動物性食品vs植物性食品ではない
ずいぶん前に書いた記事にコメントをいただきました。
「動物の営みを壊すのはダメで植物の営みを壊すのは良いという理由が知りたい」と。
似たようなもので「動物を殺すのはダメなのに植物は殺しても良いのか」みたいな疑問も時々聞かれるようですが、実際に自分に問われたことがなかったのでそれについてこのブログで触れたことはなかったと思います。
コメントのお返事を書いた後でもうちょっと私の考えをきちんと伝えるべきだったかな、と思い直しまして、ここに記事を書きます。
「通りすがり」さん、もう通りすがって遠くへ行っておしまいかもしれませんけれど。
現代、都市部に住んでいて食べ物をスーパーやファーマーズマーケットで買ってくる我々にとって、お金を出して買うこれらの食品は「商品」として大掛かりな生産、加工、輸送、保存、販売、という経済活動を経てやってくるものです。
その過程では森林伐採とか、労働者搾取とか、環境汚染とか、プラスティックゴミとか、地球環境を破壊する道まっしぐら問題を巻き起こします。
ヴィーガンだから植物性食品を食べていますが、それだって地球環境にダメージを与えずに生産・加工・輸送・保存・販売、、、されることはあり得ません。
だからまずここで、「植物性食品なら無罪だ」と思っているわけではないことを認識していただきたい。
では「植物性食品も有罪ならなぜ動物性だけを避けるのか」というのがコメントをくださった方が疑問に感じている点かなと思います。
動物性食品生産のために犠牲になるもの
牛肉生産を例にすれば、環境に関わるだけでも以下のような問題があります。
- 牛の飼育に必要とされる土地の面積
- 餌になる作物生産に必要な土地の面積
- 餌になる作物生産に必要な水資源
- 餌になる作物生産に必要な農薬
- 屠殺場・商品加工工場で搾取される労働者
- 汚水処理
- 排出されるメタンガス(牛のゲップっていう話ですね)
アマゾンの熱帯雨林破壊が問題になっていますが、これは広大な森林を平たい土地にしてしまって、牛の飼料である大豆のプランテーションにしたり、牛の飼育をしたり、加工肉の輸送のための道路を造ったりするため。
地球上の多くの人たちが、安く大量にステーキやハンバーガーを食べられる生活を「当たり前」にしていられるのは、広範囲で大規模な畜産業が存在することが前提です。
北米にはそう言った「ファクトリーファーム」の大規模畜産業があちこちに存在します。
多分日本にもありますよね。
世界的に牛肉の消費量は年々拡大していますが、これは自然な増加というよりは畜産業、食糧生産業界が市場の拡大を図りつつ、生産量の拡大に務め続けてきた成果だと言えます。
資本主義経済では生産活動は拡大し、市場も拡大し、利益を追求するのが「善」ですから、この仕組みに携わっている人たちは日々努力して一生懸命に「売り上げ目標」「生産量拡大」を達成してきたわけですけれども、このままでは地球環境が破壊されてしまいます。
人口増加も畜産業の市場拡大も、このペースで進んだら地球はもう支えきれないということが、環境問題としてあちこちで明らかになっています。
牛だけではなくて、豚肉の生産にも鶏肉の生産にも、詳細は若干違えど同様の問題はあります。
畜産に関わる問題の規模とは格段に違うけれども、野菜や果物、ナッツ類の生産、加工、などなどの過程にも問題はあります。
けれど、畜産というプロセスには「餌になる農産物の生産」も含まれ「広大な敷地を確保するための森林破壊」という問題も含まれているので、「動物性食品vs植物性食品」とは区別できないわけです。
マグロよりイワシを食べるべし
子供の頃、祖父が言いました。
海洋汚染か何かで、ある種の魚が汚染されて食用には危険だとか、そんな報道がされた時だったと思います。
大きな魚は小さな魚を餌とする。
その小さな魚はそれよりもっと小さな魚を食べている。
海の食物連鎖の頂点にいる大きな魚には有毒物質が濃縮されている。
ならマグロみたいな大きな魚じゃなくて、イワシみたいな小さなのを食べてる方が濃縮度が少なくて安心だし、だいたいマグロ一匹の値段に比べたらイワシの方が安価である。
イワシだって美味しい(嫌いな人はいますけど)んだから、その方が良い。
祖父に限らずそう考える人は少なからず存在すると思います。
破壊的な資本主義活動に参加するのを控えてみる
動物性食品をやめて、植物性食品だけにしておこうという判断は、動物の餌を飼育するために必要な土地、資源、労力などを、人間に食べさせる食料を生産する方に回した方が多くの人たちに食べ物を回せる、という発想でもあります。
でも肉をすっかり辞めてしまうことはできない、という人がいるのも理解できます。
そういう人たちの中には「牛肉だけやめる」「牛肉も食べるけど、頻度を落とす」などとできることから始めている人たちもいます。
その努力はヴィーガンになることと同じくらいインパクトが大きいと私は思います。
だって完璧に動物性食品を絶って今後の人生を生きていくことができる人の数ってやっぱり限りがありますから、それよりはなるべく食べないようにする人たちが増えることの方が現実的です。
何度も書いてますけど、ヴィーガンになる人が1人増えるより、肉食を半分に減らす人が十人増える方が地球へのインパクトは大きいと考えています。
だから「肉を辞めないあなた」を批判する意味はないと思っています。
他人の食事を批判するほど無意味なことはないですし。
批判の対象は 無制限に乱開発したり搾取したりする大企業と食品産業に牛耳られている政治家であるべき。
批判の目的は問題を解決すること。
だから批判をし続けても効果がないなら 別の手段を選ぶことも必要。
だからネットで人々がヴィーガンレシピをシェアしたり、有名人がヴィーガンだと知って影響された人がヴィーガンに転向して盛り上がってるのも良いこっちゃと思います。
そして、動物性食品を食べなくなってしばらくすると、なんというか元々の動機(環境問題)以外にも、動物への慈悲の気持ちがむくむくと膨らんでくるのを感じます。
植物にも、同胞である世界中の人間にも感じます。
ラブ&ピース