先日作ったCholent、約6リットルのスロークッカーで作りましたので、もちろん一回では食べきれず。
翌日お弁当に持って行きましたが、それでも二人であと二回立派な夕飯になる(そしてあまる)分量でした。
初回が「うう、美味しいんだけど重いよ」だったので、二度目はローストした野菜と一緒に食べることで、水分量を増やして薄める作戦に出ましたよ。
胃にグッとくるという意味での重さだけでなく、じっくり煮込んだことにより、風味というか香りというか、そういうものもグッと濃くなっていたのでね。
これは二度目の夕飯で。Cholentは右端にちょろっと、そして、ローストしたカブ、ビーツ、カリフラワー、そしてスパゲッティ・スクアッシュが皿の半分以上です。これくらいでちょうどよかった。笑
煮物の残り物は味が馴染んで美味しくなり、これにローストした野菜を組み合わせるって、すごくいいと思いましたよ。
楽ですし。
野菜のローストは、野菜をざく切りにして、オリーブオイルとハーブをまぶしてオーブンで焼くだけです。
野菜ごとに調理に適した温度や時間が若干異なるのですが、これは何度かやるうちにコツがつかめてきますので、同じ温度で時間差で始めて見たり、切る大きさを変えて見たりして全てが同じ頃合いに仕上がるようにすると美味しいです。
ビーツだけは、皮をむいて切ってロースト、、、ではなくて、アルミホイルに包んで丸ごとローストするのが美味しいです。(ローストしたら皮はするっと剥ける)
アルミホイルがゴミになるので、別の方法を、と思いますが。
ビーツサイズの小ぶりなダッチオーブンにでも入れてみるかな、、。
オーブン料理や温め直し料理は夕飯の支度の究極の手抜きですよね。
そうやって時間を浮かせたら、やりたいことが目白押しの秋です。
夏と秋口はいつも「編み物がしたい!」とウズウズします。
例えば夏、「休みにぼーっとプールサイドの椅子に座って、かぎ針でちょこちょこと編んだり、読書三昧。たまにジン&トニックなんかすすりながら。」
という理想のリラクゼーション。
秋口は「寒くなってきたら休みの日の午後にでもリビングルームで気に入りの椅子に座って編み物、、、」なんて。
でもね、今のところ私は編み物にろくに時間を割けていません。
例えば、用事の合間に15分だけ、、とかそういうふうに取り組めるものだったら時間はあるんですけれども、何せ万年初心者ですので、15分では落ち着いて何かを進められない。
本やYouTubeを見てどうやるのか確認してるだけで細切れ時間は終わってしまいます。
そういう細切れ時間は発酵中のパンの生地の調整とか、細かい掃除や洗濯や、解説を読まなくても進められる楽なものに向いてますよね。
一方、きちんと落ち着いて時間が取れる時は、天気がいいと表へ出たくなるんですよね。編み物なんてすっかり忘れちゃって。
夏は特に。
「今のうちだけだから、今外に出て動き回らなくてどうする!」という北国強迫観念が強く働きます。
では秋口はどうか、といえば、やっぱりまとまった時間ができたら、我が家の地下にしつらえた「ジム」(←呼ぶのは自分の勝手だから)で運動したくなります。
これもやっぱり北国強迫観念だと思ってます。
冬は野外でできる運動が限られてますから。
でもたまにはそういう強迫観念から解き放たれて、心を豊かにする活動をしたいものです。
でも、世の中には興味深いことが山ほどありまして、あれこれ読んだり見たり観たり聴いたり試して見たり、、やりたいことが尽きません。
そうすると、編み物は自然に一番最後に押しやられるのですよ。
編みたいのに!(だから万年初心者なんでしょうきっと)
今年は先日帰国した際に古本屋さんで編み物の本を手に入れたので、ぜひ色々と編みたい!といつにも増してアンビシャスな気分なんです。
30分でもとりあえずやってみよう、と思って先週から何度かちょこちょこと手をつけ始めましたよ。
でもね、そうやって始めたものの間違ってしまって「おお、これは、、、解かなければいけない」と気がついたときはやっぱりがっくりします。
なんせ万年初心者なので。
間違えて、解いて、何度もくじけそうになりつつやっと今の段階にこぎつけたのが、こちらです。
スリッパです。いや、スリッパ予定のものです。笑 写真に撮ってみると、目が荒いですね。笑
義母は生前、よく私たちに手編みのスリッパを作ってくれたりしましたが、いつもおばあさん臭いデザインで、まあ家で使う物だからいいけど、、、という感じで受け取っていましたが、あるとき、すごく可愛いのを夫とお揃いでくれたのです。
「わー、これすごく可愛い、しかも暖かい、嬉しい〜」と素直に喜んだら、義母「ああこれ?これは私が編んだんじゃないんだよ。教会のバザーで買ったの」と。
それまで何度も手作りのものをもらっておきながら、嬉しいとか可愛いとかそういうことは一切言わなかった私(私、お世辞が言えないタイプなのです。お礼はちゃんと言いますけどね。)が、いきなり別の人が作ったものを見て喜びを表現したのを見て義母はどう思ったのかな、と今でもちょっと心が痛みます。
そんな屈折した(大げさですが)思い出のあるスリッパのデザイン、これの編み方が、日本で立ち読みしてた編み物の本に載っていたんですよ。
試してみない手はないですよね。
これが、すごく簡単なんです。
すごく簡単なのに解いてやり直して、また失敗して、嫌になるったらありゃしない。
編みながら「私は本当は編み物が好きなのか、怪しい。どうも苦痛を感じる。」と思う時間があります。
でも、編み進むと嬉しいし、何かを作ることは好きなのです。
こう、淡々と一目ずつ進んで行くときの無の心境みたいなものが、未熟者な私にはちょっと重い感じなのかもしれません。
だいたい、無、とか言いつつも、ちゃんと考えたり数えたりしてないと間違えるし。
編み物って結構修行っぽいですよ。
それなのに編んでると次に作りたいものがポンポンと頭に浮かぶんです。
先日は、帰宅時のメトロを出たところで、耳あてを落としていたことに気がつき、もう手遅れだわ、と。
翌日は古い毛糸の帽子を引っ張り出して使い始めましたけれども、これよりはもうちょっとマシなのを自分で編めるだろうに、、と。
そうやって作りたいもののイメージがふつふつと湧いてくるのですが、時間を、、時間を作らねば、、見つけなければ、、。
通勤途中のメトロで編んじゃおうかなと考え中です。笑
義母の時代の人たちはスロークッカーなんかなかった頃から料理もして子供たちの服も編んだり縫ったりして、すごかったなあと。あ、義母はスロークッカー、50代後半から持ってましたっけ。