食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

ついに作った、ヴィーガン・PHO

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タイバジルとコリアンダーリーフ、乗せすぎ?
Pho大好き

大好きなんです、Phoが。

 

好きな食べ物は星の数ほどあるので、「また言ってる」と言われるほどよく言ってるセリフなのですが、本当に美味しいですよね、Pho。

 

 

ヴィーガンになる前は、中華街周辺やCôte-des-Neigesあたりの美味しい店に行ってPhoをいただくのが至福のひとときでした。

 

その昔インターンシップをした病院がCôte-des-Neigesにあったので、昼食を食べにしょっちゅう通いました。

 

 

ヴィーガンになったら食べられなくなるから、ちょっと寂しいなあ、と感じた数少ない食品の一つがPho。

 

 

上に乗ってる生肉はどうでも良いんですよ。

「フィッシュボール」も、入れてくれなくて良いのに、と思っておりました。

肉の半分は夫にあげてスープを楽しみ、麺とハーブともやしだけ楽しく咀嚼してました。(夫にもフィッシュボールはいらないと言われましたが)

 

日本出身者で、特に肉が大好きというわけでもない人の場合は、肉の役割はどちらかというと「旨味」「出汁」という感じではないか、と思うのです。

Phoの美味しさも、出汁ですよね。

 

 

以前は中華街に自転車で10分もあれば行けるようなところに住んでいたので、自分で作ろうなんて思わず、食べたい時にフラッと。

当時は一食5ドルもしなかったし。

 

最近はいくらくらいなんでしょうね。

ヴィーガンになる前に最後に食べた時、多分7ドルくらいだったような覚えがあります。

チップを入れて、10ドル札を一枚置いていく、てな感じで。

 

 

急に「Phoが食べたい!」と思った時は、適当に澄まし汁的なものを作って、ライムがなければお酢をたらっと一たらしして、もやしとか葉っぱを入れて「偽Pho」その名も、Faux Pho(フランス語で偽物、という意味の言葉とPhoの音が似ているので)を作っては食べ。

 

 

ラーメンよりも優しいスープで、満足感はあれど胸焼けとか胃もたれとは無縁。

 

 

たまに本当のPho(でもヴィーガン)が食べたい、と思っていましたが、昔ネットで見つけたレシピがかなり面倒くさそうで、やっぱり素人には無理なのか?と思っておりました。

 

あと、インスタントの「Phoスープストック」みたいなのがアジア系の店のレジ脇に陳列してあったりして、「やっぱり本当のPhoは難しいから、一般家庭の人は化学調味料に頼っているのかしら」と思い込んでおりました。

 

 

そんな折、ヴェトナム系ヴィーガンのリサさんのユーチューブ・ビデオを見つけまして、早速作ってみましたよ。

 

 

(注)リサさんのビデオを幾つか拝見しましたが、彼女のお気に入りのマッシュルームパウダーというの、このブランドのもの、MSGこそ入っていませんが別の化学調味料が入っていて、化学調味料風味がかなりキツイです。

化学調味料入りの加工食品を食べ慣れていないと、結構キツイですのでご注意ください。

 

マッシュルームの旨味が欲しい場合はマッシュルームを使うのが一番。

 

 

ヴィーガンであろうとなかろうと、Pho の出汁には焦した大根が入ります。

 

以前は日本食の食材を見つけること自体かなり大変だったので「えええ?大根を焦がす???そんな勿体ないこと、できません!」と。

 

 

今や、大根が欲しければあそこの中華スーパーあちらの韓国スーパー、と北米でも手軽に手に入るようになりましたので、今回ドーンと細めの大根一本を全部使って、フライパンで焦して出汁を取りましたよ!

 

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黒焦げ大根、玉ねぎ、生姜

これが不思議なことに、フライパン(油はしきません)で黒焦げになるようにジリジリ焼いていると、ものすごく美味しそうなアロマが漂い始めたのです。

 

二階で仕事をしていた夫が降りてきて「ちょっとこれは言っとかないと」と言い出すので、何か問題が?と思ったら「芳しいアロマが家中を漂っていて、これから作られる夕ご飯はきっとものすごく美味しいに違いないと確信してる」と。

 

黒焦げの野菜以外にも、油少々で炒めたキノコ数種類も加えて出汁を取りますので、きっとまずくはあるまい。

本当に、だいこん、玉ねぎ、生姜、たったそれだけでこんなにも美味しそうな香りがするとは、正直驚きました。

料理って食べるのも美味しくて嬉しいですけれど、作るプロセスでこう言うボーナスがあるから楽しいですね。 

 

 

Pho の起源

起源と言うと大袈裟ですが、以前フランスの占領下だったヴェトナムには、フランスの食文化の影響が少なからず残っています。

 

で、Phoと言うのは、実は日本でも皆さんよく作っていらっしゃる「ポトフ」Pot au Feuが現地でヴェトナム風にアレンジされたものなんだそうです。

そうか、Feuの部分がヴェト風発音になって、Phoになったと言うことなんですねえ。

 

そう考えるとちょっとハードルが下がります。

そしてヴェトナムではこれ、朝食アイテムなんだそうです。

ヴェトナムの方々も自分で作るんじゃなくて、Phoを売り歩くおばさんから買って食べてるみたいですけど。

 

うちは夕飯に美味しくいただきました。

美味しかったのでまた作って食べましょう。 

 

 

そんなに手間もかからないし、大根の黒焦げはあとで焦げを落として食べられます。


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さよなら紅葉、ブローワー禁止にして欲しい。

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お昼休みはなるべく外で。この日は気温一度でしたけど、頑張る。
今年の紅葉

「今年は早いらしい」とどこかで聞いたのを鵜呑みにして急いで車で1時間ちょっとかかる国境近くの紅葉スポットまで出かけて緑の木々を見てガッカリしたのが9月半ばすぎ。

 

その後、10月に入るやモントリオールがレッドアラートに引き上げられ、その結果レッドゾーンの外へ紅葉狩りやりんご狩りなんていう娯楽目的で出かけることが規制対象になり、「今年は素敵な紅葉を逃した!」とガッカリ。

 

ダメなものはしょうがない、田舎へ行かなくても家の近所の並木道が少しずつ紅葉していくのを眺めながら「うちの近所でも素敵な紅葉はチョコチョコ見られるよね」と週末ごとに近場の(ゾーン内の)公園へ出かけ、同じ発想で公園に繰り出す人出の多さにちょっと驚きました。

これが10月中旬。

 

 

身近な紅葉に今更気がつく

私の通勤ルートは、自宅から職場到着までの間に街路樹が茂った住宅地を二つ通り抜けます。

帰宅時は夕方の光に向かっていく感じで、住宅地を抜ける時に結構素敵な紅葉を目にすることができます。

 

我が家の目の前の通りも、1ブロック南から自転車でアプローチする時、夕陽に当たっている部分が赤く燃えるようで案外素敵なんですよ。

「あーこれ、きれいだから写真撮っておこうかな」と思いつつ、自宅の直ぐそばなだけに、今じゃなくても良いや、なんて思って先延ばしにしてるうちにピークを過ぎて落ち葉になっちゃいましたけど。

 

10月の下旬のある日は、カイロプラクティスの予約があったので、我が家(島の北端)からカイロのオフィスがある南の地区まで出かけましたが、普段行かない住宅地を通り抜ける間に、さらに多くの街路樹の紅葉を眺めることができました。

 

もう10月も下旬でしたから、ほとんどが前の週にはすでにピークを過ぎた、という様相でしたが、それでも綺麗なところは綺麗でした。

 

モントリオールの街の真ん中にある小さな山、マウント・ロイヤルも紅葉の時期は大勢が訪れるのですが、今年はとにかく遠出ができなかった市民がどっと押し寄せてかなりな人出だったとか。

 

山の周りに広がる住宅街のあちこちを通り抜けるだけでも結構綺麗です。

出かける時間がなくて家と職場の往復ばっかりだったとしても、私たちは結構良い景色を見て暮らしていられるんだということを忘れていました。

 

夏場は木陰で涼しさを与えてくれるし、秋には色づいて美しく目を楽しませてくれるし、街路樹ってすごい。

 

 

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公園の木も落葉。黄色と緑色が混在しているのが不思議ですが。
 
落ち葉掃除は大変

でも毎年この時期には、ジャンジャン降ってくる落ち葉の掃除に悩まされます。

私は腰痛持ちなので、10分も作業すると腰にきます。

だから申し訳ないけど、夫が作業の大半をやってくれないとどうしようもない。

 

そして、そんな状態なので「落ち葉は綺麗に掃除してしまわなくて良い」「庭の植物の周りにかき集めてあげると寒さ対策になる」「芝の上に残した落ち葉は栄養になる」などという話を聞くと大喜びで「じゃあお言葉に甘えて」落ち葉掃除を停止します。

 

でも、人はそれぞれですから、そんなこと言われても落ち葉はきっちり掃除してしまわないと気が済まない人たちも存在します。

 

そういう人たちに雇われた人たちも存在します。

 

そしてそんな人たちが使う道具、これが、リーフ・ブロウワーと呼ばれる、うるさくて迷惑なものなのですよ。

 

うちのお隣さんも使ってます。

基本的にお隣さんとは仲良しだし、良い人たちだし、文句はないのですが、ブロウワー使うのだけは、ちょっとショックでしたよ。

 

だって、本当にうるさいんです。

 

筒先から出る強風の方向を利用して、そこら中に広がってる落ち葉を一箇所に集めたら、大きな紙製のコンポスト用袋に入れて、市が回収しにくる時に庭先に出しておくのですけれど、落ち葉と一緒に細かい砂や土、ホコリなども空気中に舞い上がります。

 

庭先でブロウワー使っている人がいる区画は遠くから見るとちょっと煙っているように見えます。

それくらいホコリが舞い上がってるところを歩いて通り過ぎなければいけない場合は、本当にいやですよ。

 

  

うちのご近所さんはそれでも、作業中に自分の敷地の落ち葉をよそに吹き飛ばしたりはしませんけれど、上司とブロウワーの悪口を言っていたら、彼女のお隣さんは葉っぱを彼女の敷地に吹き上げてくるそうです。

「でもね、その葉っぱは元々はうちのメープルの木のものだから、嫌らしいと思うけど文句は言えないのよ。」

 

 

うちのお隣さんはそんな人じゃなくてよかった。

 

 

ガソリンで稼働するブロウワーは車に比べると恐ろしくなるほど燃費も公害も酷いので、ガソリン・パワーのブロウワーの使用を禁止している市町村はあるのですが、電気のものまで禁止しているところはないような。

 

騒音とホコリという点で、電力であっても迷惑なんですけれどね。

 

 

このビデオでは、この男性が得意げにリーフ・ブロウワーの「素晴らしさ」をデモンストレーションしていますが、こういうのを近所でやられたらいかに迷惑か無自覚の人が大勢存在するんだろうなあと呆れてしまいます。

私がこのビデオの趣旨に賛同しているのでは決してないことを明記しておきます。

 

 

電力のブロウワーは安いのでさらに普及中。


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時間に追われる感覚と冬を楽しむ支度 

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ある日の手抜き夕飯は、冷凍うどんで野菜炒めうどん
 
もう10月も終わります

 

確実に寒さが増し、暗闇が夕方に侵入し、冬の気配が濃くなるこの時期。

 

モントリオールではハロウィーンが過ぎたら冬が始まる、季節の変わり目の時期でもあります。

 

 

今年はデイライト・セーヴィング・タイムが終わるのがちょっと早くて11月1日にはすでに時計を一時間遅らせるので、夕方暗くなる時間が一気に一時間早まります。

 

これ、本当に人々の心に暗い影を落とすんですよ。

 

春には夕方の明るさがグッと一時間伸びるんだから良いじゃないと思いがちですが、実際はいきなり一時間早く起きなければいけなくなるため、脳も体もそれに順応しきれなくて悲鳴を上げるのです。

 

個人的には春の一時間で体が不調になることは今のところありませんが、世間では多くの人々が体調やメンタルヘルスに不調をきたします。

 

冬は一気に暗くなるため、影響を受けない人はいないんじゃないかと思います。

 

 

今年は長引くCOVIDのパンデミックのおかげで、みんな精神的に疲弊していますから、時計を一時間遅らせたあとの影響もちょっと心配です。

 

 

 

暗くなると1日が短く感じる

毎年、デイライト・セーヴィング・タイムが終わるころ、仕事を終えて帰宅する頃にはとっぷり暗くなるため、自転車通勤をやめてメトロ通勤に切り替えます。

 

自転車だと20分、メトロで30分の通勤時間は、メトロの場合、停止や遅延がチョコチョコあったり、なんだかんだと時間を奪われる感覚に。

 

そして、夕方6時前でもとっぷりと真っ暗になるから、やっぱりなんだか夜中に帰宅するような気分になるため、二十四時間あるはずの1日が短く感じられます。

 

今年はメトロは避けたいため、自転車通勤が無理になったら歩こうと思っております。

自転車片道20分の通勤路、徒歩だと55分です。

歩く距離としてはちょうど良いですね。

 

ただ、1日二時間近く歩くことに費やされますから、帰宅後夕飯の支度をすぐに開始せねばならなくなるのか、、、やれやれ、、、と、やはり時間に追われる感覚がむくむくと。

 

 

なんだろう、大変後ろ向きな精神状態ですね。

 

  

暗い冬を存分に堪能する姿勢を

一月ほど前、スカンディナビア半島の国々に住む人々がどうやって暗く長い冬を乗り切っているのか、という記事を見かけました。

 

北極圏に近くなればなるほど冬の日照時間は極端に少なく、、いやむしろ太陽が地平線の上に登ることのない日々が続くような、そんなところに暮らしている人たちの生活の知恵というか、生存のための知恵というか。

 

それはやっぱり、どんなに暗くて寒くても、冬だからこそできる冬のアクティビティを楽しむ、というもの。

 

そういえば去年の10月初頭にノルウェーに行った際、夕食を取りにレストランの入り口を入った私と同行者にウェイターさんは「テラス席にしますか?それとも室内の席にしますか?」と聞いたのでした。

 

その時の屋外の気温は多分五度前後で、すでに太陽は沈んで暗い時間帯。

 

「わざわざそんな条件下でテラスに座りたい人がいる?」と思いつつ室内席に案内していただきましたが、そのお店にいたお客さんたち、我々以外は皆さんテラス席で食事してグラスを傾けお友達と歓談していました。

 

記事によると、ノルウェーの人々の「冬の暗さ、寒さ」を「つらさ、不快さ」と結びつけないで「冬は夏とは別物で、それはそれで楽しいよね」と捉える視点というか感覚というか、それは緯度が比較的低いオスロよりも北極圏に近づくほど濃厚になるのだとか。

 

私たちが閑散とした室内席(=こんな冷える中、テラスで食事して楽しんでる勇者たちの存在)を体験したのはオスロなんですけれど。

 

もっと北へ行ったら、テラス席どころじゃなくて皆野外でピクニックしてるのかも?

 

冬を楽しむ心の準備

12月後半のクリスマスまで、どんどん暗闇が深まり、日光を浴びる時間が減っていく下降する時期ですが、時間がない、暗闇に追われる、という感覚に陥らず、この時期ならではな楽しみを思い出して冬を楽しもうと思います。

 

冬の楽しみといえば、クロスカントリースキー、雪がつもりたてで真っ白な朝の風景、雪がしんしんと降っている時の静けさ、森の中の雪の上に残された動物の足跡、クリスマスの後、日照時間が日に日に長くなっていくのが感じられる頃の嬉しさ。

冬の星空も空気が澄んでいるから見応えがあります。今年はもうちょっと注意してみよう。

雪に閉ざされて家の中に篭っていると気持ちが晴れませんから、できるだけ外に出るように気をつけよう。

 

冬の外出用のマスクを作ってみるのも良いかも。

 

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冒頭の焼うどんはコンフォートフードで心あったまる味噌汁付きで。

 

 

写真は先日の夕飯ですが、今夜は鍋にしてみました。


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シーダーの湯と、セージ&シーダーオイル石鹸

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今回初めて型として使ったプラスティック容器。すんなり型だしできそうにない、、、
 
庭の垣根はシーダー

モントリオールによくある家の周りを囲む生垣の多くはCeder Hedges、シーダー・ヘッジズです。

我が家もご多分に漏れず、シーダーヘッジズ。

Cederと英語で書いてグーグルで和訳すると、杉という言葉が出てきます。

が、シーダーヘッジズのシーダーは杉ではなく、「コニファー」の一種。

 

casse-pied.hatenablog.com

 

去年はお隣さんに教わって、生垣の選定をしたあとのシーダーを湯がいてお風呂に入れて楽しむと言うことを始めました。

 

本当に良い香りです。

 

今年はこのシーダーとセージの香りを石鹸に使ってみようかと挑戦してみました。

 

 

何ヶ月か前にセージ茶を使って石鹸を作ったのですが、出来上がった石鹸からはセージの香りも何もしない残念な結果になりました。

 

水に香りをうつしても、苛性ソーダとオイルと混ざることで香りが負けてしまうのかな?

 

植物の香りを抽出するにはどうすれば良いのかな、とググってみましたら、蒸留する方法と、オイルに浸けて香りをオイルに移す方法が見つかりました。

 

石鹸にはオイルを使いますから、香りをオイルに移す方法はちょうど良い。

 

化学反応を経てもその香りが残っていてくれるかどうかは定かではありませんが、浸けておくだけで良いと言うのなら物は試しにと、無味無臭のキャノーラ・オイルにセージとシーダーの葉っぱをたっぷり浸して1週間ちょっと置いておきました。

 

そして早速石鹸作り。

 

ガラス瓶にシーダーとセージの葉っぱを詰め込んで、そこに無味無臭のキャノーラ油を注いだものは、葉っぱを茶こしで濾して重量を測ってみたら425グラム でした。

 

手間をかけて作る石鹸ですから、私はいつも油脂を1キロくらい使って作ります。

1キロにすると計算も単純なので間違えにくいし。

 

と言うことで、425グラムのキャノーラオイルにはココナッツオイルやシアバターなどを追加して1キロに。

 

考えてみたら425グラムって1キロの半分以下ですよねえ。

そのせいか、苛性ソーダ水と合わせて型入れする頃には、シーダーの香りなんか全然感じませんでした。

香りに鼻が慣れてしまったせい、、、だったら良いのですが。

 

シーダー&セージ浸けキャノーラだけの段階では緑色だったものが、別のオイルを加えたせいでしょうけれど、色もなんてことないアイボリーっぽい色です。

 

むむむ。

今度はココナッツオイルなど別の油脂にもシーダーとセージの葉っぱを混ぜ込んでおくべきか。

 

 

明日か明後日、型から出して切り分けたら地下に一ヶ月ほど置いておいたら使用できます。

 

 

 

 

 市販されてる「ナチュラル」な香り付き石鹸ってどうやって作ってるのか。エッセンシャルオイル添加かな。


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パンデミックと社会習慣 

 

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私のマスクコレクション。他に3枚洗って干しているのがあり。
 
マスクとハグ、触れ合えないストレス 

先日クライアントのケベコワ男性とズームミーティングの前に雑談していた折に、自宅にいるのでマスクをしていない彼が、職場で複数の人たちと同じ室内空間にいてマスクをしている私を見て、「マスクを見ると悲しくてやりきれない」とこぼしました。

 

彼は重度の糖尿病などがあり、感染してしまうと重症化するリスクがとても高いため、ロックダウンが始まって以来ずっと、住んでいるアパートメントの建物から一切出ることなく生活しています。

食料品も医薬品も何もかもデリバリーで。

 

孤立した生活を七ヶ月も続けていることによるメンタルヘルスへの影響ははかりしれません。

 

彼のマスクに関するコメントは、ただ「マスクがいや」ということ以上の意味を持っているわけですが、彼が一番辛いと感じていることは、ウィルスの感染予防のために各国が施行している「人と人の間に物理的な距離を確保」し「人が家族や友人の家を行き来したり集ったりする機会を制限」されること。

普段の生活において家族や友人たちと気軽にハグしたりキスしたりできなくなってしまったことです。

 

一人で暮らしている人の場合、これは結構切実。

同居していない場合は例え血の繋がった家族であっても2メートルのフィジカル・ディスタンシングが義務付けられていて、しかも9月に感染者数が再び増加し続けたのを受けて、再び「同居していない人々が室内や屋外でで集まること」に制限がかかり、禁止になりました。

 

七ヶ月前までは、友達や家族の家に遊びに行けばまず「元気?」なんて言いながら両頬にチュッチュっとエアキス(本当にキスする人もいる)していたケベック人たち。

オンタリオやイングリッシュ・カナダ出身の人たちの多くはハグハグ。

 

 

イタリアに生活の拠点があるヤマザキマリさんの記事に、人と触れ合う挨拶の習慣と脳への働きについて触れられていました。

fujinkoron.jp

 

日本の一般的な習慣では、挨拶するたびに握手したりハグしたりキスしたりはしませんよね。

私は子供の頃、ハグする子供だったのですが、親に「もう赤ちゃんじゃないんだから、そろそろやめようね」と何度か言われ、そのうちハグのない親子関係になったのを覚えています。

 

 

ヤマザキマリさんの記事にも触れられていますが、ハグしたりキスしたり、親しい人同士寄り添うことで気持ちが落ち着く効果は確実にあります。

家族や他者と触れ合ったり寄り添ったりするのは猿のグルーミングと同じ行為で、この“触れ合い”によって脳内で作動する神経細胞が苦痛を和らげるエンドルフィンを誘発し、ストレスを大幅に軽減しているのだという。人間がいちいちハグしたり頰にキスをしたり腕を組んだり頭を撫でたりするのは、あれは霊長類としての本能に結びついた仕草なのだ。

...(中略)....

だとしたら、子供が成長すると親子同士でも滅多に触り合うことのない日本人は、一体どうやって日常のストレスを解消しているのだろう、という疑問も湧く。

 

最後の「疑問」の部分がちょっと気になりますが。

日本では、ちょっと親しくなると冗談など言うたびに笑いながらバシーンと背中を叩いてくる人がたまにいた覚えがあるのですが、あの人たちは触れ合いを求めていたのかな。

 

 

 

日本以外の文化圏に暮らす人々の多くは、現在、感染の恐れというストレスに加えて親しい人と触れ合えないというストレスも感じているのですね。

そして、慣れ親しんだ習慣をグッと我慢させられていることの象徴が、人々の顔を半分覆っているマスクなのかもしれません。

 

 
日本の習慣

パンデミック宣言以来、政府の公衆保険衛生機関が口を酸っぱくして言うようになった予防対策は「手を洗いましょう」「マスクをしましょう」「2メートルのフィジカル・ディスタンシングを守りましょう」です。

 

これって、昔から家に帰ると母親が言うセリフ「さあさあ、手を洗いなさい、うがいしなさい」を思い起こすなあ、と。

 

「うがい」は鼻や口から進入したウィルスを洗い出すことにどれほど効果があるのか不明だからなのか、はたまた「うがい」を全くやったことのない人に教えるのは大変だから効果が証明されないうちは無駄だと判断されたのか、誰も言い出しませんけれど。

 

家に帰ったら即手洗い(とうがい)外出先ではマスクをせよ、、、の習慣が日本で広まったのはいつ頃からなのでしょうね。

ひょっとしたら100年ちょっと前のあのスペイン風邪の頃あたりだったりして。

 

 

そうだとすると、その習慣がずっと根付いていると言うのもすごいですが。

 

そしてこの先、COVID19のパンデミックが去ったあと、世界中の人たちは帰宅したらすぐ手洗い、とか、冬場は公共の場ではマスクして予防に努めましょう、とか、定着するかしら。

 

 

 

定着しないかもね、に座布団5枚。 


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