食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

アジア人差別、モントリオールの場合

 

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近所の公園の柳の木。枝ぶりは日本の柳と似てますが、こちらのは大概幹が太い。
 
北米でのアジア人差別 

 

去年、アメリカ各地でアジア人への暴言や暴力が発生しているという報道をみた折には、アメリカに住んでいるアジア人は気の毒だなと思っていたものですが、大統領選の話題、感染者数の推移や各国の状況に関する話題などに押されて、その後アジア人差別の話題は耳に入らなくなっていました。

 

だから、あれは一時期の話で今は落ち着いたんだろうと思っていました。

最近またカリフォルニア州やニューヨーク州で頻発しているという報道を知るまでは。

 

そして銃撃事件。

 

アメリカの話を聞くたびに感じていたのは、うちの界隈では考えられないなあ、という漠然とした安心感でしたが、そのあと「モントリオールのメトロでもアジア人女性に差別的な言葉を喚き散らした男が登場した」と領事館からの注意喚起メールが。

 

ええ〜、モントリオールでも?

 

 

モントリオールは北米やヨーロッパの多くの都市部同様、住民の人種の内訳がものすごく多様で、「白人の国」という感じはどんどん薄らいでいます。

 

 

2002年の国勢調査の時点ですでに私が住んでいる地域の半数以上は母国語がフランス語でも英語でもない移住者でした。

市内でも別の地域へ行けば白人の割合が高いし、東の方へ行けばフランコフォン(仏語を母国語とする人々)の割合も上がるので、フランス語差別みたいなもの(喋れないと嫌な思いをする頻度が上がります)もありますが、全体的には多様性豊かで寛容な社会だと言えると思います。

もちろん差別的な人間はいるでしょうし、警察による黒人やインディジナスの人々をターゲットにした差別行為もたまに耳に入ります。

 

完璧な州ではないけれど、基本的には暴力沙汰が問題になるところではありませんので、アメリカのように歩いていていきなり殴りかかられる心配はあんまりないとは思いますが、それでもやっぱりこういう話を聞くと嫌ですね。

 

 

カナダに住むアジア系住民の経験

第二次世界大戦当時の日系人への対応と、ドイツ、イタリア系への対応が違ったように、仮にウィルスが中国ではなくてイギリスで発生したとしたら、同じようなことがイギリス系住民に対してなされるかと言えばそれは考えられませんから、以前から存在する差別意識が大きな要因であるのは明らかです。

 

危機が訪れた時にスケープゴートになるのは、弱者、マイノリティー、余所者、と言うのもありがちなことで、たまたま見た目で識別されてしまう人種に生まれた人がその被害に会うというのは不条理子の上ない。 

 

 

自分の国へ帰れ!

私は今のところこれを言われた記憶はありません。

あったかな〜、覚えてません。 

 

カナダは移民の国。

ここは私たちの国だ、出ていけ、と言うセリフを言えるのはインディジナス・ピープルズくらいです。

ヨーロッパ系の移民たちが「ここは自分たちの国だ、お前の国ではない」と言うのはちゃんちゃらおかしな話です。

 

こちとらこの国で働いて税金払ってますからね、出ていけなんて言われる筋合いはありません。

自分の問題を何もかも他人のせいにする人がたまにいますが、そういうタイプの人が全ては外国人のせいだ、外国人さえいなければ、、、なんて考えに陥りやすいのでしょう。

そんな人間にどやされて同じレベルに引き下げられている暇はありません。

 

とはいえ、やっぱり他人にどやされて気分の良いわけはないですからね、そういう行為を容認する社会であっては行けません。

 

 

あなたはどこの出身ですか?

カナダ生まれのアジア系の人々が「これを聞かれるとうんざりする」とよく言います。

曽祖父の代からカナダ人なのに、いまだに余所者扱いされている、などと感じるのですね。

黒人の知り合いも同じことを言っていました。

 

私はこれを聞かれたらすぐに嫌な気持ちになるかといえば、相手や状況次第です。

嫌な気分になることもあるけれど、気にならない場合もある。

差別だと一概に言い切れないと感じています。

 

 

この質問、初対面の方の五割くらいには聞かれるでしょうか。

フランス語でやりとりする相手の場合はもっと割合が高いです。

なぜなら私のフランス語のアクセントで地元民じゃないことはバレバレ。

言語関係なく、相手の年齢が上がるほどこの質問をする人が多く、若くなればなるほど人種の違いに言及する人は減る傾向にあります。

 

幼稚園や小学校など見ていると明らかなのですが、ありとあらゆる人種の子供たちが同じクラスで椅子を並べていて、それぞれの文化的背景の違いを学ぶ機会があり、それより何より同じ環境で毎日を過ごすから、こういう環境で育たなかった世代に比べると、グッと差別意識なども減るのだと思います。

 

それでもカナダ全土が同じような環境というわけではなく、田舎へ行けば移民の数も減るし、お金持ちの子が通う私立の学校になると、ある一定の人種の子供たちの割合が増減するでしょう。

社会全体にはまだまだ古い価値観を持っている人たちやナショナリズムに傾倒しがちな人たちも存在しますから、状況や場所によってはやはり「よそ者」と認識されやすい「非白人」にとって嫌な体験をする機会は増えます。

 

オンタリオの田舎やヨーロッパの旅先などでこの質問をされる時、ほとんどの場合が夫と同時に「モントリオールからきました」と答えます。

夫はオンタリオ生まれだし、私は日本生まれだけど、生活しているのはモントリオールだから、「どこから来たの?」の答えはモントリオール。

 

 

頻度なのかなんなのか

アメリカの対アジア人暴力の話題の影響で、義家族や友人など数人に、私自身は嫌な思いをしたことがあるかと聞かれました。

 

今までは誰にもそんなこと聞かれたことがなかったので、これはある意味センシティビティが向上したということ。

 

私個人の経験は、経験した直後には気持ちに影を落とすようなことでも、乗り越えられないものではなかったと思います。

理由がなんであれ差別を平気でする人間というのは、何かが少し足らないわけですから、まともに受け止めて傷ついてる暇はないさ、と思います。

 

それでも差別のせいで暴力を受けるとか、不当に逮捕されるとか、そういう事態が己の身に降り掛かれば、相手がいかにおかしな人間であれ、そんな悠長なことばかり言っていられませんから、結局私が住んでいる土地での差別の平均値はマイクロアグレッションのレベルなのだと思っています。(だから良いという意味ではありません。)

 

 

そんなことを考えていた時、偶然こんな記事を見つけました。

とても長いのですが、読み終わって思い至ったのは、どんな些細なマイクロアグレッションで、どんなに相手がおかしいと頭でわかっていても、ずっと毎日周りの人々にこういう言葉や行為を浴びせられれば、それは重度のストレスやトラウマになるのだということ。

www.hafutalk.com

  

どんな理由であれ自分がされたら嫌なことは他人にもしない、というのは基本中の基本ですが、自分は経験しないから相手の気持ちが想像できなくて、だからこの記事の中の人々のような振る舞いをする、というのもやはりおかしい。

 

嫌だ、やめて、と言ってる言葉が耳に入らないような人ってそれほど大勢いないとは思うのですが、見た目で「ちょっと違う」と判断されやすい人は、そういう無神経な行動の標的になりやすいのか。

 

 

「海外って怖いね」ではありません

日本人が日本を出て旅行なり留学なり移住なりすると、日本の社会では思いもよらない嫌な体験をする機会もあります。

それで「日本の方が良かった」「海外は怖い」などと短絡的な結論を出してしまうのは残念な話だと思います。

 

もちろん文化的に日本の価値基準とかなり違っていて、戸惑いまくってどうしても馴染めなくて、という経験をすることもあるとは思うのですが、文化的な違いを認識し、それなりに慣れたとしても、日本から来た自分という人間がそこの社会でマイノリティであることは変わりませんから、マイノリティという立場の人間だけに見えることが見えてくると思います。

 

日本に帰国すれば、マジョリティの立場に戻りますので、日本でマイノリティの立場にいる人たちの視点で日本を見ることは難しくなります。

 

意識して「日本では私には見えないけれど、やはりマイノリティの人々は嫌な思いをしがちなのだろう」と注意して見ると見えてくることはあると思います。

差別のない社会はありませんが、誰かが「自分たちは差別されている」と声をあげた時にそれを矮小化するのかきちんと向き合おうとするのか、その違いで住みやすい社会になるのか否かが別れると思います。

 

差別って人種だけの話じゃないですし。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。


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