食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

高齢の母のための収納法

見送りで成田空港へ。最近は羽田空港のほうが便数が多いって本当ですか?

夫が一足先にカナダへ戻りました。

成田空港へ見送りへ行き、荷物を預け、セキュリティーチェックに入るところまで一緒に行くと、なんと、緑色と灰色のあの公衆電話がずらずらと並んでいるではありませんか。

 

あれ~、こんなにたっぷり公衆電話があるじゃん。

 

到着フロアでゲートを出たところには見当たらなかったんですけどねえ。

 

次回は到着したら上の階にあがって公衆電話から自宅に電話しよう。

なーんだ。

 

 

夫の最後の日本食はラーメン。

生めんを買ってきて、夫と母は普通の醤油ラーメンで、私はヴィーガンゴマみそラーメン。

私は大豆ミート、夫と母は出来合いのチャーシューとワカメ、キャベツとしめじの炒めたのを具に。

夫と母には「スープはものすごく塩っ辛いんだから飲んじゃダメ!」と言い、自分は薄味のスープをきちんと味わいましたよ。ふふふ。

 

ヴィーガンのラーメンスープは色々なレシピがオンラインでも見つかりますが、面倒くさい時(というか、出来合いのを使うノン・ヴィーガンのものと同時進行で作るので手早く済ませたかった)は練りごま、ヴィーガンだし、味噌、ごま油などを合わせてやります。

豚骨などに慣れてると物足りないかもしれませんが、私はこれで十分。

 

ヴィーガン・ラーメン手抜き編

夫が去った後の日々は母と二人で、高齢の母が使いやすいように台所やリビングルームの収納を整理しなおす作業が待っています。

 

おととし父が亡くなり、ものすごい量の本や父の趣味の道具などをどうにかせなばならない状態のまま母は生活してきていまして、捨てるに捨てられないオブジェに囲まれて狭そうだし、この先どんどんこういった重いものを処分する体力や筋力が衰えていくんだし、私が心を鬼にしてがんがん捨てましょう、と。

 

そう思いつつ挑んだら、ものすごい量だった書籍類は本人がかなり処分してあったようで、「あれ?あの作家の全集とかあったはずだけど、ないねえ?」というのが結構あって、楽と言えば楽。

 

でも書棚に残っていたのは、本人がサヨナラをすることができなかった思い入れがある本ばかりだったので、やっぱり捨てにくい。

目をつむってはいはいはい、とつかんで束ねて捨てれば楽ですけど、表紙を見たり「ああ、この本読んでた姿を覚えてるなあ」なんてやっちゃったらもう無理です。

 

すべて捨てられるものは捨ててしまうべきかもしれないけれど、ひょっとしたら孫たちがここにきて、「あら?これなあに?」なんて言ってこういった分野に興味を抱くきっかけになるかもしれないし、、なんて思ったらそれこそもうなにも捨てられません。

 

孫たちは「もらいたいとは思わないけど、読みくなったらここに来るかも」とか都合のいいことを言ってましたけども。

 

とりあえず、書棚の中ほど、背伸びをしたりかがんだりせずに手に取ることができそうな高さの棚を開けて、ここに母がたまに使いたいもの手に取りたいものを置くようにスペースをあけ、ダイニングルームの片隅にあった飾り棚?みたいなところを開け、台所にあふれかえっていた食器類やティーカップ、コーヒーカップ、グラス類を移しました。

 

私はコーヒーも紅茶も緑茶も同じカップで良いんですけど、母はコーヒーと紅茶と日本茶は別のカップを使い、しかも客用と自分用があり、そうめんや冷や麦のツユを入れる容器とそばつゆを入れる容器の区別まである人。

なんでそんな細かいことを気にするの?

と思いますが、そうなんだそうです。世代なのか?

 

日本茶だってあれですよ、あったかいお茶を入れる湯呑と冷たい麦茶みたいなのを入れるカップは別なんですって。

 

呆れて開いた口がふさがらないんですけれども、そんなのも本人が使いたいときにさっと無理せず手に取れる高さの棚に収納しつつ、日常使いをするカップや皿、お椀などなども取りやすい場所に収納しようと必死です。

 

おととしあたり帰省した折にも、やはりそういった工夫をして収納しなおしたんですが、その後やはり本人があれこれ移動してたりして、自分らしく配置しなおしてありました。

そりゃあそうですよね、自分が使うものを自分でやりやすいように置きなおしたいですよね。

 

でも、母よ、そのステーキ用の鉄のプレートと木の受け皿、それはそのプライムスポットに置いておくべきものかい?

 

ステーキなんかめったに焼かない人なんですけども。

 

あと、ブドウの形をした器とか、なにそれ???

使うんですか???

 

あと、仏壇にお供え物を上げるときに使うお皿も何枚かあります。

リンゴとか桃とか乗っけるお皿なんですが、何でもよいじゃないですか、というと、そうではないらしい。

 

ふむ。

 

とりあえずは無理なく取り出せる範囲内の収納場所に日常的に必要なものをそろえて、頻度が下がるものは上のほうや下のほうへ、、という方針でやっています。

 

ごみの分別

どの自治体にお住まいでも似たようなものだとは思いますが、市の指定するごみ袋が薄くって、使いにくいです。

たかがごみを入れてそこの角まで出しに行くだけなんだから立派な分厚い袋である必要はないのですが、瓶を入れる袋までほかのものと同様に細長くて深くて、でも薄い。

重いガラス瓶を袋一杯に入れたら運べないし、その前にこの薄いプラスティックは裂けてしまうでしょうし。

プラスティックごみ、紙ごみ、燃えるゴミ、埋め立てごみ、という分別も、これは一体どれに当てはまるのか、と迷うものが続出します。

 

器類を入れてあった桐の箱や、クッション材の綿(のように見えるが素材は定かではない)や、メタルなんだけどプラスティックがくっついているもの、あれこれ困るものが続々と。

 

迷うたびに思うんです「どうせ日本のリサイクリングは燃やすんでしょ、プラごみだろうと紙ごみだろうと燃やすんでしょ?」

だったら全部燃えるゴミにいれちゃったら良いのに!

でも市民にこうやって分別させるってことはやはり燃やさないのかな?

 

 

 

ごみ処理場を見学に行きたいものだと割と本気で思ってます


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