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北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

Fête Nationaleとケベックナショナリズム

 

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6月24日はLa fête Nationale

毎年6月24日と7月1日は祝日になるケベック州。

7月1日はカナダ全土で祝日扱いになっているカナダ・デーですが、6月24日の祝日はケベックのみ。

 

この日は、La fête St-Jean Baptiste 聖ジャン・バプティストの祝日。

この聖人がケベックの守り神?みたいな存在で(カソリックの方はもっと上手に説明できると思いますが)この日がケベックのナショナル・ホリデー、La fête Nationaleということ。

 

詳しいことはこのサイトの説明をば↓

www.fetenationale.quebec

 

カナダ・デーのお祝いはケベック以外のイングリッシュ・カナダのような盛り上がりはやはりなく、モントリオールではむしろこの日は昔から「引越しの日。」

一年契約のアパートの契約の切り替わりが7月1日なので(最近は例外も増えている)この日は朝からあちこちで引っ越しする人たちがたくさん出現します。

 

同じ日に皆が引っ越しするので引っ越し業者にぼったくられるとか、荷物まとめて新居へ着いたら前の住人がまだ引っ越し作業中だったとか、新しい住居を見つけられなかった人たちが一時的にホームレスになるとか、他所ではありえない問題が出てくることもあります。

 

 

一方6月24日は、クリスマスよりももっと徹底して誰も働かない日。(イベント関係者は大忙しでしょうけど)

 

普段からケベックの国旗を窓辺や家の前にディスプレイしているお宅も結構ありますが、この時期にはお祭りのデコレーションとして、車の窓、庭先や窓辺やあちこちに青と白のケベック国旗が出現し、祝日前夜には大きな公園などで野外コンサートなど、お祭り騒ぎが始まります。

 

 

fleur-de-lisé 百合の花がケベック国旗

6月に入ると、モントリオールでもダラーストアでケベック国旗、fleur-de-liséのデザインが施されたTシャツ、灰皿、ガーランド、キャップ、などなどが普段以上にどかっと陳列されます。

個人的には旗とかガーランドくらいならわかるんですが、結構趣味悪いものも多いので、毎年「これって去年の売れ残りじゃないの?」と思わないでもない。

 

去年のLa Presse 紙の記事によると、「今年(2020年)で国旗が採用されて72年」だそうですので、今年は73周年ですね。

www.lapresse.ca

 

ケベックに住んでいる人も、一度訪問した人も、ケベックの国旗を目にしない、気が付かないで去る人はいないのではないかと思うのですけれども、ではカナダの他の州の州の旗のデザイン、覚えてますか、と聞かれると案外思い浮かばない人も多いはず。

 

オンタリオなんかデザインが混み合ってるので何と何が描かれているのかきちんと表現できない州民だっていると思いますが、シンプルさのせいもありますけれど、やはりナショナリズムの強いケベック州、マクドナルドのロゴ同様、誰もが知ってます。

 

ケベックナショナリズムの形成の歴史

巨大な英語圏である北米の中で唯一のフランス語圏であるということだけではなく、入植から現在までの歴史背景もケベックのナショナリズムに大きく関わっています。

 

 

上のビデオ、長めですがわかりやすくケベックの歴史を解説してくれてます。

そんなの見る時間ない方のために物凄く端折って説明しますとこんな感じ:

 

1617年にフランスからの入植者がきて、1760年に英国とフランスが戦争して英国側が勝ち、その後は英国系住人が増加し政治・法律・経済などの分野で力を掌握。

フランス入植当初からカソリック教会に強大な権力があったこともあり、ケベック社会は本国フランスよりもカソリック文化が根強く残っていると言われます。

 

その後1960年代頃から教会の支配を覆すQuiet Revolution と言われる社会の近代化が進み、フランス語系の分離独立派に勢いがつきます。

ジャーナリスト出身のRené Lévesque(ルネ・レベック)という政治家に率られ Parti Québécois という分離独立を目指す政党が結成され州政権を掌握。

レベックは1976年から1985年まで州知事としてケベックの分離独立運動を盛り上げました。

 

経済的な混乱などを恐れた多くの企業や個人がオンタリオやアメリカなどへ本社や住処を移動させたことにより、ケベック州の経済は一時的に落ち込みました。

この影響でしばらくはモントリオールの家賃相場など、同じサイズの都市に比べるとかなり安く、家賃も物価も安いモントリオールは学生やアーティストが暮らしやすい街でした。

 

とまあ、こんな感じ。

きちんと知りたい方はビデオ↑または連邦政府による解説↓などご覧あれ。

 

www.canada.ca

 

近代のケベコワ社会の貧困と抑圧の様子を垣間見るのに参考になるのが、フランス系カナダ人であるガブリエル・ロワのThe Tin Flute。

en.wikipedia.org

 

フランス語版、Bonheur d'occasion (1945) が先に出版されたようですが、英語版はカナダの他の州でも高校の英語の時間に読んだりして、多くのカナダ人に読まれたお話。

 

 

 

分離独立の機運が高かった頃

私は2度目の住民投票の翌年に初めてケベックにやってきました。 

 

今はお洒落で素敵なプラトー地区に友達とアパートをシェアして住んでいたのですが、家賃が安くて、物価も安くて、本当に学生には最高の土地だと思いました。

貧乏というか、お金ないんだよ、っていう会話が普通だったなあ、、。

その上、泥棒がしょっちゅうあちこちに入って、中古のCD屋さんに置いてあるものは多分先週どこかで盗まれたものだよ、みたいな話がありました。

質屋もあちこちにありました。

最近は見かけませんね。

 

 

当時同居人に聞いた話では、アパートに電話がなかった(貧乏学生だったため)頃、近所のお店のドア付近にある公衆電話(昔はよく二重のドアの間に公衆電話が設置されていたのです)を使って誰かと話していたら、誰かに首元に火のついたタバコを放り込まれたことがあったとか。

分離独立派(=アングロ嫌い)の多い地域で英語を話していると割と激しい嫌がらせに遭うことも多かったようです。

しばらく前にアメリカのヴァーモント州でスーパーのレジのおばちゃんと世間話していたら、なんと同じ通りの2ブロック先の家に子供の頃住んでいて、やっぱり分離独立運動が燃え上がっていた頃に一家でアメリカに引っ越したとかで「庭で友達と遊んでいたらどこからかビールびんを投げ入れられたこともあったよ」とか。

 

ビール瓶は私も経験したことが一度だけありますが、あの時は歩きながらワイワイと英語で友達と喋り尽くしてたので、誰かの癪に触ったのでしょうね。

一時期に比べると、過激な分離独立派とかフランコフォンによるアングロ差別のあからさまなものはグッと影を潜めています。

 

ただそういう経緯があるので、たまに閉鎖的なフランコフォンに出会うと「彼は分離独立派だ」なんて言って「頭が硬いから相手にするな」というような反応をするアングロもいます。

 

フランス系の住民がみんな分離独立派なわけではなく、「自分は支持しない、分離独立派はちょっとおかしい」という人が結構多いですし、州の政治で分離独立を目標としている、と言ってしまうと人気がぐんと下がって選挙に勝てないので、政党もその件に関しては決して目標としているとは言わないのが一般的です。

 

ただ、アメリカやヨーロッパなどの観光地でサイン帳というか、訪問者がメッセージを書いてサインするようなページにケベックの人のサインを見つけると、「素晴らしいミュージアムです、ありがとう、ミシェル、モントリオール、ケベック」という風にケベックで終わっていて、似たようなメッセージを書いてるケイトはオンタリオ、カナダ、とカナダで終わってる、というふうに、若干国家意識というのか、そこらへんはやはりイングリッシュカナダの人たちとは違う感じです。

 

 

 

 

ものすごーく長くなりましたので、ここで一旦終わります。

最後までお付き合いありがとうございました。 

 

 

 

今年はお祝いで盛り上がれるかな?(行きませんけど)


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