お洒落でも美しくもないので躊躇していましたが、買い物をしない7月の間に作った食事の中で、一番簡単で美味しかったものを紹介したいと思います。
そのメニューとは、、、、、、
納豆入りオートミール!
オートミールは一般的には、塩ひとつまみ入れたお湯を沸かし、そこに乾燥したロールドオーツを入れて弱火で加熱し、好みで牛乳を入れたり、メープルシロップやらブラウンシュガーやら果物を細かく切ったものやらを混ぜて食べる朝ごはん。
私は甘い穀物粥がどうも気持ち悪くてだめなので、昆布だしを沸かし、ミルクは入れずにワカメやほうれん草など、おじやとか味噌汁を作るときに入れるようなものを入れ、最後にちょっと醤油、ネギの小口切り、ごま、青のり、などを適当に組み合わせてトッピングする、、、、という食べ方をします。
オクラを入れても美味しいんですよ。
で、今月はお豆腐が無くなった後買いに行きませんでしたので、代わりに大豆を茹でて納豆を作り、納豆ご飯を楽しみました。
ヨーグルトメーカーの容器にドカンと乾燥豆300グラム分の大豆で作った納豆ですので、毎日食べても存分に楽しめます。
で、オートミールを作りながら冷蔵庫を見回し「はて今日はパッとした野菜がないなー」なんて思っていた折に目に入った納豆。
大さじでどかどか、っと2杯分入れてやりました。
他に入れた具はわかめ、トッピングには黒胡麻とネギの小口切り、フラックスシードを轢いたものも小さじいっぱいほど。
加熱した納豆が嫌いでない方には美味しいオートミールができました。
腹持ちも良いので、良いですよ〜。
命を使うシステム
ひょんなことからある書評を見かけました。
自分の財産のすべてが、地下の資源やほかの生物の命を変換したものだと気づいてから、働くことに身が入らない。
という書き出しで、書評を書いているのは、アウトドアライターの藤原祥弘さん。
この方の書いたものは初めて読みましたので、どんな方なのか、背景や信条などは一切存じ上げませんが、ご自分で海に入って魚を獲っていらっしゃる方らしいです。
魚を獲ることで生計を立てるとしたら、サラリーマン並みの年収を得るためには、1キロ当たり千円として、一年に収穫しなければいけない魚の量は十トンだと計算し、十トンの魚を海という(生態系のバランスが取れている)環境から引き出すことがどんなことなのか、そのインパクトを考えると、その罪深さに気がつかないではいられない、、とおっしゃっています。
それは、実際に自分の手で素潜りして魚をとった場合の計算ですが、自分では海に潜らなくとも、魚を買うときに支払うお金は別の形で地球の資源をお金に変えることで得たものだと考えると、人間は全て、地球の資源を自分たちの儲けのために抜き取って形を変えて商品化することから収入を得ています。
藤原さんはここでは「命をお金に換算」していると表現されています。
魚の命、家畜の命、経済活動の犠牲になる野生生物の命、ひいては経済活動のために伐採される森林や生態系全てが命であると言えるということでしょう。
仮に漁業、農業、生産業などに直接関わらなくても、二次産業、情報産業など、デスクワークで地球の資源に手を触れない職種だって、間接的にこの構図に拘っているわけです。
藤原さんはこの視点から書評を書いていらっしゃるのですが、資本主義という経済構造が現代人の価値観を乗っ取ってしまい、地球環境というかけがえのないものすら使い捨てにしている現状の歪みについての指摘としても興味深いです。
紹介されている書籍もまた面白そうなので読んでみたい、、、ですが、なるべく買わずに暮らしたいと思っているので、躊躇しております。
地球資源を換金する危険
ヴィーガンは動物のことばかりで、植物のことは考えてない、という批判を目にすることがたまにありますが、そういう人がいるのかどうかは知りませんが、私は植物のことも考えてます。
「このネギを食べることはネギ殺しになるから、できない!」とか、そういうことじゃなくて、森林破壊につながる畜産業のあり方はだめだな、とか、そういう意味ですけども。
畜産業のために大量生産される大豆やとうもろこし等の単一作物を広大な土地で効率よく生産するシステムのために、今もどこかで森林が伐採されていて、単一作物を連作するせいで、その土地や地域の生態系も何もかもが破壊され、土壌が痩せ細って埃のように風に吹き飛ばされていくという問題など、「命」は食肉のために殺される牛の話だけではなくて、元来多様性豊かな土壌や原生の植物、そこを飛び交う昆虫や地を這うミミズやバクテリアなども含みます。
動物の命をわかりやすく奪うわけではなくとも、人間の経済活動のために後先考えずに森林伐採を続けているカナダのブリティッシュコロンビア州の産業だって、地球環境の命を奪ってお金にしている活動の一つであり、重大な罪だと考えます。
BCの州知事は、選挙公約では科学的な根拠に基づいて健全な森林保護対策を講じると言っていたのに、現在も続く内陸北部の森林伐採事業を規制することなく、再生するのに何千年もかかるような豊でかけがえのない雨林が消えていくに任せています。
巨大な倒木と巨大な生きてる木。
地球上の酸素の大部分は雨林で作られます。
木は成長するために二酸化炭素を使いますが、生きている木は、倒れた木が放出する量の2倍の二酸化炭素を取り込み、蓄えます。
木が切り倒されると、蓄えていた二酸化炭素は放出されるので、それまで温室ガス抑制に一躍買っていた資源がなくなるだけでなく、温室ガス排出量そのものが増加してしまうわけです。
森林が地球の命に貢献することは酸素や温室ガス抑制だけではなく、ありとあらゆる生物が生きる環境を提供していたり、広大な範囲で雨水や蒸気といった水分が土壌や空気中を循環して気候を安定させることに貢献していたり、「異常気象」ではなく、あるべき姿の環境を維持するためにはなくてはならない存在だと言えます。
過剰な資本主義のあり方とか、森林保護とか、個人の力でどうにかなる問題ではありませんけれど、政府や企業を動かすには多くの人々が政府や企業の姿勢に無批判なままでは始まりません。
生産や勤勉以外の価値観も大事なはず