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食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

怒りの会話?

考える

義姉との会話で(タイトルの「怒りの会話」は彼女との間でのことではありません)彼女が参加している、環境問題に関する勉強会のような集まりで出会った、とあるヴィーガンの方(ここではVさんと呼びます)とのやりとりについて話を聞きました。

曰く、Vさんは、環境保護のために、世界中の人々がヴィーガンにならなければいけないと主張されたのだそうです。義姉はそこで「いやいや、世界中の人がヴィーガンにならなければ問題は解決しない、というアプローチでは人々の理解を得られないだろうから、まずは、みんなが少しでも、できるところから肉の消費を減らそう、という運動を広めていく方が現実的だと思う」と発言したのだそうです。

そこで、Vさんは義姉を遮って、彼女の主張について熱く熱く語ってその場を締めくくったそうです。

義姉は争いごとなど嫌いな人ですし、まあその場で議論をしてもあまり意味はないと判断したそうなのですが、彼女は「ヴィーガンの掟を振りかざして、意見の合わない人を攻撃するような人がたまにいるから、だからヴィーガニズムって煙たがられるのよね。」と。

私はそういう攻撃的なヴィーガンの方と直接出会ったことはないのですが、ネット上で、ヴィーガンの方のブログなど,  結構厳しいご意見を書かれているのを読んだことはあるので、なるほどなー、そういう人に自分の意見を言うと、嫌な経験をするかも、、と。

逆に、私がヴィーガンだと言ったらいきなり「なにいってるのよ、ミルクやチーズをとることでどの牛が殺されてるっていうのよ」などと、喧嘩腰もしくは挑発的に絡まれたりしたことが、ほんのたまにですけれどあるので、義姉に「そういうこともあるよ」と言ってみました。

 

義姉が出会って攻撃的な態度に嫌な印象を受けたVさんと、別の場所で出会う別のヴィーガンさんとは、別々の個人ですけれども、人間はどうしても「同じカテゴリーの人か、じゃあ同類だろう」という印象を持ってしまいがちですよね。

私に喧嘩腰に食ってかかってきた人も、ひょっとしたら過去にどこかの攻撃的なヴィーガンさんに批判めいたことを言われたのかも。その攻撃的なヴィーガンさんだって、それ以前にいろんなところで嫌な思いをしてきて、ヴィーガニズムについて説明するという行為自体が口論をすることになっちゃっていたのかも。。

まあ想像ですが。

自分とは意見が違う人や集団に対して、違うんじゃないの、と一言言いたい人は結構いるだろうし。

ヴィーガンであることに意義を見出すか、そんなのくだらないと思うか、それは個人の選択というか、個々が好きにすればいい、と思うのですが、できれば自分の考え方を理解してもらいたい、その上で、一緒に行動する人が増えるといいなあと思う、そういう気持ちは自然に出てくることも当然だと思います。

ただ、相手が自分とは逆の方向を向いているからと、それを攻撃するのは、やっぱり何も解決しませんよね。

私はコーヒーを飲まなくなって5年ちょっと経ちます。健康のために辞めた!とかそういう理由ではなくて、単に飲むと頭痛がするようになって、面倒臭いので飲まなくなっただけなのです。

コーヒーを飲まないと、何かの会議の時、飛行機でどこかへ行く時、ちょっとした集まりでカフェに集う時、などにいちいち「あー、私はコーヒーは飲まないんで、、、、お茶とかありますか?」ということになります。

最近は北米でもお茶を出すカフェが増えてきましたが、コーヒーの方がやっぱり主流っていうか、コーヒーを飲んでいたら簡単だろうに、、という状況が多いのです。

まあそれはそれでいいのですが、たまに、私がコーヒーを飲まない(コーヒーを批判している?)紅茶を飲む(紅茶の方が健康にいいと思い込んでいる?)と思う方がいて、

そう勘違いした人には「紅茶ってコーヒーよりもうんとカフェインが多く入ってて、コーヒーよりも刺激が強いって知ってた?」などと言われたりします。

私はアンチ・カフェインでもないし(かといってプロ・カフェインでもありませんが)紅茶の方が健康にいいとか、もっと言えば、緑茶の方が紅茶よりも健康にいいとか、そういう何が健康にいい的な話には関心がなくて、ただ、コーヒーは飲まなくなって久しいし、たまに試しに飲んでみたら頭痛になるので、もう今更努力して飲みたいとも思わないだけなんだ、と、、、。

他人の嗜好とか、何を選ぶか、ということに、いちいち関心を抱く人って、どうしたいんだろう、と思うのですけれどね。

そういう人たちが、多分、たまたま自分がヴィーガンだったら「世界中の人がヴィーガンになるべきだ!」と思い、たまたま自分が肉食だったら「牛乳や卵くらいで、動物がかわいそう、なんていう考え方はおかしい!ヴィーガンなんて偽善だ!」などと思うのかなあ、と思うのです。

他人をコントロールしようとすると、必ず壁にぶち当たりますから(だって他人にコントロールされたくない人たちが絶対にあちこちにいますからね)それでイライラして怒りを感じるんだと思うのですよね。

みんながみんなヴィーガニズムに転向しなければいけない、と主張するのも、ヴィーガンなんておかしなことだ認めないぞ、と否定するのも、どちらも不毛な気がします。

 

義姉はヴィーガンではありませんが、健康上の理由から赤身の肉(牛肉とか)は食べなくなったし、機会があればヴィーガンメニューを選択することが増えた、と言っていました。

同じ人が10年、20年前には肉をもっと食べていて、肉のないメニューを選ぶことなど考えられなかったことを考えると、ヴィーガンに転向していなくても、やっぱりヴィーガニズムが彼女の選択に影響していて、地球環境や動物のウェルフェアの向上に貢献をしていると思うのですよね。

貢献の度合いが少なすぎるんだ!と怒ったって何も変わらない、ならば、貢献してる、いいじゃないか、この方向で行ってみましょう〜、って促進した方がずっと前向きで、何かにつながりますよね。

怒りは何も育てないですからね〜。

 

 


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