食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

Cultural Appropriationと、カリープラントを育てる

カリーリーフ

の香りが好きです。

カリーリーフが入ってたらなんでも美味しくなるとすら思っています。

なんでも、と言ってもやっぱり南インド、スリランカ方面のおかずですけれども。 

en.wikipedia.org

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トロピカルな植物、写真は上のウィキページから。

 

インドの家庭料理、特にグレーヴィーっぽいもののことを「カリー」と呼ぶようになったのは、植民地支配をしていた英国人たちが「カリーリーフ」と言う名前のハーブを使って作られた美味しいグレーヴィーを食べて気に入って、その料理名が「カリー」なのだと思い込んだことから始まる、、、

と言う話を聞いたことがあります。

 

本当か嘘か知りませんけど。

 

インドやパキスタン、スリランカ、などあのあたりの料理を出すお店のメニューを見ると、カリーって言う名前のものはなくて、それぞれの料理の名前がついています。

 

昔からあるテーブルクロスの「レストラン」的お店だと逆に「カレーハウス」とか宣言したりしてて、いちいち名前にも「カリー」がついてたりしますけど。

そういうお店では「ナン・ブレッド」だったり「チャイ・ティー」だったり、名前に「これはブレッド」「これはティー」と説明が入ってたり。

そうしなきゃ知らない人は何のこっちゃと思うから、優しい心遣いですけれど。

 

 

Cultural Appropriationと外国の食べ物

そう言うわけで、私は植民地支配者がつけた総称でインド亜大陸および周辺の料理を「カリー」呼ばわりすることに抵抗を感じるようになりました。

 

インド出身の知り合いは別に気にしていないようですけど。

 

でもなんとなくやっぱりカリーって言いたくない私がいます。

 

Cultural Appropriationと言う概念がありますが、これは、外国文化、性別、社会階層、などなど、自分が属するグループとは別のグループの「文化」を自分の解釈で自分流に再現したり語ったりすることを指す、、、と言う説明でいいと思います。

 

これ、欧米では数年前にかなり問題視され始めました。

 

例えば、黒人じゃないのにドレッドロックにしてる、とか、有名な歌手が日本の着物と中国のチャイナドレスが混ざったような、東アジアの服飾文化を混ぜこぜに理解(誤解)して「どうでもいいや、可愛いから」と言う感じのコスチュームを着て舞台に上がったり、ジェイミー・オリヴァーが西アフリカの料理のレシピを「こうするともっと美味しい」と「改善」したレシピをネット上で発表して炎上したとか、そう言う話がいくつもあります。

 

ずいぶん昔、トム&ジェリーと言う猫とネズミのドタバタコメディのアニメーションがありましたが、あの中でも確かネズミのジェリーが柔道だか空手だかの胴着を着て登場したら、中国っぽいドラのジャーン、と言う音が響いて、「おお、またしても中国と日本が混ぜこぜ」と言うのがあったのを覚えています。

 

結構ありますよね。

 

植民地支配をし続けてきた欧米の先進国の人々が、欧米白人文化圏以外の事柄や物を、無神経に自分流に使う(オリジナルの文化圏の正統性を無視し、侮辱する)と言う力関係というか加害者・被害者の関係が背景にあります。

 

ただジェイミー・オリヴァーの西アフリカのレシピに対する怒りなど見ていると、気持ちはわかるんだけどさ、でもその怒り、ちょっと違うんじゃない?という気持ちになります。

 

だって、怒ってる西アフリカ出身者やその子孫たち(欧米で生まれて欧米人として生きてる人たち)だって、多分きっと、欧米化された嘘くさい寿司を食べて喜んだことあるでしょ?

他文化圏のものを試して見るという「特権」は今では欧米白人だけに限られたことではなくて、世界中で享受されていること。

 

よその文化のことはよくわからないんですよ、誰だって。

 

勘違いや思い違いはよくあること。

素敵!と思って真似してて、でもちょっとズレてて変、てのはよくあること。

 

 

日本だって負けてません。

 

明太子パスタとか、イタリアのマンマが見たら卒倒しそうなものもありますし、夫を連れて日本に帰省した折に「北米の田舎町にありそうなプロテスタントの小さな教会の建物そのもの」が実はお土産やさんだった、というのを見て衝撃を受けた記憶があります。

他にも「プチ(フランス語語源)プラ(英語語源)」とか「豚肉やら牛肉入りのカレー」とか、外来語や小物から食べ物までたくさんCultural Appropirationしています。

 

 

だから私は日本の寿司が天ぷらになっても、ガーデンセンターに仏像の頭(のレプリカ)が並んでいても、ナイロン製の安っぽいペラペラのkimonoをバスローブにしてる人を見ても、「そういうのあるよね、変だけど」としか思えません。

 

自分が「他人の文化を無神経に解釈」するのは避けたい、とは思いますが。

 

 

あることを除いたら。

 

 

 

 

それは、食べ物。

 

食べ物だけはすみません、すみません、どうしても真似したくなりますから、許してください。

 

だって美味しいですから。

 

日本人だから日本食しか作っちゃダメ、なんていうのがモラルとして押し付けられる世界じゃなくてよかった。

北米に住んでるんだから、北米の食べ物だけ食べていろ、なんていう時代じゃなくてよかった。

 

というわけで、韓国、インド、スリランカ、レバノン、イラン、北アフリカ諸国、タイ、ベトナム、中国、、、好き放題真似してます。

でもでも、自分はたかだか真似っこだ、というのは自覚してますからね。

本物が登場したら速攻で謙虚に学ばせていただく体勢をとります。

だって学ばせていただいたら真似っこレパートリーの質が向上しますし。

 

 

買ってきたハーブから鉢植えを始める

そんなわけで、カレーリーフが切れたので新しい束を買ってきたのですが、ふと「これ、自分で育てられないかしら」と。

 

スーパーで買ってきたカリーリーフ、枝がまだフレッシュだったから「これ、土に刺しといたら根っこが出てきたりしない?」と。

 

ちょっとググったらこんなビデオもありました。

ということで、食用にする分は小枝ごとに分けて冷凍庫へ。

 

 

先っぽの方の若い枝は水につけておいて、上のビデオを見てから成長ホルモンを根元にまぶして土に植えてみましたよ。 

どうなるでしょうか。

 

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日中の気温が涼しくなってきてるので、ダメかもしれません、、、どうなることやら!


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動物性食品vs植物性食品ではないという話

動物性食品vs植物性食品ではない

ずいぶん前に書いた記事にコメントをいただきました。

動物の営みを壊すのはダメで植物の営みを壊すのは良いという理由が知りたい」と。

 

似たようなもので「動物を殺すのはダメなのに植物は殺しても良いのか」みたいな疑問も時々聞かれるようですが、実際に自分に問われたことがなかったのでそれについてこのブログで触れたことはなかったと思います。

 

コメントのお返事を書いた後でもうちょっと私の考えをきちんと伝えるべきだったかな、と思い直しまして、ここに記事を書きます。

「通りすがり」さん、もう通りすがって遠くへ行っておしまいかもしれませんけれど。

 

 

現代、都市部に住んでいて食べ物をスーパーやファーマーズマーケットで買ってくる我々にとって、お金を出して買うこれらの食品は「商品」として大掛かりな生産、加工、輸送、保存、販売、という経済活動を経てやってくるものです。

 

その過程では森林伐採とか、労働者搾取とか、環境汚染とか、プラスティックゴミとか、地球環境を破壊する道まっしぐら問題を巻き起こします。

 

ヴィーガンだから植物性食品を食べていますが、それだって地球環境にダメージを与えずに生産・加工・輸送・保存・販売、、、されることはあり得ません。

 

だからまずここで、「植物性食品なら無罪だ」と思っているわけではないことを認識していただきたい。

 

では「植物性食品も有罪ならなぜ動物性だけを避けるのか」というのがコメントをくださった方が疑問に感じている点かなと思います。

 

動物性食品生産のために犠牲になるもの

牛肉生産を例にすれば、環境に関わるだけでも以下のような問題があります。

 

  • 牛の飼育に必要とされる土地の面積
  • 餌になる作物生産に必要な土地の面積
  • 餌になる作物生産に必要な水資源
  • 餌になる作物生産に必要な農薬
  • 屠殺場・商品加工工場で搾取される労働者 
  • 汚水処理
  • 排出されるメタンガス(牛のゲップっていう話ですね)

 

アマゾンの熱帯雨林破壊が問題になっていますが、これは広大な森林を平たい土地にしてしまって、牛の飼料である大豆のプランテーションにしたり、牛の飼育をしたり、加工肉の輸送のための道路を造ったりするため。

地球上の多くの人たちが、安く大量にステーキやハンバーガーを食べられる生活を「当たり前」にしていられるのは、広範囲で大規模な畜産業が存在することが前提です。

 

北米にはそう言った「ファクトリーファーム」の大規模畜産業があちこちに存在します。

多分日本にもありますよね。

 

世界的に牛肉の消費量は年々拡大していますが、これは自然な増加というよりは畜産業、食糧生産業界が市場の拡大を図りつつ、生産量の拡大に務め続けてきた成果だと言えます。

 

資本主義経済では生産活動は拡大し、市場も拡大し、利益を追求するのが「善」ですから、この仕組みに携わっている人たちは日々努力して一生懸命に「売り上げ目標」「生産量拡大」を達成してきたわけですけれども、このままでは地球環境が破壊されてしまいます。

人口増加も畜産業の市場拡大も、このペースで進んだら地球はもう支えきれないということが、環境問題としてあちこちで明らかになっています。

 

 

牛だけではなくて、豚肉の生産にも鶏肉の生産にも、詳細は若干違えど同様の問題はあります。 

 

畜産に関わる問題の規模とは格段に違うけれども、野菜や果物、ナッツ類の生産、加工、などなどの過程にも問題はあります。

けれど、畜産というプロセスには「餌になる農産物の生産」も含まれ「広大な敷地を確保するための森林破壊」という問題も含まれているので、「動物性食品vs植物性食品」とは区別できないわけです。

 

マグロよりイワシを食べるべし

子供の頃、祖父が言いました。

海洋汚染か何かで、ある種の魚が汚染されて食用には危険だとか、そんな報道がされた時だったと思います。

 

大きな魚は小さな魚を餌とする。

その小さな魚はそれよりもっと小さな魚を食べている。

 

海の食物連鎖の頂点にいる大きな魚には有毒物質が濃縮されている。

 

ならマグロみたいな大きな魚じゃなくて、イワシみたいな小さなのを食べてる方が濃縮度が少なくて安心だし、だいたいマグロ一匹の値段に比べたらイワシの方が安価である。

イワシだって美味しい(嫌いな人はいますけど)んだから、その方が良い。

 

 

祖父に限らずそう考える人は少なからず存在すると思います。

 

 

破壊的な資本主義活動に参加するのを控えてみる 

動物性食品をやめて、植物性食品だけにしておこうという判断は、動物の餌を飼育するために必要な土地、資源、労力などを、人間に食べさせる食料を生産する方に回した方が多くの人たちに食べ物を回せる、という発想でもあります。

 

でも肉をすっかり辞めてしまうことはできない、という人がいるのも理解できます。

そういう人たちの中には「牛肉だけやめる」「牛肉も食べるけど、頻度を落とす」などとできることから始めている人たちもいます。

 

その努力はヴィーガンになることと同じくらいインパクトが大きいと私は思います。

 

だって完璧に動物性食品を絶って今後の人生を生きていくことができる人の数ってやっぱり限りがありますから、それよりはなるべく食べないようにする人たちが増えることの方が現実的です。

何度も書いてますけど、ヴィーガンになる人が1人増えるより、肉食を半分に減らす人が十人増える方が地球へのインパクトは大きいと考えています。

だから「肉を辞めないあなた」を批判する意味はないと思っています。

 

他人の食事を批判するほど無意味なことはないですし。

 

批判の対象は 無制限に乱開発したり搾取したりする大企業と食品産業に牛耳られている政治家であるべき。

批判の目的は問題を解決すること。

だから批判をし続けても効果がないなら 別の手段を選ぶことも必要。

だからネットで人々がヴィーガンレシピをシェアしたり、有名人がヴィーガンだと知って影響された人がヴィーガンに転向して盛り上がってるのも良いこっちゃと思います。

 

そして、動物性食品を食べなくなってしばらくすると、なんというか元々の動機(環境問題)以外にも、動物への慈悲の気持ちがむくむくと膨らんでくるのを感じます。

植物にも、同胞である世界中の人間にも感じます。

 

 

ラブ&ピース


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コーンブロス、野菜クズ出汁

先日のコーン尽しで書き尽くしていなかったこと

大量に買い込んだ生鮮食品、無事に食べ終えるとほっとしますね。

ならそんなに一気に大量に買わなきゃいいんですけれどね。 

casse-pied.hatenablog.com

コーンバター(ジャムじゃないですよ〜。砂糖など一切入れてません。)のことばかり書いていて、コーンブロスのこと、書きそびれてました。

 

この記事で写真でお見せしたコーンの芯と皮を冷凍したものは、基本的に茹でてコーン出汁にするものです。

 

普段はトウモロコシを茹でた茹で汁を捨てずに、そこに芯、皮、ひげ、など食べない部分をドカドカっと追加してやって沸かし、沸いた後は火を弱めてグツグツと、三十分から一時間くらい煮てコーンの味と風味を絞り出します。

 

この日はまだ冷蔵庫に前回のコーンブロスの瓶があったので、これを使い終わるまで新たに出汁をとりたくなかったため、冷凍にしました。

茹で汁を捨てちゃうのがもったいないと思いましたが仕方ない。

 

うちの冷凍庫にはよく

パセリの茎

ブロッコリの茎の皮(茎は皮を厚めに剥いたら芯の部分は生でもカリカリっと食べられるくらい柔らかいので捨てません)

カリーリーフの葉っぱと小枝

ポロネギの外側や根っこの部分、緑色の硬い部分

青ネギの根っこや緑の硬い部分

その他野菜の皮や先っぽ、根っこ部分

 

などが入っています。

あえて常備しているのではなくて、例えばこれからの季節は旬のポロネギが安く大きな束で出回るので、買い込んで洗って処理し、その日食べる分と数日後に食べる分、冷凍してちょっと先に回す分とに分けるのですが、この時に出る根っこや外側や緑色の硬い部分などは数回分に分けて冷凍しておきます。

こんな感じで溜まっていく冷凍クズ野菜はブロスを作りたい時に出してきて色々混ぜて使います。

 

パセリや青ネギなど緑色の香りの強いものも、口に直接入れる部分でない先っぽや茎の部分は冷凍しておいて何かと重宝に使います。

 

そのままコンポストに入れて昆虫やバクテリアに食べてもらってもいいですが、その前にもう一息私たちも楽しませてもらおうと言う、まあ欲張りな発想。

 

 

野菜クズを出汁にする時に気をつけていること

オーガニックでない野菜の場合は残留農薬が気にならないものだけを使うようにしています。

普段よく使っている野菜は皮も根っこも食べられる、とわかっていますが、初めて手を出す野菜の場合は一度ググって根っこも葉っぱも有毒ではないかどうか調べてみます。

 

芋の皮とスイートベルペッパーの種は捨ててます。

考えてみたらズッキーニやナスの皮や付け根のところ(再び名称を知らず)も出汁に使うことはありません。

ナスもズッキーニも基本的に皮も食べてますからね。

 

 

先日のコーンブロスはどう使ったか

今回のコーンブロスは別のスープに化けました。

ヴィーガンバターを塗ったトーストと緑色のヴィーガンピースープとスプーン

トーストとピースープ

ピースープです。

ピースープも甘い系列ですが、コーンの甘み凝縮が上級編だとすると、こちらは初級編くらいでしょうか。

あ、でもこれはスプリットピー(乾物)なので、生のグリーンピーだと甘みが強いからやっぱり苦手かもしれません。

 

 

別の日にはコーンブロスでご飯を炊いたり、味噌汁の出汁にしたり、昆布だしの残りと合わせてオートミールがゆを作ったり。

 

面倒くさいのでいつも冷蔵保存にするのですが、ガラス瓶に入れてから熱湯を沸かした鍋に入れて殺菌、密閉保存するカニング処理をすれば冷蔵も冷凍もしないで地下室にでも置いておけます。

今は夏の間に栽培した野菜の収穫の時期。

大量に収穫した野菜や果物を煮込んだりソースにしたものをカニングする人が多いので、ハードウェアストアなどにメイソンジャーとアルミ製の蓋がどーんと並びます。

うちはそこまで収穫がないので、とった野菜は数日中にお腹の中へ。 

 

 

食べ物が美味しい秋ですね。


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見せる補修、visible mending と刺し子の世界

Visible Mending World発見

 ゴミ減らしのために思いついた穴あきジーンズの補修について以前書きました。

casse-pied.hatenablog.com

 

あれをする前にチョコチョコとネットでアイデアを探していてあれこれ見つけたのが、

 

www.diynetwork.com

www.vox.com

#visiblemending

#sashiko 

 

刺し子っぽい格子っぽい(でも刺し子よりも荒っぽい)スティッチでジーンズの穴に当て布をして縫ってある写真がバンバン出てきましたが、皆さんそれぞれに刺し子に影響されているっぽい。

 

そしてハッシュタグに#sashikoの文字が

 

刺し子とBoro 日本の昔とジーンズの融合

刺し子そのものをやったことはないのですが、刺し子って私が子供の頃から何度か流行りの波が押し寄せては去り。

昔の「これちょっとおばあちゃんぽくてきついな」と言う印象の「藍色の着物に白い幾何学連続模様が斜めにシャーっと施されている!」感じのデザイン(この説明で理解してもらえるでしょうか)のものではなくて、白い晒しの布全体に小さく細かく色とりどりの糸で小さなスティッチを施した、なんだか可愛いものがネット上でたくさん見受けられます。

 

あれー、刺し子ってこんなにカラフルだったんだ。

 

そういえばスマイルごまさんのブログでも色とりどりの刺し子の布巾を干していらっしゃった写真をお見かけしたっけ。

 

 

もちろん昔ながらの藍染の着物の生地とか、もっと昔のボロボロになった半纏に補修しつつ強度をつけたような物とか、そんな写真もネット上にはちゃんと出てきます。

 

ボロの着物はBoroとか言ってニューヨークのギャラリーなどでアンティークっぽい感じで売買されてたりするようですよ。

 

google image検索でキーワードboroでヒットする画像一覧

Boroのキーワードでイメージ検索で出てきたもの

多分ニューヨークだけではないでしょうけれど、見つけたのはNYのギャラリーのインスタグラム。

民藝学者でもなければそんな物買ってどうするんだろう、と思うんですが、壁に飾るのかな?

 

 

ジーンズの穴あきの修繕ですから、色も目的も昔のボロ着を補修するのと似てるわけで、日本の庶民の着物の伝統などよくわからなくても「これ使える!」と日本の外に広まっているのも納得です。

 

参考にする私としても、穴の開いたジーンズやセーターや靴下に色とりどりの糸で結構勢いよく派手にデザインを加えつつ当て布を縫い付けてる方達のvisible mending(ヴィジブル・メンディング)ブログなどは参考になるので、何人かのブログをじっくり拝見しました。

 

 

持っているものを末長く使いたいと言う気持ち

穴あきジーンズを補修する動機、私は「古着のゴミを出したくないし、新品は木綿の栽培・処理・染色などの過程で環境汚染につながるあらゆる化学薬品が使用されるし、買い物すればプラスティックゴミがあちこちで発生する、これら全てを避けたい」

そして「このよれよれっとした着込んだ服が着心地良い」新品にはないフィット感が捨てがたい。

 

 

ヴィジブル・メンディングのブログやインスタグラムを拝見してると、大概の方が同じ発想でこの行為に行きついているようです。

 

おおおお、先人がこんなところにもたくさん。

 

使ってる技術は私の出身国、日本の伝統民藝から大いにインスパイアされたものですし、ものを大事に、長く使おうと言う発想も刺し子のあり方と共鳴しますよね。

 

 

古くなった衣料を捨てることに抵抗を感じながらも、

 

でも破れてしまったんだからしようがない

もうよれよれでみっともないから捨てるべき

 

と思い込んでずっとそうしてきた人たちが大多数だと思うんですが(私のことですが。)

 

 

こう言う補修して使い続ける、と言うの、もっと早くに始めていたらよかったなあ、と思いつつ、まあしょうがない、今からでも遅くないかな、と。

 

 

英語圏のブログで見かけるスティッチの荒っぽさや単調さをみていると、やっぱり刺し子そのもののスティッチのアイデアを参考にするには日本の刺し子ブログやインスタグラムの方が良さそう、、と、そちらも目が離せず。

 

日本の花布巾を拝見すると、色とりどりで華やかです。

こんな細かいすごいことは真似できそうにないけれど。

 

 

いずれにせよ今まで知らなかった世界が目の前に広がった気分ですよ。

背中に一部破れのあるデニムシャツ、格子柄のシャツ、ポケットの下が破れたジーンズ

破れるまで着込んだ服たち、捨ててなくてよかったー

 

次なるvisible mendingプロジェクト

さて現在手元には、

  • カットオフジーンズ、一枚
  • 長いままのジーンズ、一枚
  • 背中に何か引っ掛けて開けたような小さめな穴つきの夫の半袖のシャツ、一枚
  • 着込んで薄くなってきていた肩のぶぶんがとうとうビリっと裂けたデニムのシャツ、一枚

 

夫のシャツは麻なので手持ちの針と糸でもなんとかなりますが、他はジーンズなので、やっぱり編み物のとじ針では先が丸っこすぎて、縫ってるうちに手が痛くなりますので、刺し子針を買ってみようと思うに至りました。

 

ゴミを出さないために修繕するのに、わざわざ道具を買うだなんて、、とちょっと悩みましたが、いくつも修繕して長く着続けることができるなら、、そして、やっぱり無理して神経痛とかなんとか体を痛めることになってはいけない、と思いまして、日本から針を通販で買うことに決心しましたよ。

 

針そのものはそれほど重い物ではありませんし、モントリオールの手芸店で手に入るものにはかなり限りがあるので、ついでに刺し子用の色とりどりの糸もいくつか買うことにしました。

 

あ、ついでに指ぬきも!

 

と、結構ずるずると買うものが増えましたが、全てまとめても多分300グラムくらいだし、それほど罪深くはあるまい、と罪悪感を宥めつつ。

 

 

 

 

願わくば、買った針や糸でたくさんの手持ちの洋服を補修して末長く使い続けられますように。


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コーンバター、コーンブロス、コーン尽し

先週田舎の農家のスタンドで買ってきたコーンは、九本は茹でて食べました。

美味しかったー。

また買いに行こうかな。

空の皿とコーンバターがついたバターナイフ

勢いつけて食べ終わり

 

茹でた水にはコーンの芯を戻し、冷凍しておいたパセリの茎とかハーブ類を一緒に入れて出汁を取りましたよ。

 

たっぷり取れた出汁、この大量の出汁を冷蔵庫に入れておくスペースはないので、早速その日のご飯を炊く時に使いました。

 

ご飯は別にコーンを入れたとうもろこしご飯というわけではなかったんですが、炊き上がったご飯はとうもろこし風味。

 

あとは、お好み焼きの粉を溶く時に使い、味噌汁に使い、、、。

 

コーンブレッドとかポレンタを作るときにも使えます。

コーンブレッド焼くならチリを煮込みたいですので、これはお預け。

 

今朝はオートミールを作るときにコーンブロスで作ってみました。

私のオートミールはオジヤ風なので、普段は昆布出汁で。

今日はコーンブロスとわかめと塩しひとつまみにロールドオーツを振り入れ、加熱したら食べる前に醤油ちょっとと炒りごまを大匙半分くらいふりかけました。

おいしうございました。。

 

 

買ったのは1ダースですから本来は十二本なはずですが、買ったところの農家の人々、ちょっと小ぶりなのが混ざっていたせいか、二本おまけにつけてくれました。

 

大ぶりな方から鮮度の良いうちに茹でて食べたので、残った小さなコーンは別の食べ方で、、とレシピを探して見つけたのがコーンバターです。

 

 

コーンバターに挑戦

コーンの糖分を利用した、なんというか、煮詰めたペーストです。

アップルバターやメープルバター同様、見かけとテクスチャーがバターに似てるだけで脂分もないしバターも混ざっていません。

 

早速挑戦してみましたよ。

food52.com

 

ボウルの中にトウモロコシの芯から包丁で切り取ったコーンの実の部分

まずはトウモロコシを芯から包丁で切り出します

 

手順は簡単ですので、たくさんトウモロコシを貰っちゃったけど、そんなにしょっちゅう食べてたら飽きてしまうわ、とか、お腹いっぱい、そんなに食べられないわ、と言う場面で使えそうかな、と思いました。

 

フードブロセッサーで液状になるまで粉砕された生のコーンの実

ガガーっと


目の詰まった網で濾して、汁の部分を鍋で煮詰めます。

まるでカスタードクリームを煮詰めるような感じで。

 

丸いクラッカー二枚にコーンバターを塗って皿にのせた図

パンの在庫がなかったのでクラッカーにつけて

 

が、私にはちょっと甘すぎました〜。

砂糖も塩も何も入れず、中身はコーンだけなのですが、甘さが凝縮していて、夫は喜んでましたが私は味見だけでもう結構。

 

何も入れなくても十分美味しいけれど、塩を入れたりバターを入れたりしても良い、とレシピにはありますが、塩を入れるのは大事かな、と思います。

そうでないとコーンの甘みばっかりがすごいです。

 

ジュースをとって濾した後のコーンのパルプを小瓶に入れたものと、コーンの芯と皮

コーンおからとブロスを作るための芯&皮は冷凍庫へ


 

コーンのパルプはおからみたいな感じですが、甘みがきっとたっぷり残ってるだろうし、卯の花みたいなことには使いにくそう。

どうやって使おうか考える間、冷凍しておきます。

 

 

お茶にすると美味しいと噂の「ひげ」は別にとってあって、着々と乾燥度合いが進んでおります。


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