食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

気になるもん負けと、家庭内マネジメント

先日の残りのNYスタイルピッツァ生地で夕飯に一枚

ピザ一枚じゃタンパク質も野菜も足らないので豆腐スクランブル

先日の生地はこちら

 

casse-pied.hatenablog.com

冷蔵庫の中身、残り物や早く使い切りたい野菜が残ってると、夕飯でうまく消化しきりたいですが、1枚分のピザ生地としんなりしてきたインゲン豆を両立させるには、、うまい組み合わせが思いつけなくて、豆腐スクランブルとピッツァという無理矢理な組み合わせになりました。

 

 

お題「家事分担どうしてるか教えて!彼女や彼氏・妻と夫・同居人との分担」

 

マモさんのブログでこんなお題を知りました。

よそのお宅の家事分担ってよそのお宅の献立同様興味深いですね。

 

 

夫婦とか親子とかだけでなく、複数の人間が一緒に暮らすと、家事の分担の問題が浮上するのは世の常、と思う一方、家事のことで喧嘩するのってうちだけ?なんて気になったりもします。

 

 

我が家の家事分担

朝食と昼食は各自勝手に。

夕飯は仕事が早く終わる曜日がお互い決まってるので、早く帰宅できる方担当で、一方の仕事の波が大きい場合などはもう一方が肩代わりしたり、負担と不満が出ないように臨機応変。

庭でバーベキューは夫が積極的になんでもやります。*1

皿洗いは夫が(夫は翌朝に持ち越すのが基本)ですが、私は気になった時や手が空いてる時にインターベンション。

掃除機はゾーン別(自分の部屋+寝室、台所、階段が私、自分の部屋+リビングルームが夫)

バスルーム掃除は夫(鏡とシンクは汚れに気づいたら私。)

洗濯物は私(私が忙しい時は夫がやることもあります。)

干すのは夫、夫がいない時は私 

洗濯物を取り込んで畳むのは手が空いてる方 

庭仕事は夫が花と木、野菜は私

 

 

*1)北米にありがちな、火を扱うBBQは男の仕事だ、みたいな感覚があるらしく、どこの家庭でもBBQはお父さんの仕事的な認識があり。

 

 

気になるもん負けの法則

学生時代、ルームメートとの暮らしで悟りました。

汚れてたり散らかっている状態でも気にならない人はいつまで経っても手を出さない。当番制にしてみたり話し合ってみたりしても、うっかりしてたり忘れたり気が付かなかったりで結局放置される状態に戻りがちで、気になって手を出してしまうものが負け、という展開になりがちです。

 

いつも自分ばかりこれやってるよね?

という不満は溜まってきて怒りにエスカレートしやすいですが、何もしない側は全く気がついてないとか、そんな重要なことじゃないと思ってるので、怒っても理解してもらえない。

 

 

随分前に読んだ記事に、カップルの間での家事の分担に関する不満の根元にあるのは、タスクの分配が不平等であることよりも、タスクの優先順位やいつまでに終えるべきか、などといったタスク・マネジメントの責任が共有されていないことにあると書いてありました。

いつどこで読んだのか覚えてないのでリンク貼れませんけども。

 

例えば、冷蔵庫の中身が空っぽになっていて、買い出しに行かなければ食事の支度ができなくなるというのはそこに住む人全員の問題なのに、在庫マネジメントから買い出し、買ってきたものの収納まで全てをこなすのはたった一人でやってて、そんな人にパートナーが「牛乳切れてるじゃ〜ん」などという構図。

減ってきてる食材を買い足すこと自体は負担じゃなくても、家事は小さなことがたくさん重なりあうものなので、それを気にかけるのが一人だけというのはよろしくないと。

 

この記事は夫にも読んでもらって、家事タスクマネジメントを共有すべく話し合いましたよ。

 

タスクマネジメントの共有の大前提として、夫と私の間での必要な家事認識にズレがあったので、そこを交渉してお互いに妥協しつつタスクリストを確認する必要もありましたが。

 

例えば、ずいぶん前に開腹手術を受けることになった時。

手術の前に看護師に「術後は6週間掃除も洗濯物をしないように。」と言われました。

看護師は夫に向かって「あなたが全部やってください。」

看護師曰く、「多くの家庭でこう言った家事をやるのは女性なので、注意しておかないといけないことなのです。」

 

傷口を開きかねない動作を含む作業だからだそうです。

 

 

で、やったー、6週間洗濯と掃除から解放される!と思ってたら、我が夫は一向に掃除機をかけません。

 

私は掃除機禁止なんだからやってよ、というと「君がやる必要はないけど、だからと言って君が気になるたびに自分が掃除機をかけなきゃいけないわけではない」と。

 

要するに、私が掃除機が必要と感じる頻度が高すぎると。

 

なんてこった、屁理屈大魔王なのは知ってたけど、そうきたか。

 

洗濯物は、やらないと着替えがなくなるし、機械に入れたら機械がやってくれるものなので問題なく(干す時に皺を伸ばさないとか靴下が半分ひっくり返ったまま干してあるとかありましたが)やってましたけど。

 

私がやるべきだと思う頻度と夫が適正だと思う頻度は確かにズレがち。

 

結婚当初はこのズレが原因で喧嘩になったりしましたが、最近ではお互いのリズムに妥協(慣れとも)してきてて、多分日本の人から見たら小汚い部分も。

でも平気です、自分ちですから。

 

 

ただ、対等な大人同士ですので、自分のために相手に何かをやってもらおうという発想はありません。

お茶が飲みたければ飲みたい人が淹れ、ついでだから「淹れるけど、飲む?」という展開。

だから「お茶飲みたいな〜、淹れて」というのはたまに耳にするとちょっと引いてしまいます。

 

 

そういえば、映画「たんぽぽ」で、瀕死のお母さんが寝ているところに集まっていた子沢山の家族、そこでお父さんが「母ちゃん、飯を作れ!」と言い出し、瀕死のお母さんはむくむくっと起き上がってチャーハンを作り、子供たちが食べてるのを嬉しそうに見てから息を引き取ります。

それを泣きながら食べる家族にお父さん「母ちゃんが作った最後の飯だ!」って言ってる。

あれはどういう意味のあるシーンなのだか知りませんが、瀕死な妻に向かって飯作れってのはどう言う了見だ、と腑に落ちません。

 

 

家事は毎日のことだし


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