10月の総選挙と海外に住む日本人の投票権
今年の総選挙は海外に住む日本国籍保有者の有権者が投票できないケースが続出して問題になりました。
私は日本領事館までメトロで三〜四十分くらいで行けるところに住んでいるので、今まで問題に感じたことがありませんでしたが、考えてみればモントリオールの日本領事館は定期的にマリタイムス(東部沿岸地域)に出張領事サービスをしていますから、そのあたりにお住まいの方々が今年の総選挙のような短期間、遠距離という状況で投票することはかなり困難だったと想像できます。
ネット投票をできるようにしてほしいというオンライン署名、私も署名しました。
オンライン投票という選択を可能にしつつも、従来の手段から形骸化した無駄なやりとりを排除して、コンピューターやインターネットへのアクセスが難しい人たちにも柔軟に対応した制度を、と個人的には願うんですけれども。
外国に住んでる日本人
つい最近のオミクロン株への対応で厚生省から連日水際対策のメールが届きます。
日本政府の新たな対策が海外に住む日本国籍保有者やその配偶者、日本へ留学や研究をしに行くのをずっと待っている外国籍の人々などを巻き込んで、問題になっているようです。
問題視して発言している人たちを批判する人まで登場しているようです。
日本を離れた日本人と、日本に住む日本人とでは日常が異なるから、理解してもらうのも案外簡単ではないのかもしれません。
2021年の現在、日本を出て別の国に住んで暮らしている日本人は135万とか140万とか言われているようです。
留学、仕事、定住、事情は人それぞれですが、日本を離れて暮らす人たちが大勢存在しています。
これは世界中に住んでいる総数ですから、一箇所に纏まって住んでいて「選挙区」を構成するわけではないので、影響力はありません。
確かに外国の街を歩いて「ここは日本人がたくさん!」と感じる地域ってないですよね。
イタリア系、アイリッシュ系、ギリシア系、中国系、韓国系、フィリピン系、などなど、欧米の大きな都市に行くと結構そういう移民街とか、商店が集まっていなくても「あのあたりにはこの辺出身の人が多く住んでるよね」という地域がありますが、日本人コミュニティの存在感があるのは強いていえば南北アメリカ大陸の一部やハワイくらいでしょうか。
だから、日本出身者は割と孤立しがちだし、比較的文化的な共通点も多い日本以外の東アジア出身の人たちに親しみを感じやすいように感じます。
もちろん個人差はありますし、日本出身者が常に寂しく暮らしていると言いたいのではなくて、文化背景が異なる欧米文化圏にいて、その日常感覚は日本に住む人々に伝えにくい部分も多く、Expats(故国を離れて生きている人)同士でなきゃ分かりにくいことってたまにあるという話。
明治期の日本人大量出稼ぎや移住
日本出身者が現在までどんなふうに世界中に飛び出していき、定住し、帰国もしくは定着してコミュニティを築いてきたのか、とても興味深いです。
私の祖父母は高校を卒業した後日本を出てのちに満州国と言われた中国北部に行きましたが、祖父は実はブラジルへ行きたかったんだそうです。
明治の頃の日本政府は海外への移住を斡旋というか促していたので、ブラジルへ行って成功した人々の噂を耳にして、自分も!と思ったのだそうです。
事情は知りませんが、祖父の希望は叶わず、じゃあ北米へ、とサンフランシスコまで船で出かけたそうですが、それもうまくいかずに日本へトンボ帰りすることになり、じゃあ近いところで中国へ、となったのか。
中国には鉄道の技師をしている親戚がいたので親戚の元に身を寄せて、そこから始めたそうです。
日本はアジアでは侵略拡大をして威張っていましたが、北米でも南米でも日本人は差別される側。
ブラジル出身の知人に話すと「ブラジルは日本人に本当にひどいことをしたと思う。あなたのお爺さんは却ってラッキーだった。」と。
1868年に明治政府の許可も旅券もなくハワイに送られた140人前後の人々はあんまりにも待遇がひどいので政府が救済して日本へ連れ戻さなければならなかったほどだったとか。
旅券なしで外国へ行けたっていうのがすごいですけど、人身売買に近い状況だったのかもしれません。
その後日本政府と外国政府が同意して条件を整えた上での移民斡旋事業のようなものも始まったようです。
労働力不足だった国(移民先)と、余剰労働力や貧困の解決に迫られていた国(日本)との利害が一致したわけですね。
開国後の激動と数々の戦争で、当時の日本はかなり貧しく、農村や都市の貧困の過酷さも想像を超えたものだったと思います。
満州国を始めアジア各国へ移住していった人々の待遇や暮らしぶりと、南北アメリカ大陸やハワイなどに移住した人々のそれとではかなり違ったというか、差別構造の対極にあったので、同じ「海外に移住した日本人」でもその体験はかなり異なります。
以前知り合った日系の方と戦争中の日本人の体験についてちょっとお話ししたときに、満州から引き上げてきた日本人の孫である「日本=加害者」という認識の私と、バンクーバーの日本人コミュニティから内陸部の収容所に連れて行かれ、財産を一切合切奪われた一家の出身である彼とでは、視点がかなり異なったのを覚えています。
最初のリンクによると、第二次世界大戦終了後にはさらに4000人以上の日系カナダ人が強制退去させられ、日本に送還されたのだそうです。
戦後の日本には旧満州や朝鮮半島、南北米諸国や東南アジア諸国から大勢が帰還したために食料不足と貧困、混乱も大変だったんですね。
1951年のサンフランシスコ条約の後は再び1970年代くらいまで、日本政府と条約を結んだブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、などへの南米移住が始まり、1952年からは米国政府も少数の日本人の入国を受け入れ始めたそう。
戦後も集団移民政策があったとは、驚き。
バブル経済の時期にはこの流れが逆転し、南米の日系人たちが日本に出稼ぎ移住し始めましたが、私はこの頃に日本で成長したので、祖父母の時代とはまるで逆の世界にいたわけです。
カナダに住んでいる日本人
戦前からの日系カナダ人や、私のように自分でカナダに来た人たち、カナダに来て家庭を築いた日本人の元に生まれたカナダ人(カナダで生まれた人には自動的にカナダ国籍が与えられます)など、カナダにいる日本人と言っても日本との結びつきや記憶の度合いはそれぞれです。
これはカナダに限りません。
アメリカもそうだし、欧米諸国の多くはそうですが、その国に住んでいる人々で市民権を持っているのはそこで生まれたとか市民権を申請して獲得した人という意味であり、国籍=人種ではありません。
実は市民権は持っていない私も普段の会話では「市民として」発言していますし、私をカナダ人だと思ってる人は普通にたくさんいます。
選挙の時に「投票してきた?」と聞かれて「投票権ないから」と答えると大概物凄く驚かれますが、次の選挙の時には忘れてしまうようで同じ人と同じような会話をすることもよくあります。
日本国籍所有者だからこその不便というのは、住んで納税している土地で選挙権がない、仮に市長選に立候補したくてもその権利もない、カナダのパスポートをもらえないから陸上でのアメリカの出入国に6USドルと処理時間がかかる、それ以外には日本のお役所とのやりとりの面倒さ、等などです。
差別の経験などは、日本人だからというよりは、女性だから、非白人だから、第二第三言語を使っていることや文化的背景の違いによるちょっとした身のこなしの違いなどのため浮いてしまうことがあるとか、微妙なものもあり、どれも住んでいる土地やその人本人の運とか人間関係とか、そういうことも大きく関わると思いますが、明治期に比べたら全く楽なものだと思います。
居住国と日本の間の往復
夫の両親も戦後にオランダから移住してきてカナダで家庭を築いた人たちです。
彼らの時代は船で!
そして、一旦故国を離れたらもう2度と戻ってこれないと覚悟してきたそうです。
義父は彼のお父さんの死に目にも会えなかったし、彼が亡くなるまでにオランダに帰省したのは2度くらいだったはず。
私は結婚前はなんだかんだとお金がなくてほとんど帰省せず、夫と結婚してからちょこちょこと帰省するようになったでしょうか。
子供のいる方だとおじいちゃんおばあちゃんに会わせてあげたいとか、日本を見せてあげたいとか、帰省する頻度も多めなのでしょうか。
ここ数年は私の帰省はどれも父の病気が理由です。
私は介護をしに帰省したわけではないですけれど、そういう必要に迫られての帰省をする人たちも結構いらっしゃるでしょうし、お役所との書類のやりとりとか、帰国しないと進められないこともあります。
船で往復していた時代よりは移動も楽になりましたが、それでも結構なお金がかかるし、時間もかかるし、ストレスも。
パンデミックで国境の出入りが難しくなり、政府の方針の変化に翻弄されている人たちも存在するようで、とてもお気の毒だと思います。
昔と違って最近では遠くにいる知らない人たちの事情もネットで目にすることができるようになりましたから、それこそオンライン署名やオンライン投票などのように、テクノロジーを利用して状況をより良い方向へもっていくことに繋げられると良いと思います。
長文にお付き合いありがとうございました。