80年代末ごろに公開されたデンマークの映画、Babette's Fiest をDVDで観ました。
ストリーミングじゃなくてDVD。ふふふ。
あらすじを簡単にかいつまんで、、と書き始めましたがやっぱり諦めました。
こちらでどうぞ。
日本語のタイトルは晩餐会。
英語ではFeast、ご馳走です。
ご馳走という言葉がいかにも不似合いな19世紀後半の地味で清貧なルター派のコミュニティが舞台。
新しい信者を取り入れることなく延々と同じような生活を続けてきた辺境の村の人々も、腕を奮って御馳走を作るバベットも、みんな表情が固く、感情を大っぴらに表現するのは、パリからやってきたバリトン歌手くらい。
淡々とした画面が続きます。
そこにフランス人のバベットが持ち込むフランス料理という文化が、信心深く、「美食」や現世的快楽に対して閉鎖的な人々の気持ちをほぐしていく様子が描かれます。
バベットやバリトン歌手がフランス人であることが意識されるのはいずれも料理(それまで味気ない粗末なパン粥を作り続けていた姉妹に変わりバベットが同じパン粥を美味しく作って出すようになったことを村人が喜ぶ場面など)もしくは男女の愛をテーマにした歌を練習する場面(牧師の娘たちが普段歌うのは神への愛と賛美をテーマにした歌ばかり)そして「あなたカソリックの人間ですね」というような一言くらいなのに、ルター派の清貧と神への従順という価値観を通して現世での罪深い喜びを恐れないカソリック文化をはっきりと対比させます。
カソリックの文化圏といえば、フランス、スペイン、イタリアなどがありますが、マルティン・ルターが宗教改革をするまではヨーロッパの大半はカソリック、東欧圏はオーソドックス、という感じでしょうか。
我が夫の両親はオランダで生まれ育ち、戦争が終わってからカナダに来ました。
オランダもルター派が早くから普及した土地ですので、プロテスタントのみならず、カソリック教徒たちにもプロテスタント的な禁欲的で清貧を是とする気風があり、「免罪符を貰えば悪いことしても天国へ行ける、罪を犯したって教会で懺悔すれば帳消しになる」というお気楽さはオランダのカソリック教徒には見られず、夫曰く、真面目なんだけど息が詰まるのだとか。
息が詰まるっていうのは夫の個人的な感想ですからね、真面目なカソリックでも息の詰まらない愛に満ちたコミュニティもあるかもしれません。
オンタリオ州にあるカソリックのコミュニティといえばやはりイタリア系が多く、義妹がよくいうのですが、イタリア系の友人たちはコミュニオンのドレスが素敵だとかお祝いにご馳走を食べるとか、羨ましくて仕方なかったそう。
それを聞いた義母が「信仰には美しいドレスなど必要ありません。食事は体に必要な栄養を得ることができればそれを感謝すべき、味について細かくこだわるなんてもってのほか」と、まさにルター派的な清貧の価値観を振りかざすのだと。
私が出会った頃はかなり丸くなっていて、そんなカチカチな人ではなかったのが幸いでした。
バベットの拵えた美味しい料理
食材をフランスから取り寄せたバベット。
運び込まれる食材の中には、生きたままの海亀が一匹います。
タートル・スープというのがあるんですって。
フランス料理に亀のスープなんてあるの、知りませんでした。
中華もフレンチも、和食もそうですけど、熊でも馬でも匂いのきついものでも、美味しいならなんでも食べてやるぞ、という意気込みを感じますよね。
私は食いしん坊なので、未知のものでも美味しいかもしれないと、機会があれば何でも食べていましたが、ヴィーガンになって以降はそれが動物性ならば口にしないようになりました。
そういう自分の生活の変化も踏まえて観ると、この海亀登場の場面はちょっと複雑な気分で、海亀を調理するということを知って驚愕した姉妹の一人がコミュニティの信者たちと緊急に話し合う場面は、滑稽なようでありつつ気持ちはわかるなあ、という部分もあり。
その話し合いで信者たちは「自分達は決して料理を味わったりコメントしないことにしよう」と固く約束します。
これは義母がよく言っていたのと同じことで「食事の味についてあれこれ考えを及ばせるのは罪深いこと。」という、やはり快楽を恐れる心理というか、ルター派及びルター的カソリックでない人たちには理解しずらい信念みたいなもの。
食事の席には昔姉妹の一人に求愛をしたこともある将校が出世して元帥となって参加しますが、この元帥が仕事柄パリに滞在したこともあり、フランス料理やワインに通じていて、出される料理や酒類の一つ一つに感動しては大いに喜び、コメントをしていきます。
最初は元帥のコメントに空返事をしてやり過ごしていた人々も、だんだんと彼に感化され、彼がソースをスプーンで掬って味わえば皆もそれに見習って味わい、食事が終わる頃には皆の様子もかなりほぐれます。
清貧に生きているうちにカチカチになってしまった信者達を、食事をアートにしてしまうフランスという文化圏から来たバベットがほぐしてあげる、という構図です。
DVDにはディスク2が付いていて、監督や役者さんが色々と語るのを聞けます。
その中で監督が「バベットが料理に愛を注ぎ込み、その愛が人々の心を解放した」というようなことを言うのですが、私には料理しているバベットからあえて愛は感じられず、どちらかというといつも味気ない食べ物ばかり作らされていたから久々に自分の本領(バベットは以前パリで有名店のシェフだったと言う設定)発揮して皆に美味しいものを食べさせたい、という職人気質を感じました。
この時代に有名な店のシェフを女性が勤めるという設定には無理がありますけどね。
また、食材のためにつぎ込んだ宝くじの当選金額1万フランクに関して、自分が働いていた有名店では12人分の食事は1万フランクかかるのだとバベットが言う場面があるのですが、そこは不要にスノッブな発言では、と思いました。
義母やルター派的な清貧の視点で食事の喜びを無視しようと努めるのは愚かだと思うのですが、飽食の時代と言われたバブル期に育った私は、何でもかんでも高級食材や高級料理店が持ち上げられて大騒ぎになる、いわば清貧の対極にある美食のいやらしさみたいなものも覚えているので、バベットのこのセリフはやめといてくれたらよかったなと感じました。
大変おもしろうございました。