食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

住めば都の話

 

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去年の今頃、裏庭のリンゴは結構豊作でしたねえ。

 

 

このブログを読んでくださってる方はとっくにご存知かとは思いますが、私が住んでいるのはカナダはケベック州の州都、花の都モントリオールでございます。

 

たまに日本から遊びにきてくれる友人や家族を、どこに連れて行けば喜ばれるかしらと考えると、結構困るんですけども、ガイドブックなどを見ると、それなりに見所があるように編集されているので、なるほどと参考にしながら。(でもこんなところわざわざ見に行って、面白いのかな、などと思って見たり。)

 

まあ住みやすさは観光ポイントとは関係ありませんが。 

 

 

住んでいる土地に慣れてしまうと、なんでも住んでいるその土地のやり方が普通というか、基準になってきますよね。

 

そうすると、私の場合は、日本に住んでいて日本が基準の両親や日本に住んでいる友人たちと会話すると色々とずれて来ることに気がつきます。

 

例えば医療システム。

アメリカ人の友人が日本に2年ほど住んでいたことがあり、彼女が病院にお世話になることがあったときのこと。

「日本の医療って信頼できるのかな、なんだか病院の中にあるものなどが古臭いし、見たこともないものがあったりするから、怖い」

と言われたことがあります。

その時は「なにを失礼な」と感じたものでしたが、逆に日本からこちらにやってきた人たちも理由は様々でしょうけれど、不安に感じたり「信用できるのかな」と思ったりするようですから、まあそういうことでしょうか。

 

私は大きな手術や比較的小さめなのを数回過去にやってるんですが、いずれも「日本に帰国して日本でやってもらおう」という発想は一切ありませんでした。

 

手術の前には医療チームから手術内容に関しての説明を受けるのですが、その際に色々と質問するときちんと答えてもらえますし、どの医師も信頼できると感じました。

ただ、医師はどなたもだいたい良いですが、医師のセクレタリーはだいたいどの人も態度がでかくて「なにを威張ってるんだろう」と思う人が多いようでしたが。

こういうのは誰もが感じるようで、rateyourdoctor.caみたいなサイトで医者の評判を比較すると、「医師はいい、でもセクレタリーが最悪」という書き込みがわんさかあるのでちょっと笑ってしまいます。

 

態度が最悪なサービス業の人たちと接するのも、慣れてしまうと、どうでもいいことになります。

そういう最悪な態度の人の部下で働かなきゃ行けないのならストレスですけれども、一緒に働く人たち同士は大概フレンドリーで、それこそお客よりも同僚の間の親睦の方が大事、、と言う。笑

 

日本のように、個人のクリニックに勝手に行って保険証を出して待ってればすぐに診てもらえるシステムと違って、ファミリードクターを見つけて、そのドクターを通して専門医に見てもらうなりなんなり、、というシステム自体は面倒臭いのですけれどもね。

しかもモントリオールは医者不足がものすごくって、ことによっては待ち時間が何ヶ月とかいうこともよく聞きます。

 

でもね、今回日本に帰国した時に、父が無事に退院すると喜んでいたら、母が「支払いがあるから保険の書類を出してこなきゃ」などと言っているのを聞いて「そうだっけ、日本はいちいち患者が支払いしなきゃ行けないんだったっけ」と。

 

病院の会計窓口に並んでクレジットカードを出したりしてる様子を見て、やあ、やっぱり異様だなあと感じましたよ。笑

 

おらが村のシステムでは、税金が高くて大変ですが、医療費は基本的に無料なのです。カナダの国民や政治家が医療は基本的人権と認識して、誰もが無料でサービスを得られるべきだ、と選択してきたおかげなのです。

同じような考え方で医療費が基本的に無料な国は他にもイギリス、フランス、スカンジナビア諸国などなどありますね。

 

交通機関はどうだ。

メトロのシステムは、東京や大阪など日本の大都市と比べるとかなり小規模でこじんまりしたわが町。

ラッシュアワーを過ぎると、10分に1本とか、ぐんと田舎っぽくなるんですけれども、まあ地下鉄があるだけ北米的にいえばマシです。

でもね、よく止まるんですよ。遅れるし。

東京なんかの1、2分おきにじゃんじゃん電車が来るのに慣れていると、最初はイライラするし、出勤の時にサービスが停止してしまうと本当に嫌になります。

が、それはそれ、職場に着いて「メトロが止まったから遅刻した、、」というと「あ、そう」と、それでおしまい。

東京のメトロやJRなどで停止したり遅延したりすると、証明書の紙片をくれたりしますよね。

こちらのメトロはしょっちゅう止まったり遅延したりするので、「今朝止まった」というだけで十分なのですよ。

だいたい同じ職場や学校に来る人たち、同じ目にあった人たちが他にもたくさんいますので、一人で必死にそれを証明する必要もないのです。

 

ただ、例えば仕事探しをしていて面接に出向くだとか、何か本当に遅刻ができない場面の場合は万が一メトロが止まったらどうやって目的地にたどり着くことができるかを調べておく必要はあります。

 

でもそれ以外は、なんというか、「絶対にこうでなければならない、ちょっとでも遅れたら許されない」ということはないというか、おおらかな社会なので大丈夫なのですよ。

 

大雑把、いい加減、出来が悪い?

日本に帰省していた時にちらりと目にしたテレビの番組。

そこでは、いかに日本製の製品が優れていて、同じものが別の国ではいかにずさんなものか、そして、外国の製造業の方が日本で製造される同じ種類の製品を見て感動するか、、、というような話が繰り広げられていました。

「わー、日本ってやっぱりすごいんだ〜」って。笑

 

苦笑いしつつ私はテレビを消しましたけども。

 

日本の製品は細やかなことに気を配っていて優秀だ、というのは基本的には嘘じゃないですけれど、「そこまでお節介じゃなくても、、」とか「そこまで過保護にせんでも、、、」という商品もあります。こちらの人たちはそこまで細かいことを気にしてないから、こちらではあんまり必要とされないよ、というものもあります。

素晴らしいと思うものもありますけど。

 

あと、日本でもらったポケットティッシュを使おうとプラスティックの包みの真ん中のミシン目を破ってティッシュを掴んで引っ張ったら破れてしまったりね。笑

こちらで売られている無骨なティッシュは分厚いし丈夫なので指で引っ張ったくらいじゃ破れませんよ。

多分、日本の方々はやんわりとひっぱる人が多くって、こちらの人たちはううんっ!とひっぱる人が多い、という、そういう動きの違いもあるのかなあと思います。

だから、日本のものが全て素晴らしいとは言い切れません。

 

他人への思いやり

日本は思いやりとかおもてなしとか、他者への優しさが自慢な国とされてますね。

でも、北米も、他者への思いやりとか、弱者をいたわるべきだとか、そういう考え方がかなり普及しているところだと私は思います。

 

日本ではお客さんとか、会社のお得意さんとか、身内ではない人たちへの敬意の表し方がものすごいですよね。

お客様は神様だ、とか。笑

 

でも、身内とか、部下とか後輩とか、そういう自分に近くて、一緒に働いたりする人たちへの思いやりの部分がちょっと希薄な印象があります。

 

もちろん個人差はありますけれども、会社なんかで部下や後輩を「育てる」と言いつつ、えらいぞんざいな口の聞き方をしている人たちって、結構珍しくないんではないでしょうか。

実際、帰省した時に街中の喫茶店なんかで近くの席に座ったサラリーマンが、後輩らしき人をジメジメしつこく意地悪に攻め立てて「お前どうなんだよ一体、どういうことだよ」なんて問い詰めてるのを聞いたことがありますし、居酒屋で私と夫のテーブルを新人さんが担当してくれたら、先輩らしき人がめちゃくちゃ怖い指導をしていて(でも私たちには笑顔で)私たちが注文した品が一つ届いてなかっただけで「ご迷惑をおかけしてるだろぅ、あやまレェェェ!」なんて舌を巻いてヤクザのチンピラみたいな態度をとってるのを見てげんなりした覚えもあります。

 

そういうのは一部分で、全体としてはそういうことはあまりないんだろう、、、と思いたいですが、でも実際にそこまでひどい態度をとる先輩や上司がいないとしても、やっぱり上下関係って厳しいですよね。

 

そういう秩序を保つことで、お客さんを満足させるサービスを維持し続けられるのだ、とか、お客を満足させる製品を作り続けるのだ、とか、そういうことなのでしょうけれど、私個人としてはそういうストレスを経て提供されるサービスや製品は、なんだか涙と汗と血の匂いがするような気がするので、ご遠慮したい。

こういうことを言う人は日本では多分甘い、とか言われるんでしょうけど。

まあそれはそれで構いません。

上下関係とか先輩後輩とか言う感覚が希薄で、品質管理が若干抜けてて、それでも割とみんなが温和に過ごせている社会の方が、私には合ってるなあと思うのですよ。

 

バブルがはじけて経済スランプがすでに20年以上の日本ですが、経済大国になる必要よりも、国内のみんなが幸せで満ち足りている社会を目指す方が大事なんじゃないの、と思います。

 

癒し、とか、ほっこり、とか、私が住んでいた頃にはそれほど聞かれなかった表現がやたらと多用されている今の日本、癒しやほっこりが必要とされているからこそではないのかな、と思うのです。 

 

肩の力を抜いて、完璧主義を捨てれば、癒しもほっこりもすぐそこにあると私は思うのですが、如何なものか。


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