サツマイモは川越名産?
小京都とか**銀座とか**富士とか、オリジナルじゃない感じの命名って嫌じゃないのかなといつも思うんですが、川越はもう、小江戸ブランドで町おこしが定着てるよう。
川越の駅で下車した時からあちこちに小江戸、coedo 、歯医者さんの名前や商店街のお店の名前にも小江戸、蔵造りの通りというのか、観光地的な区域はもちろん観光バスにも小江戸、coedo 。
しょうきょうと、と同じようにしょう江戸なのかと思ったらコ江戸。
そしてcoedoって、kの代わりにc。
ちゅうかアルファベットで書くんだー。
外国人観光客を意識してるんでしょうか。
確かに、近隣諸国からのビジターらしき若者が沢山歩いてました。
Co-edって英語でいう場合、男女別の学校とか区別してあるクラスの対極としての共学、みたいな感じで使われるし(北米)、最後にoがくっついてますが、なんだか脳内では共学の体育の授業風景が、、、、?
なーんてことを思いながら、古い家並みを散策しました。
でもあれだ、先日ネパールの商売屋さんがおんなじような物ばっかりと書いたんですけれど、土産屋とか観光目当ての食べ物屋さんってものは、似通ってくるものと相場が決まってでもいるのでしょうか。
川越では、サツマイモのソフトクリームとかさつまいものチップスとか芋けんぴとか、サツマイモフレーバーの店の多いこと。
サツマイモの産地なのかな。
あとはやはり江戸情緒というか和雑貨ですかね。
埼玉は狭山茶の産地ですから、お茶屋さんでお茶を味見して求めたいもの、と思いましたが、お茶屋さんもお茶フレーバーのお菓子を売る方が比重が重いかんじで、またそれを買いにお客さんがどんどん並んでいるので、お茶の味見なんて申し訳なくて言い出せませんでした。
食べ歩き推進?ゴミ箱はどこ?
観光地エリアを歩いていると、みたらし団子みたいなもの、芋けんぴ、ソフトクリーム、レモネード、ビール、きゅうりの浅漬けを棒に刺したもの、などなど、買ってそのまま食べながら歩いてってくださいね、みたいな店舗が並んでいて、そういうのを食べながら歩いてる人が沢山いらっしゃいます。
私らはクラフトビールを買って飲みながら歩いたんですけれど、飲み終わってからふと、ゴミ箱がどこにも置いてないことに気がつきました。
飲み物や食べ物を手に入るのは(こぼされると商品が売り物にならないから当然ですけど)お断り、と張り紙がしてある店もあちこち見かけます。
こちらも当然ゴミは持ち込みたくないし、カップの底に残ってるビールをこぼしたくも無いから、どうしよう、って困るわけです。
結局そのビールを買った店まで戻って捨てていただきましたけど、どうなんでしょうか、商店街ぐるみで買い食いを推奨する以上は、商品を包んでるその容器を回収するのも、商店街ぐるみでやるべきでは?
と思ったら、商店街脇に、ポイ捨て禁止のポスターをみかけました。
いやいやいやいや、使い捨て容器に売り物を包んで売っといて、捨てる場所を一切提供して無いからそこらへんにチロっと置いて帰っちゃう人が後を経たないだけでは?
ゴミを持ち帰れる人ばかりとはかぎらないですし、飲み物の容器とか、べちゃっとしたソースやクリームがくっついてる紙って、持ち帰りにくいですよね。
ビジターが小売店でいろいろ買い物していくのは収益なんですから、その副産物のゴミを処理するのはコストの一部として当たり前だと思うんですけれども。
と思ったらこんな記事を見つけました。↓
有料ゴミ箱の試みがあったそうです。
記事から二年ほど経った現在、そんなゴミ箱はどこにも見当たらなかったです。
当然だと思いますけど。
ゴミ箱があれば大概の人はゴミ箱に入れます。
わざと他人の家の軒先にゴミを捨てる人なんてまず居ないと思います。
東京全体にゴミ箱が見当たらないような気がするんですが、外国から観光客をどんどん呼び寄せたいなら、ゴミをきちんと捨てやすいように整備してあげないと、ビジターはゴミを持って帰る家がありませんからね。
容器をデポジット制にするとか再利用したくなる(持ち帰りたくなる)容器を使うとか、ゴミ自体を減らす工夫だってやれば良いですよね。
通りを北の方へ進んだ脇には菓子屋横丁というのがあると言うのでワクワクして行ってみましたが、駄菓子屋さんが軒を連ねてるのかと思ったら、やっぱりサツマイモ系のスイーツ屋さんとか、お土産用に箱に入ったお菓子や土産物を売ってるお店とかが並んでて、いわゆる駄菓子屋さんと言うのは有りませんでした。
閉まってる店もあったので、ひょっとして別の曜日に来たら一軒くらいはあったのかも。
横丁の一番終わりの角の店にはいわゆる昔ながらの飴とか袋菓子がありましたけど、むかーし私たちが小さな子供だった頃よくあったような、十円で買える小さなチョコとかガムとか、そう言う世界はありませんでした。
藤田まことさんが宣伝してたあのクラッカーが売られていましたけれど。