにまとめて読んで読み終えました。
日本社会のジェンダーの問題や食べ物の描写などはカナダ人男性で食べ物は旨いかまあまあかくらいしか描写しない人にはあんまりおもしろくなかったかな、とも思いましたがよくわからんと言いつつもそれなりに面白かったようではありました。
誤訳発見
文学の翻訳を仕事にできるのは数ある翻訳者の中でも一部だけ、しかも訳者として名前が残るのはすごく偉い人だけで、その下に下訳をやる名もなき訳者さんが複数いるのだ、と聞いたことがあります。
友人に翻訳を生業とする人が数人いますが、皆文学とは全く関係ない分野です。
医薬品の成分や効能、掃除機など家電の取説や軍事機器関連など、言語が堪能でもその分野の言葉をしっかり学習する必要があるから、かなり時間がかかると言います。
さてButter、これを英訳した方のプロセスもそんな感じだったのかな、彼女は日本文学専攻か何かでしょうか。
誤訳を発見して想像は膨らみます。
主人公の里香は殺人容疑で東京拘置所に拘束されている容疑者梶井を何度も尋ねますが、ある時梶井が新潟で高校生だった頃に東京から来たビジネスマンと出会ったエピソードを話します。
梶井は書店で立ち読みしていた自分のことを、「サガンを読んでいた文学少女」と美しく描写します。
で、ビジネスマン氏も「僕もサガンが好きなんだ」とか言ってそれから教養の香りのする援助交際が始まると。
サガンを女子高生が書店で立ち読み、という絵柄がちょっと気取ってるなー、と思いつつ、でも確かに文庫もあるしそれほどの文学少女じゃなくても知られた著者ではあるかな、と。
そういえば日本で割と有名どころとされる映画作家や作家の名前が案外本国以外ではそんなに知られてないのに何故か日本ではずっと定番になってる、っていう現象はたまにあるので、夫にも聞いてみようと思いつつ、英語版で梶井がその話をする場面を探したら、あったんですよ、あったんですけれど、読んでたのがサガンじゃなくてセーガンに化けてて。
そう、フランソワーズ・サガンFrançoise Saganじゃなくて、カール・セーガンCarl Saganに。
え?
フランソワーズ・サガン→文学少女とちょっとキザな中年→教養の香り付き援助交際
カール・セーガン→科学が好きな少女と中年男→こっちも教養なんだけど雰囲気はまるで違う。
梶井が描く美食と教養の豊な自分の姿の中には、いやいや、この小説そのものの中に、あんまり科学とか宇宙とかカール・セーガンって居場所がない気がするんですけど、訳しながらおかしいと思わなかったのかな?
訳者はPolly Bartonさんという英国の作家で日本文学の訳も色々手掛けてる方。
Françoise Saganのことが頭をよぎらなかったのか、日本人はローマ字読みしちゃうから、サガンSaganとはSagan(セーガン)のことに違いない、セーガンといえばカールだ、と思っちゃったのか。
梶井という主人公がやたらと重視してるバターを始め、美食のキーワードの多くがフランスの食べ物とかブランドですが、これって80年バブル期のアンアン等で持て囃されてた世界観というか物質的教養という感じ。
ああ、だからかな、梶井という人物の描写を読みながら林真理子さんを思い描いていたのは(林真理子さんの著書は読んだことがないし、テレビで喋ってる所やアンアンの対談記事を拝見した程度で失礼ですが。)
カール・セーガンがここに登場する違和感を夫に訴えましたが、文系と理系の区別がそれほどくっきりしていないところで成長した彼にはまるで伝わらず。
テーマと違う部分で面白がってしまいました