ヴィーガンというライフスタイルは、動物性のものを食べないというだけでなく、動物を使用しない(動物の皮などを使用した衣服や家具を使わない、動物を使用して安全性を確認した薬品を使用しない、など)で生活するということです。
動物を使用しないで生きるって、今の世の中、そんなに一筋縄ではいきません。
直接的には動物を使っているつもりではなくても、市場に出回っているあらゆる製品が動物性の何かを使用していたり、動物実験を経て製品化されていたり。
市販されているものを買ったら必ず何か入ってると考えたほうがいいんじゃないのかと思うほどです。
食品の場合は、なるべく加工度の低いものを買うようにしていますが、それでも、野菜の肥料などで動物性のものってありますからね。
明らかなものは、羊とか鶏のフンなど。他にも魚介類からとったカルシウム等が配合された園芸用の土など。
野菜を食べてるだけなのに、その野菜を育てるためにまで動物が!
でもそういうことでいちいち暗い気持ちになったり、では野菜もやめよう、なんて言っても始まらない。
と私は思っています。
自宅の庭の片隅の野菜畑に使う土を買う際には、シーフードのカルシウム入りの土などは避け、なるべく自宅の野菜くずのコンポストを使用するように。
ヴォルテールのお話("La Bégueule")で、イタリアの賢者が言ったように、perfect is the enemy of goodなのです。
この表現、和訳では、「最善は善の敵」というようですね。聞いたこともありませんでしたが、まあ直訳ですね。
完璧でなければ意味がないんだ、と躍起になっていると、完璧でないレベルの善にすら意味を見いだせなくなってしまい、逆にいい結果を達成することを妨げてしまう、、というほどの意味ですが、コンパクトに日本語で言い換えるにはどうすれば良いでしょうね。笑
ちなみに、この言い回し、元はイタリアの賢者が言っていることだし、フランス人のヴォルテールが書いて有名になったようですが、大元の格言はイタリア語です。
話を戻しますと、ヴィーガン・ライフスタイルは、完璧でなくてもいいじゃないか、という。。。
理想郷に住んでいたならば、もちろん全てが完璧であってほしいでしょうけれど、現実はそうではありませんから。
気がつく範囲内で、できる範囲内で、最善を尽くす、それでいいと私は思います。
自分がヴィーガンになってからしばらくすると、周囲から「あなたはどれほど真実のヴィーガンなのか?」という問いを投げかけられる場面がちょこちょこと増えてきます。
「いやいや、初心者ですから、まあ頑張ってますけど知らないことも多いし」
という時期を過ぎると「あら、あなたヴィーガンなのに、こんなことも知らないの?」とか「ヴィーガンならこうあるべきじゃあ?」みたいなことをささやかれる場面も出てきたり。
それは、ヴィーガンのコミュニティ内で、ハードコアなヴィーガン先輩衆が言っていることだったり、肉食派が「ヴィーガンなんて偽善じゃないの!」と粗探しをしながらいろいろと言ってくることだったり。
そんなのを耳にしながら、目にしながら、時には攻撃への反応で知らぬ間にデフェンシヴになったり、自分自身も揺れ幅のある不安定な状態になりうることは否めません。
で、最近強く思うのは、
自分がヴィーガンの道を志してるからといって、それが完璧じゃないからと人に何を言われる筋合いもないのだ、ということ。
そして、世間で「たまにヴィーガン」「しょっちゅうヴィーガン」な食事をしているという人や、「痩せたいからヴィーガン」「インスタグラムで見たからいいかな、って思ってヴィーガン」という、パートタイム・ヴィーガンな人たちを批判するのは本末転倒だと思います。
エリート思考でいる集団が提唱するライフスタイルなんか大勢に受け入れられませんからね。
大勢がパートタイムでヴィーガンやる方が、ほんの一握りの人たちが完璧なヴィーガン・ライフスタイルを貫くよりも効果は絶大ですよね。
それに、修行僧じゃないんだから、ヴィーガンを小難しいことみたいにしてはいけません。
ヴィーガンは、ローフードじゃなくても全然構わないし、オーガニックじゃなくても全然平気です、グルテンや炭水化物を普通に摂取することは問題ではありません。
逆に、ローフードをやってる人や、グルテンフリーをやってる人が、ヴィーガンも健康にいいらしい、と取り入れるのだって大変好ましい。
「ヴィーガンはこうじゃなきゃいけない」に縛られないのがはじめの一歩なのではないかと思うのです。
ヴィーガン・ダイエット、野菜を食べ慣れて育っている日本人にとっては本当に気軽に始められるものだと思います。週に一度や二度だったら苦痛に感じない人が大半なのではないでしょうか。
いかがです?アンチ・完璧主義なヴィーガン生活。