ポップ/ロック系の伝記映画再び
伝記というか、実在の人物を題材にした物語はいくつもありますが、最近ポップ/ロック系のが続いてますねえ。
ボヘミアンラプソディーも観ましたが(これも機内でだったはず)上映された後はやはりクイーンの音楽を思い出してガンガンかける人が増え、若い人も再発見?発見?したりして、クイーン大好き、という発言を聞くことも増えました。
あの映画以来、職場のイベントとかラジオを聞いてる時とかお店のBGMとかでクイーンがかかる頻度がかなり上がったんですけれど、私実はクイーンの歌詞の若干ベタベタした感じが苦手です。
いや、クイーンが健在だった当時は苦手だと思ってはいなかったんですが、映画以来ものすごくよく耳にするようになってから気がついたというか。
映画産業も今更新しいお話なんか出てこないんでしょうし、ポップ音楽の有名人一人につき一作品を作っていけばこの先何年もテーマに困らないでしょう。
ケベック州に住んでいるケベック出身ではない人間としては、ケベックにおけるエルビス人気というか、エルビス成り切りアーティストがエルビスとしてパフォーマンスをするコンサートというか、そういうのを知ってちょっと引いてしまうというか笑ってしまうというか、そういう色眼鏡を持ってしまっているので、エルビスの映画ですって?うっそお〜、という反応から抜けられるだろうか、という懸念というかなんというか、そういうのを感じつつ観始めました。
エルビス役を務めた俳優さんが、実際のエルビスよりも細身で、顔の作りも細面目なので、これはエルビスに見えないわー、と思って見始めたのですが、それが却って良かったというか、エルビスの話というよりはエルビスを発見して有名にした怪しいマネジャーの話(彼の視点から描かれている物語)だったのも良かったかもしれません。
それにしてもエルビスの音楽について語られるときに必ず出てくる「黒人のような」彼の音楽性ですが、黒人の音楽を歌う白人がいなかった当時の人々にはそういうふうに受け止められたんでしょうけれど、私の耳にはどうしても黒人ぽくは聞こえないというか、エルビス節にしか聞こえてこない。
カラオケでおじさんが歌うエルビスの曲とか、甘ったるい声とか、ハワイを舞台にした映画シリーズとか、エルビスがすでに過去の人だった世界に生きてきた私には全然格好良くなかったエルビス像は揺るぎない。
黒人音楽の影響を受けたというのはわかりますけどね。
60年代のビートルズやストーンズなどもそうですが、若い女性がキャーキャー泣き喚きながら興奮して夢中になったすごいパフォーマーだった、という部分がよく描かれていました。
観ている方がそう感じるのは、実際には作中で聞かれる音楽が当時のエルビスのパフォーマンスのバックで奏でられた音楽のスタイルとは若干違っていたせいもあるというか、現在の観客の胸にグッと届くような音楽にしたんだろうというのは、現在YouTubeで観ることのできる当時のエルビスのパフォーマンスのバックバンドの音を聞けば一目瞭然ですけれど。
だからやっぱりエルビス役のAustin Butler氏がエルビスに似ていないのも、あのむっちりしたエルビスの顔に邪魔されず、現代の観客好みの繊細な青年像で観客の気持ちを掴むことに成功しやすくさせているんでしょうね。
才能のある若者が、繊細さや出会いの不運さみたいなものと名声が絡み合って不幸になっていく、という展開はこういうアーティスト伝記ジャンルにありがちですが、飛行機の上で現実のエルビス像とは別の人物像と音楽を楽しみましたよ。
1956年のエルビスのパフォーマンス。バンドの演奏は黒人ブルースっという感じでシンプル。エルビスのノド回しはやはり私には黒人ぽく聞こえません。
それにしてもやっぱり観客の声が煩い。
Unchained Melodyを歌う晩年のエルビス↓
これでエルビスの曲があちこちから聞こえてくる頻度が増えるのでしょうか